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■■■明日の日経平均を予想するスレ24463■■■

1 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 05:19:06.00 ID:V+KKHK6F.net
前スレ
■■■明日の日経平均を予想するスレ24462■■■ [転載禁止] ©2ch.net
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/livemarket1/1448207664/

■日経平均一目均衡表
  ttp://www.naito-sec.co.jp/japan/news/marketchart_nikkei.html
■騰落レシオ
  ttp://www.opticast.co.jp/cgi-bin/tm/chart.cgi?code=0188
■市場スケジュール(TRADER'S WEB)
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■マーケットカレンダー
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■CME
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■海外市況速報
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■株価情報
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■Quotes for ^DJI, ^IXIC, ^FTSE, ... - Yahoo! Finance
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■為替相場 - リアルタイム チャート
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■日経先物
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避難所
◆◆◆アク禁の市況 part422◆◆◆
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画像掲示板
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257 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:19:02.71 ID:dYo+YJH2.net
CME20000行きそうやな

258 :かわべり∩ ・Д・ ) ◆GAMiBjuEH6 :2015/11/23(月) 13:19:14.09 ID:WquBRut5.net
>>231
いや、でも、こんなスクリプトを作ってる時点で、
なんか違和感を覚えないのだろうか?

259 :ミリンダ=ブランティーニ中尉:2015/11/23(月) 13:19:17.89 ID:3F6a30fV.net
靖国神社でテロwwwwwwww

260 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:19:31.62 ID:E04gARWS.net
今朝の朝食
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org620780.jpg

261 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:19:49.05 ID:bWYnBNko.net
>>248
それはグローバリズムである。日本政府も天皇も悪くない。ジャパン アズ ナンバーワン
の幻想が終わっただけである。

262 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/23(月) 13:19:51.49 ID:vq7l0JGy.net
猫だましだろうが何だろうが、勝てばよい。

263 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:19:56.59 ID:56d9h3pg.net
みりんが起きてきたか・・・

264 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:20:22.50 ID:JiHLQ6gk.net
>>260
どっかのファミレス?稲葉さんとこか?

265 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:20:28.77 ID:bIkugp+e.net
>>257
強いね

266 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:20:59.33 ID:FSIrNaSj.net
>>254
どこに
飛田とか?

267 :かわべり∩ ・Д・ ) ◆GAMiBjuEH6 :2015/11/23(月) 13:21:09.34 ID:WquBRut5.net
>>252
それなら、厚木のほうがイイよ。
新東名も近くまで来るしな。

268 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:21:09.63 ID:r0L8oXUa.net
>>248
だから何でもかんでも天皇のせいにする前に、不満ばかりの鬱屈した生活を変える
自助努力をしてみたらと思うわけなんだが

269 ::2015/11/23(月) 13:21:21.91 ID:o+/ioXbo.net
といいますか
この三連休20000乗せないでどうするんですか!!

270 :|ω・`)松戸@iiyamaTablet ◆YVMSCB45BQ :2015/11/23(月) 13:21:23.16 ID:0/OgE/+S.net
>>242
去年の終わりか、今年のはじめだったかな

271 :お爺さん ◆TOPIXQCP8g :2015/11/23(月) 13:21:31.57 ID:H9vPWtcR.net
>>266
(´ω`)いやちょっと買い物に

272 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:21:33.37 ID:c9CRnk+b.net
認知症つてもこの人大したことないじゃん
普通じゃん

273 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:21:43.38 ID:DcpPJ31F.net
>>262
お前の精神性に疑問だな
横綱らしくしろよ。
ついでに、お前も大人の意見を書き込めよ

274 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/23(月) 13:22:40.44 ID:vq7l0JGy.net
>>273
明仁の精神性に疑問だな
天皇らしくしろよ。
ついでに、お前も大人の意見を書き込めよ

275 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:22:50.21 ID:AFi7Oaxg.net
>>271
へい、装甲板のように固いビスケットおまち (*'ω'*)

276 :かわべり∩ ・Д・ ) ◆GAMiBjuEH6 :2015/11/23(月) 13:23:31.27 ID:WquBRut5.net
>>270
この前、成田使った時に、検問が廃止されてて驚いたぬ。

277 :ミリンダ=ブランティーニ中尉:2015/11/23(月) 13:23:34.04 ID:3F6a30fV.net
橋下のほうがヒトラーっぽいな

278 ::2015/11/23(月) 13:23:34.34 ID:o+/ioXbo.net
丼ちゃんとポイントさんと青森さん元気かぬ??

279 :/ノ、^ヮ゚ノ、,ヽ ◆29IGBJX752 :2015/11/23(月) 13:23:41.95 ID:SqAhbr/u.net
>>258
マイナーな銘柄だけを選んで、何か調査してるのかなあ。
毎日スクリプトで書き込んでスレを上げることで、株価に影響するかどうか。
あるいは、スクリプト以外の書き込みが増えた銘柄は
人気化の初動と判断できるかかどうか、など。

280 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/23(月) 13:23:45.73 ID:vq7l0JGy.net
>>261
はぁ? 日本はグローバリズムに巻き込まれて、ペリーに開国させられたんですけど?

281 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:23:50.70 ID:hx2zcbQ6.net
靖国事件はあれだな
テロに見せかけた警備の仕事を増やそうとする工作

という事で犯人は松戸氏に違いない

282 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:24:02.94 ID:bWYnBNko.net
>>274
平和国憲法の我が日本国を見守っているのが天皇である。
昭和天皇がキチンと戦争を反省し、その反省を明仁天皇が引き継いでいる。

283 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:24:22.13 ID:c9CRnk+b.net
さくら

電車

284 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:24:24.10 ID:E04gARWS.net
>>264
星野珈琲です

285 :お爺さん ◆TOPIXQCP8g :2015/11/23(月) 13:24:47.10 ID:H9vPWtcR.net
>>275
(´ω`)我々は第六軍として一体行動の上整然と退却したいが、燃料がない

286 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/23(月) 13:25:00.20 ID:vq7l0JGy.net
>>282
「日本国民は反省しろ」発言で平和憲法第四条を破ったのが明仁だ。
反省すべきなのは、国民じゃなくて明仁個人だ。

287 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:25:19.59 ID:DcpPJ31F.net
>>274 dna調べたら分かるけど、日本人は朝鮮や南方系や色々な民族の混血なんだよ

288 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:25:54.85 ID:bWYnBNko.net
>>280
そういう民度の低い昔のコトではない。昔は第三世界と言われていた民度の
低かった国々が教育水準がよくなり、世界経済に進出してきたというコトである。
当然、日本人の職は奪われるに決まっている。これがグローバリズムである。

289 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/23(月) 13:26:00.22 ID:vq7l0JGy.net
>>287
幸ちゃんはアーリア人種だ。おまいらとは人種が違う。

290 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:26:48.43 ID:DcpPJ31F.net
>>289
じゃ、さっさとアーリア国に帰れよ

291 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/23(月) 13:26:48.55 ID:vq7l0JGy.net
>>288
じゃあ当時に比べてアメリカの民度は向上したのか? アメリカは日本の宗主国だろ?

292 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:27:03.61 ID:AFi7Oaxg.net
>>288
「後進国の奴らがマシになったころには、俺たち先進国はもっと先にいる!」的な考え方はうぬぼれに過ぎなかったということですかね (*'ω'*)

293 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:27:05.14 ID:bWYnBNko.net
>>286
天皇には政治的な権力はない。お前がまだ、そう思ってるんだったら言おう。
70年前に天皇により支配は終わっている。

294 :ミリンダ=ブランティーニ中尉:2015/11/23(月) 13:27:29.95 ID:3F6a30fV.net
http://s.pd.kzho.net/1448251574447.jpg
http://s.pd.kzho.net/1448251574596.jpg
http://s.pd.kzho.net/1448251574755.jpg
選べ

295 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:27:35.82 ID:FSIrNaSj.net
>>258
空腹の馬鹿馬鹿しいスクリプトなんとかしてくれ

296 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:27:38.91 ID:kkCLrATH.net
>>260
喫茶店かお

297 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:27:52.92 ID:c9CRnk+b.net
この人騒ぎすぎ
認知症じゃなくて何か別の病気でしょう

298 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/23(月) 13:27:54.16 ID:vq7l0JGy.net
 しかも日常生活は、クセノポンの『饗宴』がそのおもかげを描きだしてくれているように、きわめて高雅な社交に
よって美化されていた。さてこんどは、きみには辛いだろうが、中世を見たまえ。――この時代は、教会が精神を
しばり、暴力が肉体をしばっていた時代だ。それというのも、騎士と坊主が彼らの共通の駄馬である第三身分の者ども
に、生活の重荷をすっかり負わせたためなんだ。そこにきみが見いだすのは、緊密に結びついた武断政治と封建制度と
狂信であり、またその結果としてひどい無知と精神の闇、この無知にふさわしい非寛容、宗門争い、宗教戦争、
十字軍、異端者迫害、そして宗教裁判といったものだ。ところで社交の形態としては、粗野とお
しゃれをつなぎあわせてできた騎士道があった。そこには酔狂きわまることが、ことこまかにきめられ
てひとつの体系をなし、人間の品位を落とすような迷信、猿にふさわしいような女性尊重がつきもの
だった。そのなごりがいまの女性上位の慇懃だが、そのむくいとして女性が威張るのは当然な話で、
あらゆるアジア人にいつも笑い草を提供しており、ギリシア人だってこれに吹きだすにきまっている
よ。これが中世の黄金時代には、形式的で整然とした婦人崇拝に発展した。つまり英雄的行為を務めと
して果たしたり、愛の奉仕をしたり、トルバドゥール流の誇張した歌をつくるといったことだ。最後に
あげた茶番には、それでもどうやら知的な一面があるが、これもフランスが本場だということに注目し
なくちゃならぬ。ところが実質本位で愚鈍なドイツ人ときては、騎士も大酒をくらったり掠奪したりす
ることのほうが得手で、大杯と盗賊騎士の城のほうが彼らの関心事だったのだ。もちろん諸方の宮廷で
は、幾人かの気のぬけた恋愛歌人にこと欠いたわけではない。古代と中世と、どうしてこんなに光景が
一変したのか? 民族移動とキリスト教のためだ。

デモフェーレス その指摘はいい。民族移動は禍の源流だった。キリスト教はその流れをせきとめた
堤防なのだ。民族移動の洪水で押し流されてきた粗暴野蛮な遊牧民にとって、キリスト教はさしずめ彼
らを飼い馴らし仕込む手段になったのだ。粗暴な人間はまずひざまずくことを学び、崇敬と従順を会得
する必要があった。そのうえではじめて教化も可能になったのだ。アイルランドでは聖パトリックがこ
のことをなしとげたのだが、ドイツでそれに相当するのはサクソン人ウィーンフリートで、彼は文字ど
おりボニファキウスとなったわけだ。アジア人種がヨーロッパへとどんどん押しかけてきたその最後が、
民族移動とよばれるわけだね。こういう動きは、アッティラやジンギスカンやティムールのときにも試
みられたが、なんの実もむすばなかったし、滑稽な後奏曲としてはジプシーの流浪なんかがあったわけ
だ。ところでこの民族移動こそ、古代の人間性を洗いおとしてしまったのだが、キリスト教はまさにこ
ういう粗野に対抗する原理だった。それは中世全体をつうじて教会が教権制度でもって、現世の実力
者、君主や騎士たちの粗暴と野蛮を抑えるのに、大いに必要であったのと変わらない。つまり教会はこ
れらの巨大な氷塊の砕氷船になったのだ。ところで教会の目的とするところは、現世の生活を快適にす
るというよりも、むしろわれわれをよりよい生活に値する者にすることにある。このしばしの時、この
はかない夢には目もくれずに、キリスト教はわれわれを永遠の救いにみちびこうとするのだ。そのねら
いは、それまでヨーロッパには知られていなかった言葉の最も高い意味で、倫理的なのだ。さっきも、
古代人の道徳と宗教をキリスト教のそれと対比して、きみに注意したようにね。

フィラレーテス 理論だけなら、それでいいんだ。しかし実際を見てもらいたいんだ。中世期には、
不自然な死の拷問や火刑が無数に行われたね。古代人が、このキリスト教的数世紀にくらべれば、さ
ほど残酷でなかったことは、議論の余地がない。さらに古代人は非常に寛容で、とりわけ正義を重ん
じ、しばしば祖国に身をささげ、あらゆる種類の高邁な性向と純粋な人間性を示した。だから、今日に
いたるまで彼らの行動や思惟を知ることが人文研究とよばれているくらいなんだ。

299 ::2015/11/23(月) 13:28:11.14 ID:o+/ioXbo.net
>>284
なぜか入る店連続してふいんきがいまいちだたぬ
相性よくないだけかも試練が
スフレパンケーキ不味くはなかったが‥

300 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/23(月) 13:28:17.27 ID:vq7l0JGy.net
宗教戦争、宗教的人殺し、十字軍、宗教裁判、そのほかの異端審問、アメリカ原住民の絶滅、そしてそのかわりに
アフリカ奴隷の移入――こうしたことが、キリスト教のもたらした実で、これに類すること、これに匹敵する
ことは古代人では見あたらない。というのは、ファミリア(familia. 家族)とかヴェルナ(vernae.家
内奴隷)とかよばれる古代人の奴隷は、主人に忠実に仕えて満足している人たちであって、砂糖きびの
農場でこきつかわれて、人類を呪っている不幸な黒人とは雲泥の差があることは、その皮膚の色の違い
と同様だからだ。古代人の道徳でおもに非難の的になっているのは、男色を大目に見ていることだが、
これはもちろん非難すべきことではあるけれど、右に述べたようなキリスト教の暴虐にくらべれば、と
るにたらぬ些事だし、近代人においても、男色は表面化するのは減っているかわりに、珍しくなったとい
うには程遠いのだ。あれこれ考えあわせて、きみは、キリスト教によって人類がほんとうに道徳的によ
りよくなったと主張できるかね?

 デモフェーレス キリスト教の成果が必ずしもその教説の純粋さと正しさに照応しなかったのは、そ
の説くところが人類にとってあまりに高貴・崇高にすぎ、目標があまりに高いところに置かれていたせ
いだろう。異教の道徳に従うことは、回教の道徳の場合と同様、もちろん比較的容易だった。最も崇高
なものほど、どんな場合にも、濫用と欺瞞にさらされている度が高いのだ。「最上のものの濫用は最悪
となる」という格言どおりだ。そういうわけで、じっさいまたあの高遠な教えが、ときとしてじつに忌
まわしい所業やほんとうの犯行の口実に使われたこともあるわけさ。――ところで古代の国家組織が没
落したこと、また古代世界の芸術や学問が没落したのは、まえにも言ったように、外国から野蛮人が侵
入してきたせいだ。そこで無知と粗暴がのさばり、その結果、暴力と欺瞞が横行して、騎士と坊主ども
が人類の上にのしかかる重荷になったことも、避けがたいことだった。こうなったことについては、一
部分はキリスト教の性質から説明することもできる。

すなわちこの新しい宗教は、現世の救いではなくて、永遠の救いを求めることを教えたのであり、
したがって頭の知識よりも心の素朴を尊いものとみなし、結局は学問や芸術の奉仕するあらゆる
世俗的享楽を好まなかったということだ。しかし学問や芸術も、宗教に仕えるかぎりでは、
奨励もされ、ある程度の花を咲かせることもできたわけだ。

 フィラレーテス そうはいうけれど、人類がそれまでに獲得した知識、古代人の文書のなかに書きと
められていたものを没落から救ったのは、もっぱら僧侶であり、とりわけ修道院の僧侶たちじゃない
か。キリスト教がその直前にあらわれたからよかったものの、そうでなかったら、民族移動でこういう
ものがどうなっていたか知れないではないか!

 フィラレーテス もろもろの宗教によって得られた利益と、それによってひき起こされた損失とを、
いつかきわめて公平に冷静に、どちらの側にも立たないで、厳密に正しく秤る試みがなされるなら、そ
れはほんとうに役立つ研究になるだろうね。もちろんそのためには、われわれふたりの使えるよりも、
はるかにたくさんの量の歴史的・心理学的資料が必要だけれどもね。学士院なんかも、これをひとつ懸
賞問題の題目にしてもよいだろう。

デモフェーレス そんな無茶はやるまい。

フィラレーテス きみがそんなことを言うなんて、おかしいね。宗教に歩がわるいからだろう。もっ
とも学士院といったって、せっかく問題を出しても、うまく調子を合わせるこつを心得ているやつが賞
をもらうといったことが、暗黙の条件になっているような学士院だってないわけではないからな。――

301 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:28:26.85 ID:FSIrNaSj.net
>>294
2枚目1番右下

302 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:28:40.13 ID:bWYnBNko.net
>>291
アメリカの話をしているのではない。第三世界が台頭してきたと言っている。
日本やアメリカに追いついてきているのだ。当然、日本人の職は奪われる。

303 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/23(月) 13:28:43.78 ID:vq7l0JGy.net
さしずめだれか統計学者が教えてくれると、ありがたいね。毎年、宗教的動機から犯罪を思いとどまる
者がどれくらいの数になり、宗教以外の他の動機で中止する者がどれくらいの数になるかだ。前者はご
くわずかだろう。というのは、なにか罪を犯そうという誘惑を感じた場合、それを思いとどまらせる第
一のものは、そういう犯罪に課せられた罰と、そういう罰にひっかかるかどうかという可能性であるこ
とはまちがいないからだ。そのつぎに第二の問題になるのは、名誉を損じる危険性だ。ぼくの考え違い
でなければ、地獄に落ちるかもしれんといった宗教的な考えがちょっとでも頭に浮かぶさきに、まずこ
の二つの障害にぶつかって、何時間も考えあぐむのが普通だろう。だがこの二つの犯罪の歯止めを乗り
こえてしまった場合に、宗教だけで思いとどまるなんて、ごくごく稀だと思うな。

デモフェーレス いや、あんがい多いとぼくは思うね。とりわけ宗教の感化は、習い性となって、だ
れでも大きな犯罪にはすぐ尻込みするから、なおさらだ。若いときに刻みつけられたものは、なかなか
抜けないものだ。その証拠に、考えてもみたまえ。いったん約束したからには、とりわけ貴族だが、と
きにはひどい犠牲を払っても、これを果たす人が多いのも、若いときに、「名誉を重んじる者は、紳
士とか騎士は――いつでも固く約束を守るものだ」と、まじめな顔つきで父親から言ってきかせられた
せいだよ。

フィラレーテス 持って生まれた誠実さがなければ、そうはならないよ。この生得的な品性のよさか
らそうなるのに、きみのようにそれを宗教のせいにしてはならない。過失や犯罪をおかした人に、同じ
人間として同情を感じるところから、そういう非行を思いとどまるというのも、持って生まれた性質が
よいからだ。そしてそれは純粋な道徳的動機で、その性質からいって、あらゆる宗教とは無関係なものだ。

 デモフェーレス しかし、大衆の場合、道徳的動機も、これを補強する宗教的動機にくるまないと、
いっこうにききめはないな。きみのいう持って生まれた性質がない場合だって、宗教的動機だけで犯罪
の防止になることは、よくあることだ。だいたい高い教養をもった連中でさえ、寓話的な意味の真理を
根底にもつ宗教的動機なんかの影響ではないにしても、きわめて荒唐無稽な迷信にさえ左右され、一生
そんなものに引きまわされているじゃないか。たとえば、金曜日には新規なことに手を出さないとか、
十三人では食卓につかないとか、偶然的な前兆に従うとか、そのほか、いろいろあるね。大衆の場合が
もっとひどいとあっても、べつに驚くにはあたらないよ。きみなんか、粗野な大衆の偏狭さがどんなも
のか、とても想像できないんだ。それはまっ暗闇なんだ。とりわけその性根がよこしまで、意地わるく
できているのがざらだから、なおさらだ。人類の大部分を占めているこの手合いを、われわれとして
は、ともかくできるかぎり指導したり抑制したりしなくちゃならない。その場合、やつらを動かすの
に、ほんとうに迷信的なものでもかまわないのだ。あの連中に、もっとましな正しい動機を受けいれる
日がくるまではね。だが、宗教が直接ききめをあらわす場合も、ないではない。たとえば、とくにイタ
リアではそうだが、泥棒をしても聴罪師の手をへて盗品をかえすといったことがあるね。これが赦免の
条件になるからさ。つぎに考えてほしいのは、宗教が決定的な役割を果たす宣誓のことだ。これにはい
ろんなやり方がある。フランスあたりでは、簡単に「わたしはそれを誓います」という宣誓方式がとら
れていて、人間はもっぱら道徳的存在の立場に立ち、厳粛に呼びかけられるという自覚を基本としてい
るように思われるし、クェーカー教徒なんかも同様で、厳粛に「はい」とか「いいえ」といえば、それ
で宣誓のかわりになるのだ。あるいはまた、宣誓の場合に口にするとおりに、自分の永遠の至福が失わ
れると本気に信じる場合もあろう。こういう信念は、その人の気持ちを宗教的に言いあらわしたものだ
といえる。

304 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:29:03.31 ID:96ZpNMuW.net
>>260
神々しいイングリッシュブレックファーストねー

305 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/23(月) 13:29:11.25 ID:vq7l0JGy.net
ともあれ宗教的表象は、われわれの道徳的本性をめざめさせ、呼びおこす手段なのだ。偽り の誓いを立てても、
いざとなると、ころりとひっくり返ることもよくあることだ。こうして真実と正義が勝つことになるわけだ。

 フィラレーテス しかしそれ以上に、実際に偽誓がまかり通って、その事件の証人がみんなはっきり
事情を知っているのに、真実と正義が踏みにじられることだって、なかなか多いよ。宣誓は法律家の形
而上学虎の巻だ。だから、できるだけ使わないにこしたことはない。けれども、やむをえない場合は、
いと厳粛に、僧侶の出席のもとに、しかも教会とか法廷付属の礼拝堂でやるべきだ。きわめて疑わしい
場合には、学童を陪席させるのも適切だ。その意味で、フランス式の宗教ぬきの宣誓方式は役に立たな
い。あたえられた既成宗教をぬきにするかどうかは、その当人の教養の程度に応じて、めいめい各自の
思いどおりにまかせるべきだろう。――ともかくきみが、誓いを宗教が実際に役立つ明瞭な実例として
あげたのは正しい。しかし、きみはいろいろ言ったけれど、宗教の実効がそんなにあるなんて、疑わざ
るをえないな。考えても見たまえ。いまとつぜん、おおやけの布告であらゆる刑法が廃止されたとした
ら、きみもぼくも、宗教的動機の保護だけで、ただこの場所から帰宅するだけの勇気さえも持てないと
思うよ。だが同じようなぐあいに、すべての宗教がまちがっていると言われたって、ぼくたちは別にこ
とさら心配したり警戒したりしないで、法の保護だけで従前どおりの生活ができるじゃないか。――も
う少し言わせてもらうと、宗教にはとかく道徳をひきさげる力があるということだ。一般的に言えるこ
とは、神に対する義務さえ果たせば、人間に対する義務が免除されるということだろう。人間どうしの
あいだで落ち度があっても、そのかわりに神さまにとりいれば帳消しだとあれば、そのほうがうんと楽
だからね。だからいつの時代にも、どこの国でも、たいがいの人びとは、善行をつんで天国入りの資格
を得るよりは、簡単にお祈りですべりこもうとするわけだ。

神さまの思召しにかなういちばん手近なことも、道徳的行為なんかではなくて、まず信じることであり、寺院における
いろいろな種類の儀式や礼拝だというふうに、どんな宗教でもやがてなってくる。それどころか、それが僧侶の利益と
結びついて、お寺まいりのほうが、しだいに道徳的行為の代用と見られるようになる。十字架像を寄進したりすること
も、それでひどい犯罪のつぐないができるとあれば、たいへん歩のいい仕事ということになる。この種のもの
には、懺悔、僧侶の権威に対する服従、告白、巡礼、寺院や僧侶への寄付、修道院建設などいろいろあ
るから、ついには僧侶は、賄賂のきく神々との取引を仲立ちする者ぐらいにしかみえなくなる。たとえ
それほど極端にならないとしても、その信者たちが、すくなくとも祈禱や賛美歌やいろいろな礼拝を、
一部は道徳的行状の埋合せと見ないような宗教があるだろうか? たとえばイギリスを見たまえ。あの
国の坊主どもの図々しさったらないね。もともとユダヤ教の安息日に対抗してコンスタンティヌス大帝
が制定したキリスト教の日曜日を、彼らはそんなことにおかまいなしに、ユダヤ教の安息日と同一視し
ているんだからね。名前まですりかえているんだ。エホバが安息日に対して定めたところによると、六
日間の仕事で疲れ給うた全能の神が、この日にお休みにならねばならないとなっているね。つまり安息
日とは本質的に一周の最終の日になるわけだ。それなのにイギリスの坊主どもは、この掟をキリスト教
徒の日曜日にもちこんでいる。日曜日とは「太陽の日」、はなばなしく週の開始を告げる第一日、敬虔
と喜悦の日だ。この密輸入の結果、現にイギリスには、「安息日違反」(sabbathbreaking)とか「安息日
の神聖冒涜」とかよばれるものがあるね。つまり日曜日に、有用あるいは快適などんな軽い仕事をして
も、遊戯でも音楽でも、宗教書以外のどんな読書も、靴下を編むことまで、重い罪に数えられているのだ。

306 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/23(月) 13:29:38.13 ID:vq7l0JGy.net
 こうなると、くだらないやつが、その宗教的指導者の教えるとおりに、いつでも「神聖な安息日の
厳守」と「礼拝への几帳面な出席」とを守っているかぎり、つまり日曜日にまちがいなく徹底的に仕事
を怠け、教会に二時間すわることは欠かさず、同じ連祷を千回も聞き、拍子にあわせてムニャムニャ
やってさえいれば、ときに犯すあれやこれやのことも大目に見てもらえると思うのも、当然じゃないか
ね? 北アメリカの諸共和国(奴隷国とよんだほうがよいが)で奴隷を売買したり所有したりしている
連中は、それこそ人間の姿をした悪魔というべきだが、じつは彼らは通例、正統のそして敬虔な英国国
教徒なんだ。だからあの連中も、日曜日に働いたりしたら重い罪だと考えるはずなのに、奴隷には平気
で働かせておいて、自分たちは几帳面に教会へ通って永遠の救いを望んでいやがる。――だから、宗教
が道徳を引きさげる影響力をもっていることは明らかで、どれほど道徳を支える力があるかは眉つばだ
よ。宗教のそういう教化力がとてつもなく大きく、そしてしっかりしていなければ、もろもろの宗教、
とりわけキリスト教や回教がひき起こした暴虐な仕業やこの世にもちこんだ悲歎の穴埋めは、とうてい
できっこないね! あの狂信と果てしのない迫害を考えてみたまえ。まず宗教戦争だ。これなど古代人
には見当もつかない血なまぐさい狂気のさただ。つぎは十字軍だ。愛と寛容を説いた人の墓を占拠しよ
うと、「神意のままに」という鬨の声をあげながら、まったく許しがたい殺戮が二百年もつづいたんだ。
また、ムーア人やユダヤ人をスペインから無慈悲にも追放して根絶したことを考えてみたまえ。聖バル
トロメウス祭のユグノー派の虐殺、宗教裁判、その他の異端審問、三大陸にわたる回教徒の血なまぐさ
い大規模な占領など、考える種はいくらでもある。キリスト教徒のアメリカ占領などもそれだ。彼らはア
メリカの原住民をあらかた根だやしにしてしまった。キューバ島では全員殺戮だ。ラス・カサスによる
と、彼らは四十年間に千二百万人を殺害したという。それがあたりまえと受けとられたのは、「神の栄
光を増さんがため」、福音を普及せんがためであり、とりわけキリスト教徒でない者は人間扱いもされ
なかったせいなんだ。こういう問題はまえにも触れたことがあるが、いまでも「神の国からの最新の報
告」が出版されている以上、われわれだってこうした古い報告を思いだすことを怠ってはならない。と
りわけ忘れてはならないのがインドだ。この人類の揺籃、すくなくともわれわれの属する人種の発祥地で
あるこの神聖な国を忘れないでおこう。そこではまず回教徒が、つぎにはキリスト教徒が、人類の原始
信仰の信者たちに対してじつに身の毛のよだつ暴行をあえてしたのだ。思いだすのも忌まわしいことだ
が、マハムード・ガズナヴィーから始まって、兄弟殺しのアウラングズィーブにいたるまで、回教徒ど
もは気まぐれに、またむごたらしく太古の寺院や神像を破壊・毀損したのだ。これは永遠に慨歎に耐え
ないところで、今日なおわれわれに回教徒の一神教的凶暴の痕跡を見せつけているのだ。その後、これ
に敗れまいとして、ポルトガルのキリスト教徒たちも、寺院を破壊したり、ゴアの宗教裁判で火刑を
やったりしたのだ。

 それから「神に選ばれた民」と自称するユダヤ教徒のことも逸してはならない。彼らはエジプトでエ
ホバのきびしい命令によって、彼らを信頼している旧友たちから金と銀の容器を盗んだあと、こんどは
殺人者モーセを先頭にして、人殺しや盗みを働きながらカナンに侵入し、ここを「約束の地」として、
同情は絶対無用という同じエホバのたえずくりかえされた厳命にもとづいて、原住民を、女・子供にい
たるまで、まったく情容赦なく皆殺しにして、この土地を正当な所有者たちから奪い取ったのだ(ヨ
シュア記・第十章・第十一章)――それは原住民が割礼を受けておらず、エホバを知らなかったとい
うだけの理由からだったが、これだけでも彼らにあらゆる暴虐をふるう正当な理由としてじゅうぶん
だったのだ。同様に、同じ理由から、族長ヤコブとその選ばれた部下たちが、サレム王ヘモルとその民
に対して恥ずべき非行を行なったことが、まことに輝かしいこととしてわれわれに語られているが(創
世記・第三十四章)、これらもその理由はサレムの民がエホバの信者でなかっただけのことなのだ。

307 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:29:41.57 ID:DcpPJ31F.net
>>289
お前の排他主義(吐いた主義)がグローバリズムだ! グロすぎなんだよ ぷっ

308 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/23(月) 13:30:04.47 ID:vq7l0JGy.net
 ユダヤ人のカナン侵入…タキトゥス(『歴史』第五巻・第二章)およびユスティヌス(第三十六巻・第二章)が
出エジプト記の歴史的資料を我々に残してくれている。これは楽し読みものであると同時に教えられるところの
多いもので、旧約聖書の他の諸記の資料がどうなっているかについても、われわれはここから推測できるの
である。前記のところ(右に指摘した個所)から知りうることは、潜入してきた不潔なユダヤ民族が、伝染
のおそれのある厄介な病気(らい病)をもっていたところから、エジプト王は彼らが純潔なエジプトにとどま
ることを望まず、彼らを船に乗せてアラビア沿岸に捨て去らせたのである。彼らのあとからエジプト人の分
遣隊が送られたことは事実であるが、これもわざわざ追いだした者を連れもどそうというのではなくて、彼
らが盗みだした貴重品を取りもどすためだったのだ。じつは彼らは神殿から金の容器を盗みだしていたから
だ。こんなやくざ者にかねなど貸す者があろうか! ――上述の分遣隊が自然現象のために絶滅のうき目に
あったことも、これまたまちがいない。当時、アラビア沿岸地帯は飢饉で、とりわけ水飢饉だった。そこへ
ひとりの向こうみずな男があらわれて、自分についてきて言うことをきくなら、なんでも調達してみせると
切りだしたわけだ。この男は野生のロバを見た、などといったことが書かれている。――わたしはこれを歴
史的資料とみなす。なぜならこの散文を基礎として出エジプト記という詩が書かれているからだ。この場合
たとえユスティヌス(すなわちポンペイウス・トゥログス)が、(出エジプト記にもとづくわれわれの想定
からいって)途方もない時代錯誤をおかしているとしても、そのためにわたしは迷わされはしない。なぜな
ら、時代錯誤の百くらいは、わたしにはたった一つの奇蹟ほどにも憂うべきこととは思われないからだ。
――そのうえ右に引用した二人の古典文学者の著作から見てとれることは、あらゆる時代、あらゆる民族に
おいて、いかにユダヤ人が嫌悪され軽蔑されていたかということだ。そのよってきたる一部の理由は、彼ら
が人間の輪廻などというこの生を超えたどういう存在をも認めない地上唯一の民族だったからで、したがっ
て彼らは家畜、人間の屑――だが嘘つきの名人――と見られたのだ。

 創世記第三十四章…ヘブライ語がわからないで、旧約聖書がどういうものであるかを知りたい人は、七十人訳聖書
を読む必要がある。これこそあらゆる訳のなかで最も正しい、最も純正な、最も美しい訳であり、その調子
や色合いにいたってはまったく別ものの観がある。七十人訳の文体は概して高雅・素朴であり、教会くささ
がなく、キリスト教を想わせる点もない。これにくらべるとルター訳は平凡であると同時に信心ぶったとこ
ろがあり、しばしばまちがっており、ときには故意に誤っているところもある。そして徹頭徹尾、教会的・
教化的調子で語られている。右に引用した個所では、ルターは和らげた表現をあえてしているが、これなど
ごまかしとよんでもいいくらいで、彼が「放逐する」と訳している原語は、じつは七十人訳では「殺した」
となっているのだ。

 ともかく七十人訳聖書を読んでわたしの受けた感銘は、「偉大な王ネブカドネザル」に対する心からの敬
意と愛である。大王のユダヤ人に対する処置があまりにも手ぬるいという難はあるけれど。この民族は、近隣
諸国を彼らに贈与あるいは約束するような神を奉じ、強盗・殺人によってその国々を占有して居すわり、こ
の神のために神殿を建てるような人種だったのだ。近隣諸国を「約束の国」にするような神を奉じる民族な
ど、いいかげんにネブカドネザルどころか、さらに現神主アンティオコスに出会うがいいのだ。そしてその
うえは情容赦などいっさい無用でいいのだ!

309 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:30:35.49 ID:DcpPJ31F.net
>>306
そうやって、いつまでガキみたいに現実逃避してるん ぷっw

310 :ミリンダ=ブランティーニ中尉:2015/11/23(月) 13:30:37.32 ID:3F6a30fV.net
んじゃ1枚目左下の巨乳

311 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:30:43.68 ID:bWYnBNko.net
金太郎は、今でも天皇の力が我が国に大きな力を与えていると勘違い
しているようだが、ハッキリ言おう。
天皇の支配力は、70年前に、とっくに終わっている。
「天皇の発言で国民が不幸になっている」という被害妄想は稚拙でくだらない

312 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:30:44.40 ID:E04gARWS.net
>>295 2枚目の真ん中の子

313 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:31:13.80 ID:DcpPJ31F.net
>>308
もっと現実を楽しめよ
ゆうきリーダーに笑われるぞ 

314 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:31:14.34 ID:FSIrNaSj.net
>>310
猫背の?

315 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/23(月) 13:31:22.49 ID:vq7l0JGy.net
   第九章 法学と政治によせて

  第一二〇節

 自分の足もとにあるようなものを雲の中に求めるのが、ドイツ人特有の欠点だ。哲学の教授諸公が
自然法を取り扱うやり方など、その尤なるものである。自然法の素材になっている単純な人間の生活関
係、すなわち正と不正・所有・国家・刑罰権などを説明するのに、およそ法外な、抽象的きわまる、つ
まり最も包括的で最も中身のない概念がもってこられる。そしてこの概念から、それぞれの教授の特殊
な気まぐれに応じて、あれやこれやのバベルの塔が雲のなかに打ち建てられるのだ。かくて、きわめて
明瞭な、単純きわまる、われわれに直接関係する生活の事態が、わけのわからぬものに仕立てあげられ
る。こういう学校で教育を受ける若者たちこそ迷惑だ。じつは問題そのものはきわめて単純・明快なの
で、それはこの問題についてのわたしの叙述(『道徳の基礎について』第一七節、『意志と表象としての
世界』正編・第六二節)によって納得できよう。ところが、ある種の言葉、たとえば権利・自由・財
産・存在(この無内容な不定形詞の連辞)といった言葉を聞くと、ドイツ人はすっかりめまいを起こし
て、たちまち一種の精神錯乱におちいり、最も包括的で最も空っぽな概念を技巧的にならびたてなが
ら、なにも言っていないくせに大げさな空言を弄しはじめるのだ。実際は現実にこそ着目すべきであ
り、これら抽象概念のもとになっている。したがってその真の内容をなす唯一のもの、事柄や事態を具
体的に見ればいいのに、ドイツ人はそれをやらないのである。

  第一二一節

 正あるいは権利と言う概念が積極的なものであるにちがいないといった先入見から出発して、これを
定義しようとくわだてる人は、失敗するだろう。つまりそれは影をつかもうとして亡霊を追いかけ、一
種の「非存在」を求めているものだからである。正あるいは法の概念は、自由の概念と同様、否定的・
消極的概念であって、その内容はたんに一種の否定にとどまるからだ。不正あるいは不法の概念こそ積
極的概念であり、最も広い意味での損傷、つまり「侵害」と同義である。損傷は人にも財産にも名誉に
も該当する。――こう考えれば人権を定義することは簡単にできる。各人は、他の人を傷つけないかぎり
どういうことをしてもよい権利をもっている、ということになる。――

 あることへの権利をもつとは、他人を傷つけないかぎり、そのことをしてさしつかえないということ
であり、あることに対する権利をもつというのは、だれかほかの人を傷つけなければ、それを受けとっ
て利用してよいという意味にほかならない。――「単純明快さは真理の目じるし」なのだ。――この論
法でゆくと、いろいろな問題が無意味であることがわかる。たとえば、われわれに自殺する権利がある
かどうかといった問題だ。他人がわれわれの一身にかんしてもちうる権利の話ならば、これはわれわれ
の生命をそこなわないという条件に制約される。だからこの条件がみたされないかぎり、そういう権利
はない。だが、自分ではもう生きていたくないという人に、ひとさまのためにただの機械になって生き
つづけるべきだというのは、行きすぎた要求だ。

316 :早寝 ◆PR6K0R6pOM :2015/11/23(月) 13:31:30.28 ID:fe7a0iWu.net
今日のNHK-FMは私の気持ちを代弁する歌三昧てw

317 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/23(月) 13:31:41.13 ID:vq7l0JGy.net
     第一二二節

 人の力量には差があって平等ではないが、人間としての権利は平等である。それはこの権利が力量に
もとづくものではなくて、権利の道徳的性質からいって、どの人にも、生きんとする同一の意志が、こ
の意志の客体化の同じ段階であらわれているためである。しかしこのことは、人が人として有する根源
的・抽象的権利についてのみいえることだ。めいめい各人がその力量によって手に入れる財産とか名誉
などは、この力量の程度と種類しだいであって、その権利の及ぶ範囲は広くなる。つまりこういう問題
では平等ということはなくなる。しかし財産の多い人とか活動的で名誉にめぐまれた人とかは、それだ
け獲得するものが多いからといってその権利が大きくなるわけではなくて、権利の及ぶものの数がふえ
るだけなのだ。


   第一二三節

 わたしの主著(続編・第四七章)で説明しておいたとおり、国家は本質的に単なる防衛施設である。
対外的には国全体を外的の攻撃から守り、対内的には個人がおたがいに攻撃しあうことをふせぐための
施設なのだ。以上のことから結論されることは、国家が必要なゆえんは、つまるところ、天下周知の人
間の不正にあるということだ。人間が不法なことをやらなければ、国家など考えられもしないだろう。
そうなれば自分の権利をおかされはしまいかと思う人もなくなるわけだし、たんに野獣の攻撃をふせい
だり天災を避けたりするためのただの団体というのだったら、国家と似ても似つかないものになるはず
だからだ。大げさな美辞麗句を使って、国家こそ人間存在の最高の目的であり精華であるなどと述べた
とて、俗物根性讃美まるだしにしている似非哲学者どもの馬鹿さかげんと平板さは、この観点からすれ
ばはっきりわかる。

   第一二四節

 もしこの世に正義が行なわれていれば、家を建ててしまえばそれでじゅうぶんで、明白な所有権以外
に、べつだん防衛を必要としないことになろう。ところが不法がまかりとおっているから、家を建てた
人はそれを守るだけの力をもつことが要求されるのだ。力がなければ、その人の権利は事実上、不完全
ということになる。侵略者は強者の権利をもっているからだ。強い者は暴力をふるう権利をもっている
というのが、ほかならぬスピノザの法概念だ。彼は他の権利を認めないで、「各人はその有する力の量
に応じて、それだけの権利を有する」(『政治論』第二章・第八節)と言い、また「各人の権利はその有
する力によって規定される」(『エティカ』第四部・定理三七、注一)と述べている。――こういう法概
念の手引きをスピノザにあたえたのは、ホッブス、とりわけその『市民論』第一章・第一四節であるよ
うに思われる。この個所でホッブスは、神さまが万物に対して権利をおもちなのは、なんといってもそ
の万能の力によるのだ、という奇妙な説明をつけ加えている。――市民社会では、こういう法概念は理
論面でも実践面でもすでに廃棄されたが、政治の世界では、理論的に葬られたとはいえ、実践面では
依然として通用している。現に最近、北アメリカ人のメキシコ掠奪行によって、この法概念は輝かしく
も実証されたばかりだ。もっともこれをはるかに凌駕するものに、フランス人が首領ボナパルトのもと
に全ヨーロッパを掠奪した昔の例があるけれども。ただこうした征服者は、掠奪行そのものよりもはる
かにしゃくにさわることの多い、例の公式の嘘で事態を言いつくろったりしないで、むしろ堂々と厚か
ましくマッキャヴェッリの学説を採用すべきであろう。というのは、この学説から引きだせることは、
個人どうしのあいだでは、また個人に対する道徳や法学では「他人が汝に加えることを欲しないことは
他人になすなかれ」という原則が通用するけれども、政治においては、その逆の「ひとが汝に加えるこ
とを欲しないことこそ他にむかってやるべし」という原則が妥当するからだ。屈服するのがいやなら、
機を見て、つまり相手の弱みにつけこんで、ただちに隣のやつを制圧せよ。

318 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/23(月) 13:32:04.07 ID:vq7l0JGy.net
というのは、もしきみがその機を逸する場合、いつの日か、それは敵陣に寝返りを打って、隣のやつの好機
となり、きみが制圧される羽目に追い込まれるからだ。もちろん好機を逸したいまの世代の罪のつぐないは、
次の世代が背負うことになるわけだ。このマッキャヴェッリ的原則は、大統領演説なんかに見られるみえす
いた嘘のトリックなどより、掠奪をくるむ覆いとしては、はるかに品のよいものだ。ましてや、兎のほうから
犬に襲いかかったという有名なお話に帰着するようなまっかな嘘などより、礼節にかなっている。要するに
すべての国家は他の国を、好機到来と見るやただちに襲いかかる強盗の集団と見ているわけである。


   第一二五節

 ロシアなどの農奴制度とイギリスあたりの大地主制度の違い、一般に農奴と小作人・借家人・抵当
権設定者などとの違いは、実質よりも形式にある。百姓そのひとが農奴として自分のものであろうと、
小作人が食ってゆく土地そのものが自分のものであろうと、あるいは鳥とその餌、果実とその木のどち
らが自分の所有に属しようと、本質的にはあまり違いがない。現にシェークスピアもシャイロックに言
わせている。

  わたしの食ってゆく手段をおとりあげになれば、
  あなたはわたしの生命をおとりあげになることになる。

 自由な百姓はいくらも広い世間へ出かけられる利点はあるものの、農奴や「土地に所属した奴隷」の利
点はおそらくさらにこれを上まわるものがある。つまり不作とか病気とか、年をとって働けなくなれ
ば、主人のほうがその面倒をみなければならなくなるからだ。だから、不作の年ともなれば、農奴にパ
ンをくれてやる手だてをあれこれ考えて、主人のほうが眠れない一夜を輾転反側するのに、農奴自身は、
高枕で寝ていられるのだ。だからすでにメナンドロス(ストバイオス『抜粋』第二巻三八九頁、ガイス
フォルト編)も言っている。

  自由な身空で みすぼらしく みじめに暮らすより、
  よい主人に身を寄せたほうが よっぽどよい。

 自由人のもう一つの取りえは、なにがしかの才能によって、いくらかましな境遇に移れる可能性があ
ることだが、奴隷にもその可能性がまったくないわけではない。奴隷が比較的高級な種類の仕事をやり
とげて、その主人にひけをとらないようになれば、やはり主人扱いを受けることになる。現にローマで
は、手工業者・工場長・建築家、それどころか医者までがたいがい奴隷だったし、現代のロシアには農
奴で大銀行家になっている人もあるという話だ。またアメリカでよくあることだが、奴隷もその稼ぎで
自分を買いうけて自由になりうるのである。

 貧困と奴隷とは同じ事態の二つの形式にすぎない。いや、ほとんど名前だけが違っているのだといい
たいくらいのものだ。その事態の本質がどこにあるかといえば、その人間の力が大部分は自分自身のた
めには使われないで、他人のためにふりむけられるということだ。このことから、労働の荷重というこ
とも起こってくるし、自分の欲求をみたすことが乏しいということにもなる。というのは、自然はよく
したもので、自分にさずかった力を適当に働かせて、自分の食いぶちを大地からかちとるだけの力しか
人間にはあたえておらず、だれでもありあまる余力などもって生まれてはいないからである。ところで
人類の相当部分のものが、人類が食ってゆかねばならぬという共同の重荷をまぬかれれば、それだけほ
かの人たちの荷が勝つことになり、悲惨になるわけだ。こうしてさしずめ、奴隷とかプロレタリアート
といった名のもとで、いつでも人類の大多数の者に重荷がのしかかるというあの禍が起こってくる。
その遠因は贅沢だ。つまり二、三の少数の者がなくてもすむもの・余計なもの・洗練されたものをもつ
ことができ、それどころか、ひとひねりしたような欲求を満たすことができるために、現在高がきまっ
ている人力の大部分がそんなことにふりむけられ、したがって不可欠なものを生産するという肝心かな
めの必要なことには手をぬくということになる。

319 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:32:08.51 ID:FSIrNaSj.net
>>316
名古屋だけだろ?

320 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/23(月) 13:32:25.51 ID:vq7l0JGy.net
 何千という労働者が、自分の掘っ建て小屋も建てられ
ないのに豪荘な邸宅の建築に従事したり、自分や家族のために粗末な布地を織るかわりに、金持ちの
ために精巧な絹のものやレースまで編むわけで、一般に彼らは富める者らを満足させるために、くさぐ
さの贅沢品をつくっているのである。都会の人口の大部分は、こういう贅沢品の生産に従事する労働者
からなっており、百姓はためにこの都市労働者や、またこういう贅沢品を注文する連中の肩がわりをし
て、耕作したり、種をまいたり、放牧したりしなければならず、けっきょく自然がもともと彼に課した
以上の仕事をもつことになる。そのうえ彼はその力と土地を、穀物・馬鈴薯・牧畜にふりむけるより
は、むしろ葡萄・蚕糸・ホップ・たばこ・アスパラガスなどに割かねばならない。さらに、砂糖・コー
ヒー・茶などを輸入するために造船業や航海に従事する要員をそろえる必要から、たくさんの人間が耕
作から引きぬかれてゆく。こういう余計な品物の生産は、何百万という黒人奴隷の悲惨の原因となる。
彼らがその生国から強引に拉し去られるのも、彼らの汗と苦役によってあの嗜好品を生産させるためな
のだ。これを要するに、人類の力の大半は、少数の者のためにまったく余計でどうでもいいものを調達
するために、万人にとって必要欠くべからざるものの生産活動から引きぬかれてゆくのだ。したがって
一面において贅沢が行なわれているかぎり、他面においてはプロレタリアートの貧困という名のもとで
あれ、奴隷制度の奴僕という名のもとであれ、必然的に過重労働と粗末な生活が存続せざるをえない。
奴隷とプロレタリアートの基本的違いは、奴隷のほうが暴力にその発生原因があるのに対して、貧乏人
は策略にその原因を帰さねばならぬということだ。社会のきわめて不自然な状態、悲惨をまぬかれよう
とする一般的戦い、多数の人命を犠牲にする航海、錯雑した商業上の利害、最後に以上すべてのことが
機縁となって起こる戦争――これらすべての唯一の発生源は贅沢にある。しかも贅沢は、これを享受す
る人を絶対に幸福にするどころか、むしろ病的に不機嫌にするのである。したがって人間の悲惨を軽減
する最も有効な手段は、贅沢をへらすか、さらには贅沢をやめることであろう。

 こういう考え方全体に真実な点が多々あすことは議論の余地がない。それにもかかわらず、この考え
方は、経験によって確かめられる別の考え方によって、結果的に反駁されるのである。すなわちあの贅
沢に営々と奉仕する労働によって、人類はその必要欠くべからざる目的にふりむける筋力(刺激性)の
点では失うところがあるのだが、そのかわりに、まさにそういう機会に(化学的意味で)遊離してくる
神経力(感受性、知性)によって、その穴埋めが徐々にではあるがいろいろなされるということであ
る。というのは、神経力のほうが高級な力であるから、その仕事もまた筋力の仕事にはるかにまさって
いるからだ。

  一つのよき献策はしばしば多くの手にまさる。
               (エウリピデス『アンティオペ』)

百姓だけ集まっても、発見や発明はできぬ。手が遊んでいると、頭が働くようになるのだ。芸術や科学
はそもそも贅沢の子供であり、贅沢という金主に借金を返してゆくのだ。科学は、機械工学・物理学・
化学などのすべての部門において、テクノロジーを完成した。それは現代において機械を昔では想像も
できなかった水準にもちあげ、とりわけ蒸気機関や電気によって、昔の人なら悪魔のせいにしたと思わ
れるほどのことをやっている。今日ではあらゆる種類の工場や手工業において、ときに農耕において
も、機械のはたす仕事はたいへんなもので、いま遊んでいる裕福な連中・インテリ・頭脳労働者の総力
を結集しても、したがってまたあらゆる贅沢をやめて、すべての人が百姓の生活を送ることにしても、
とうてい問題にはならぬのだ。こうした企業の製品は金持ちにだけ役立つわけではなくて、すべての人
が恩恵を受けるのである。

321 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/23(月) 13:32:47.64 ID:vq7l0JGy.net
 昔ならほとんど手のとどかぬような品物が、今日では安く大量に手にはいる
し、最下層階級の生活もいちだんと快適さを増してきている。中世期ではイギリス王も、フランス大使
に謁見を給うさいに、貴族のひとりから絹の靴下を借りたものだ。エリザベス女王でさえ、一五六〇年
のお年玉に絹の靴下を一組はじめてもらったときには、びっくりしてひどく喜んだものだ(ディズレー
リ、第一巻三三二頁)。ところが今日ではそれくらいのものはどんな売り子でも持っている。五十年前
に貴婦人の着た更紗の服は、いまでは女中が着ている。この調子で機械がいましばらく進歩すれば、人
間が力を労することはほとんど完全にまぬかれるところまで行きつけるであろう。現に馬力の大部分は
すでにそうなっているのだ。そうなればもちろん、人類全体に精神文化が及ぶことも考えられよう。人
類の大部分の者が肉体的重労働に従わねばならぬかぎり、そういうことは不可能な話である。というの
は、つねにどのような場合にも、一般的にも個別的にも、刺激性の筋力と感受性の神経力は敵対関係に
あるからだ。つまり両者の根底にある生命力は一定しているためだ。さらに「芸術のわざは風習をやわ
らげる」と言われるとおり、やがて大にしては戦争、小にしてはなぐりあいや決闘も、おそらく完全に
この世から姿を消すっであろう。あと二つはすでに今日、はるかに珍しくなっている。しかしここでユ
ートピアを描きだすことが、わたしの目的ではないのである。――

 しかしこれらの理由を別としても、贅沢を廃してあらゆる肉体労働を均等に分けるべきだという右に
述べたあの論拠に対して一考すべきことは、人類という大集団は、いついかなる場合にも、それぞれの
問題に応じて、さまざまな姿で、指導者、指揮者、助言者をかならず必要とするということだ。裁判
官・統治者・将軍・官吏・牧師・医者・学者・哲学者といった人たちがこれにあたる。こうした人たち
はすべて、大多数の、まったく能力のない、倒錯した連中を人生の迷路をつきぬけて案内する使命をお
びている。したがってこうした人たちは、めいめいそれぞれその地位と能力に応じて、その視野に広い
狭いはあっても、人生の見通しをもっているのである。こういう指導者が肉体労働から解放されるとと
もに、卑俗なことの欠乏や不便にわずらわされないということ、それどころか、その大きな仕事の程度
に応じて、普通の人より所有や享受の点でまさるものがなければならないということは、当然・至当の
ことである。大商人でさえも、彼らが国民の需要の見通しをつけてこれに応じるかぎり、労働を免除さ
れるあの指導者階級に数えいれるべきである。


   第一二六節

 主権在民の問題はつきつめたところ、およそだれかが根源的に、ある国民をその意志に反して支配す
る権利をもちうるかどうかという点に帰着する。そういうことが筋を通して主張できるとはわたしは思
わない。ともかく国民に主権はある。しかしこの主権者は永遠に未成年の主権者を、いつまでたっても
後見を受ける必要があり、自分で自分の権利を行使すれば、かならず無限の危険をまねく。とりわけこ
の主権者は、すべての未成年者と同様、扇動政治家とよばれる術策にとんだぺてん師に簡単に乗じられ
るのである。――

 ヴォルテールは言う、「最初の王は運のいい兵隊だった」と。

 もともとすべての君主はなるほど常勝の将軍であった。そしてこの特性を生かして長いあいだ支配し
てきたのである。常備軍をもつようになると、彼らは国民を、自分ならびにその兵士たちを養ってゆく
手段とみた。つまり面倒をみるのは、毛や乳や肉をださせるためといった一種の畜群と見ていたわけ
だ。これは(次の第一二七節で詳論するように)もともと、つまり本性上、この世で幅をきかすのは正
義ではなくて暴力的権力ということ、第一占有者の特権はあらゆる正義に優先するということに
もとづく。

322 :ミリンダ=ブランティーニ中尉:2015/11/23(月) 13:33:06.83 ID:3F6a30fV.net
>>314
赤い口紅、薄い水色の服の

323 :かわべり∩ ・Д・ ) ◆GAMiBjuEH6 :2015/11/23(月) 13:33:15.39 ID:WquBRut5.net
>>279
RVHやイードとか、聞いたことも無い所や、
第一カッターやらガーラやら聞いたことは有る程度のマイナー銘柄もあるけど、
KDDIやら日産、日本航空、三越伊勢丹も建ててるんだおね。謎が多い。

324 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/23(月) 13:33:21.25 ID:vq7l0JGy.net
 したがってこの権力は絶対に破棄できず、この世から片づけるわけにはいかないもので、い
つでもこれを代表する者がなくてはならない。権力が正義の側に立って、これと結びつくというような
ことは、ただ要望できるだけである。そこで君主はこう言うのだ。「わたしはおまえたちを支配する。権
力によってだ。わたしの権力は他のすべての権力を排除する。なぜならわたしは、わたしの権力となら
ぶいかなる権力にもがまんできないからだ。外からやってくる権力であろうと、国内において甲が乙に
対して有する権力であろうと、わたしは甘受できない。おまえたちは権力をこういうものとして納得せ
よ」と。こういう仕上げができてしまうと、時の進むにつれて、王権はまったく別のものになってしま
い、暴力的権力といった概念は背景にしりぞいてしまって、たまにそれがちらつくと亡霊のように見ら
れるまでになる。暴君といったイメージに取ってかわって、国君、すなわち国の父という概念があらわ
れる。かくて国王は、あらゆる法的秩序、したがってまたすべての人の権利がそれに支えられることに
よってのみ存続できるといった、確固としてゆるぎない大黒柱になってしまう。さてこういうことがで
きるというのも、国王には生得の特権があるからにほかならない。この特権は、いかなる権威も匹敵で
きないような権威を、国王に、しかも国王にのみあたえる。この権威を疑ったり攻撃したりすることは
できない。いやそれ以上に、すべての人が本能的にこれに従うのだ。さてこそ君主が神の恵みを受けて
「天佑を保全する」とよばれるのは当然であり、つねに国家において最も役立つ人物であり、どんな無
鉄砲な王室費を計上しようとも、その功績にむくいるにはじゅうぶんではないということになるのだ。

 ところでマッキャヴェッリは最初に述べたあの中世期的概念の君主から断固としてその論を展開して
おり、自明のこととしてこれを説明することなく、暗黙の前提として、その上に彼特有のさまざまな助
言を基礎づけている。一般に彼の本は、当時まだ幅をきかせていた実践を理論に遡及し、体系的に首尾
一貫して論述したもので、まさにその理論的形式と完成によってきわめて辛辣な趣を呈することになっ
たのだ。――ついでに言えば、ラ・ロシュフコーの不滅の書についても、辛辣ということは言えるが、
その主題は公の生活ではなく私的生活であり、その内容は献策ではなく感想である。いずれにしてもこ
のすばらしい本の表題には文句をつけることができよう。それは大部分「箴言」でもなければ「反省」
でもなく、ただの「落想」だからだ。したがって「アペルシュー」とでも題すべきところだろう。
――それはそうと、マッキャヴェッリにも私的生活に応用できるものはいくらでもある。


    第一二七節

 正義自体は無力である。本来のさばるのは暴力的権力なのだ。ところでこの権力を正義に導き、権力
手段によって正義が行なわれるようにすること、これこそ統治術、すなわち政治の問題なのである。そ
してこれはたしかにむずかしい問題だ。ほとんどすべての人の胸のうちに無限の利己主義が巣くってい
ることを考えれば、これが難問題であることがわかろう。しかも、たいがい利己主義に加わってくるの
は、たまりにたまった憎悪と悪意のたくわえで、「憎しみ」のほうがもともと「愛」をはるかに凌駕す
るのだ。さらに考えられることは、こういう性質をもった何百万という個人を、秩序・平和・安寧・合
法といった枠のなかにおさえようというのである。ところが各人は、もともとどんな人にむかっても
「おたがいさまじゃないか!」という権利をもっているのだ。こうしたことをじゅうぶん頭においてみ
れば、現に見られるように、世の中がともかく全体として平静・平和に、正しくまともに動いているこ
とに驚かざるをえない。しかもこのことは、なんといっても国家というからくりひとつで達成されてい
ることなのだ。――

325 :空腹 川∂д∂川 ◆boczq1J3PY :2015/11/23(月) 13:33:26.48 ID:PV64qNtJ.net
なぜ他人のふり?w

326 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/23(月) 13:33:47.57 ID:vq7l0JGy.net
 というのは、直接に効果的なのはいつでも肉体的暴力というやつだ。普通の人間が
受けいれて考慮を払うのは、これだけなのである。このことを経験によって確かめてみたければ、いっ
さい強制しないという条件で、利害に反してでも理性や正義や公平を守るべきだなどと、口をすっぱく
して普通の人間に説いてみることだ。返事に帰ってくるのは嘲笑くらいであろう。ただの道徳力だけで
は無力なことが、いやというほどわかるだろう。つまり考慮が払われるのは肉体的暴力だけなのだ。と
ころがこの力はもともと大衆のものだ。そもうえそのお相手をつとめているのが、無知・愚鈍・無法と
三拍子そろっている。したがってさしずめ統治術の課題は、こういう困難な事情のもとで、それにもか
かわらずこの肉体的暴力を精神的優越性である知性に従わせ、これに役立てることである。しかしこ
の精神的優越性が正義ならびによき意図と組んでいない場合には、それがうまく運んだとすると、そう
いう仕組みの国家はあざむく者とあざむかれる者とからなる、という結果になる。しかしこのことは、
どれだけ大衆の知性化を妨害しようとしても、大衆の頭が進んでくれば、しだいに明るみに出てくるこ
とで、結局は革命に行きつくわけである。これに反し正義ならびによき意図が知性の側についている場
合には、人間の世界の尺度からは、完全な国家ができることになる。この場合、非常に役立つことは、
正義ならびによき意図が事実としてあるというだけでなく、これを公表・周知せしめ、公の批判と検討
にまかせることである。しかしこのさい、多数の者が参画することによって、国家が内外に対して働き
かける必要な権力の中心点が、その集中と力の点でマイナスにならぬよう、用心しなければならな
い。現にこのことは、共和国においてほとんどつねにみられることなのだ。以上すべての要請に国家の
形式をとおしてこたえることが、したがって統治術の最高の課題であろう。しかし現実においては、統
治術は、その素材としてそれぞれの国民的特性をそなえた所与の国民を念頭におかねばならぬのであっ
て、この仕事が完全にはこぶかどうかには、この素材の性質がつねに大きな影響力をもつだろう。

 国家共同体に不正の残存することができるだけ少なくなるていどに、統治術が以上の課題を解決する
ならば、それだけでもつねにたいしたことであろう。なぜなら、不正が影も姿もなくなるなどというこ
とは、ただ近似的にしか達成できない理想的目標にとどまるからだ。というのも、一方で不正を片づけ
れば、他方からまたしのびこんでくるからで、不法ということは深く人間の本性にひそんでいるからに
ほかならぬ。われわれは憲法の人為的形式と法の完備によって、あの目標に到達しようと努めているの
であるが、これはしかし百パーセントには近づかぬ一種の漸近線にとどまるのである。というのも、法
律の条項の概念をどんなに確定してみても、個々の場合すべてをつくすことはできず、ひとりひとりの
個人的場合に及ぶことは不可能であって、それはいわばモザイクの石ていどに近づけられるものの、と
うてい絵筆のニュアンスまでは出すことができないからである。そのうえ、政治においては、すべて実
験は危険である。なにぶん相手はいちばん扱いにくい素材、すなわち人間であり、その取扱いは爆発す
る雷金の扱いとほとんど同じくらいに危険だからだ。この点で、出版の自由が国家機関に対してもつ意
味は、安全弁が蒸気機関に対するのと同様である。というのは、どういう不平・不満も、出版の自由が
ありさえすれば、ただちに言葉で発散させることができ、それどころか、材料があまりない場合には、
言葉だけで種切れになるからだ。しかし種が多い場合には、機を失せずそれを看破し、はけ口をつけ
てやるがよい。不平をむりやり閉じこめ、それが卵をかえし、発酵し、煮えたぎり、伸びほうだいに伸
びて、ついには爆発するよりも、このほうがはるかにうまくいくのだ。――他方、出版の自由は毒物販売
の許可のようなものとみるべきだ。毒物といっても精神と気分に対する毒物だ。というのは、知識も判
断ももたない大衆の頭にどんなことが浮かぶか、わからないではないか。とりわけ目先に利益や儲けと
いったことをちらつかせる場合、なにを考えだすかわかったものではないからだ。

327 ::2015/11/23(月) 13:33:48.97 ID:o+/ioXbo.net
>>316
冬の日本海の特集なんてあったら
身を投げたくなる

328 :かわべり∩ ・Д・ ) ◆GAMiBjuEH6 :2015/11/23(月) 13:33:49.85 ID:WquBRut5.net
>>295
っNG

329 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:33:59.08 ID:DcpPJ31F.net
>>321
波状攻撃が効いてきたみたいだな
さあ、現実を見つめろ

330 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:34:05.83 ID:FSIrNaSj.net
>>322
好きだなああいうのw

331 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:34:07.15 ID:Fihup32K.net
ゆうきリーダの資産破綻セミナー会場はここですかぬ?

332 :早寝 ◆PR6K0R6pOM :2015/11/23(月) 13:34:11.24 ID:fe7a0iWu.net
>>319
らじるじるで東京に切り替えても同じっぽいけど。

333 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/23(月) 13:34:15.20 ID:vq7l0JGy.net
 いったんなにかをこの頭に吹きこんでしまえば、どんな非行・犯罪もできないことはないではないか。
だからわたしは、出版の自由は危険のほうがその利点をうわまわることになりはしまいかと、非常におそ
れるものである。とりわけどんな苦情でも法的に訴える道が開かれているから、なおさらである。いずれ
にしても出版の自由は、いっさいの匿名を厳に禁止することを条件にすべきであろう。――

 一般的に次のような仮説を立てることができよう。つまり法は、純粋に遊離して析出することのでき
ないある種の化学的物質と似た性質をもっている。この物質は、担体の役割をはたしたり、あるいは必
要な濃度をあたえてくれるごく微量の混ぜものを要するのだ。たとえば弗素、アルコール、青酸のたぐ
いだ。法もこれと同じことで、現実の世界に根をおろして支配しようとするからには、気まぐれや暴力
といったものをほんの少しつけ加えることがどうしても必要だ。法本来の性質は、純粋に理想的な、つ
まりエーテルのようなものだが、この現実の物質的世界に存立して作用を及ぼし、ヘシオドスに見られ
るように気化してこの世から天上へ飛んでいかないためには、その必要がある。すべての生得権・相続
特権・国教そのほか多くのものは、こういうやむをえない化学的塩基もしくは合金とみなすべきであろ
う。この種の恣意的にきめられた基礎のうえに立ってはじめて、法も流通し、矛盾なく施行できるであ
ろう。いってみれば、こういう基礎は法の「立つべき場所」であろう。

 リンネの人為的な恣意的に選ばれた植物体系を自然の体系でとりかえることはできない。たとえ自然
の体系がどれだけ理性にかなっていようとも、またじつにしばしばそういう体系がこころみられたにし
ても、それはできないのである。というのは、自然の体系には、恣意的・人為的体系のそなえているあ
の概念規定のしっかりした確実さがないからである。同様に、右に示唆したような憲法の人為的・恣意
的基礎を純粋に自然的な基礎でとりかえることはできない。自然的基礎は上述の諸制約を非難して、生
得の特権のかわりに人格的価値こそ特権をもつべきだとし、国教のかわりに理性的探究の成果をすえよ
うなどとするものだ。こうした言いぶんがどんなに理性にかなっていようとも、そこには国家共同体の
安定性を確保する、あの諸規定の確実さが欠けているのである。たんに抽象的な法だけが具体化されて
いるような憲法は、立派は立派でも、なにか人間以外の存在のためのものであろう。というのは人間の
大多数は、きわめて利己主義的で不正であり、思いやりもなければ嘘もつき、ときには邪悪でさえあ
り、知性などろくにそなえていないからだ。さてこそ一身に権力を集中した人間、法や規則に超然とし
てなんの責任ももたぬ権威、すべてのものがそれに屈服する権力、いちだんと高い存在とみなされる、
いわゆる天佑を保全せる支配者が必要になってくるわけだ。こうしてはじめて、人類は長期にわたって
制御・支配されうるのである。

 これに反して、北アメリカの合衆国では、こうした恣意的基礎をすべて完全に排除して処理しようと
する試み、すなわちまったく混ぜもののない、純粋・抽象的な法を施行しようとする試みがなされてい
る。しかしその成果はかんばしくないのだ。というのは、この国は物質的に繁栄しているにもかかわら
ず、低劣な功利主義が支配的志操としてのさばっており、これにはかならずつきまとう相棒の無知が、英
国教会的な偏狭な頑信、おろかなうぬぼれ、ばかばかしい女性崇拝と組んだ残忍な粗暴さといったもの
のお先棒をかついでいるのである。さらにもっと始末のわるいことが一般的に行なわれている。すなわ
ち、罰あたりな黒人奴隷制、奴隷に対する極端な残酷、自由な黒人に対する不法な抑圧、リンチ法、頻
発するにもかかわらずしばしば処罰されないで終わる暗殺、ひどく残忍な決闘、ときには公然たる法の
無視、公債の支払い拒絶、詐欺同然の腹立たしいくらいの隣接した州の政治的接収、その結果として起
こる富める隣国への貪欲な掠奪行、それをまた最高の筋が、その国のだれもが嘘と知っていて笑ってい
るような出まかせで弁護すること、いよいよ高まってゆく衆愚政治、右に述べたような上層部の法の無
視が一般の道徳性に及ぼす結果としての堕落といったことどもである。

334 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/23(月) 13:34:36.87 ID:vq7l0JGy.net
 そういうわけで、この地球の裏側における純粋な法形態の見本は、共和国の肩をもつものでなく、いわ
んやこれを模倣したメキシコ、グァテマラ、コロンビア、ペルーにとってはさらに黒星である。共和国と
いうものにつきまとうまったく特別な、いわば逆説的な不利のひとつは、共和国においては卓越した頭脳
の持ち主が高い地位につい直接政治力を及ぼすようになることが、君主国におけるよりは困難であるとい
う点だ。というのも、偏狭・薄弱・平凡な頭のやつらが、それこそ断然、いつもあらゆる場合に、そして
あらゆる関係において、卓越した頭脳に対して天敵同然に謀反をおこし、あるいは本能的に結託し、すぐ
れた人物に対するその共通した恐怖によって大同団結をむすぶからである。このつねに多数を占める馬鹿
者どもの集団には、共和体制の場合、卓越した人物たちを抑圧し閉めだし、これらすぐれたものたちに凌
駕されまいとすることは、容易に成功するであろう。なにぶんここではもともと同権で、しかもつねに五十
対一となるからだ。これに反し、君主政体では、どういう場合にも当然おこるこの団結、すなわち愚かな者
がすぐれた者に対して徒党を組むということが、あることはあるけれども、それはたんに一方的に、下から
起こるだけで、上からは理性と才能が自然なとりなしと保護者を見いだすのである。というのは、まっ
さきに君主そのひとの地位はあまりに高くかつ堅固であるから、およそだれかと競争しなければならな
いといった心配はいささかもいらない。そのうえ君主自身は国家に奉仕するにあたって、自分の頭だけ
ではじつに多方面にわたる要請にとうていこたえることはできぬから、その頭脳よりもむしろその意志
を働かせるのである。すなわち君主はつねにひとの頭を使わねばならない。そして当然のことながら、
自分の利害が国の利害としっかりからみあい、不可分・一体となるように顧慮して、自分にとっていち
ばん役に立つ道具である最上の頭脳を優先的にえらび、これに目をかけることになる。ただしそれは人
材を見つける能力あっての話であるが、誠実にさがせば、これはたいして困難なことではない。

 同様に大臣たちも声望のある為政家たちをいちだんと抜いているゆえ、これを嫉視するはずもなく、君主
の場合と同様の理由から、すすんですぐれた頭脳を抜擢し、その力を利用するために活躍させるであろう。
このようにして君主政体では、悟性が、いたるところにいるその仇敵、すなわち愚昧さをおさえる好機を、
共和政体よりも見つけやすいのである。これはしかし大きな長所だ。

 一般に君主政体のほうが人間には自然な政治形態だ。蜜蜂や蟻・空を渡る鶴・移動する象・掠奪のた
めに群をなして集まった狼・そのほかすべてなにか事をなす場合に、一匹だけを先頭に立てる動物に、
この形態が多く見られるのとほとんど同じといってよい。そのうえ人間の場合も、すべて危険を伴う企
図、たとえば行軍とか船舶はかならず一人の指導者に従うのである。どのような場合も、指導する意志
は一つに限られねばならない。動物のからだでさえ、独裁君主的体制をもっている。つまり頭脳だけが
すべてを牛耳る支配者、ヘゲモニーを握る指導者なのである。たとえ、からだ全体が存立してゆくには
心臓・肺臓・胃がはるかに寄与するところ多いとはいえ、これら俗人どもに比すべき器官は、なんら指
揮・指導することはできぬのである。それは頭脳だけの問題であり、すべて指揮はただ一つの点から出
発しなければならぬ。太陽系でさえ独裁体制をもっている。これに対し共和体制は人間にとって自然に
もとるものであり、いちだんと高い精神生活、つまり芸術や科学にとっても不都合なものである。以上
すべてのことに応じて、古今東西、全地球上において、文明が進んでいようと野蛮であろうと、あるい
はまたその中間段階にあろうと、いろいろな民族がいつでも君主体制で支配されているのが見いだされ
るのである。

   多頭政治は便利なものではない。唯一の支配者、
   ただひとりの王があるべきだ。
                    (ホメロス『イリアス』二の二〇四)

335 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/23(月) 13:34:55.51 ID:vq7l0JGy.net
 君主体制的本能が人間にもともとあって、ただひとりの人を自分たちにふさわしいものとして君主に
祭りあげるということは、もしなかったとしたら、何百万、いな億という人たちが、あらゆる時代に、
いたるところの国で、たったひとりの男に服従し、ときにはたったひとりの女性、暫定的にはたったひ
とりの子供にさえ唯々諾々として従うなどということが、どうしてありえようか。なぜなら、これは考
えてできたことではないからだ。どこでも王はひとりときまっており、しかも普通は王位は世襲的に継
承される。王はいわば全国民の人格化、あるいは頭文字であり、王において国民は個性をもつようにな
るのだ。この意味で王は「国家、それはわたしである」と言って当然なのである。だからこそシェーク
スピアの歴史劇においても、イギリス王とフランス王はたがいにたんに「フランス」あるいは「イギリ
ス」と呼びかけ、(『ジョン王』第三幕・第一場では)オーストリア公に「オーストリア」の一語で話し
かけているのが見られるのであって、いわばたがいに自分をその国民性の権化と見ているのである。こ
うして君主制はまさに人間の本性に適しているのだ。だからこそ世襲君主は、自己とその家族の安全を
国家の安寧と不可分なものと見るのである。これに反し選挙による首長の場合は、たいがい二つが分か
れるのである――教会国家を見よ。シナ人は君主制しか知らず、共和制がどんなものであるか、ぜんぜ
ん理解できないのだ。一六五八年、オランダ公使がシナに赴任したとき、オランイェ公をオランダ王と
して説明せざるをえない破目になったものだ。そうしないとシナ人は、オランダなど首長をいただかな
いで生活している海賊の巣とでも思いかねなかったからだ。(ジャン・ニュホフ著『シナ帝国派遣諸国
連合東洋商会の使節』ジャン・ル・シャルパンティエ訳、一六六五年ライデン発行、第四五章参照。)
――ストバイオスは「君主政体が最上のものであること」という見出しをつけた独特の一章で、古代人
が君主政体の長所を説明した最上の個所をいろいろと集めている。共和政体はまさに反自然的であり、
人為的にこしらえたもの、反省に由来するもので、したがって全世界史をつうじてまれな例外とし
て出現するだけである。

 すなわちギリシアの小型共和国、ローマおよびカルタゴがそれで、これらはす
べてその人口の六分の五、ひょっとすれば八分の七までが奴隷だったという特殊事情がつけ加わる。共
和国アメリカ合衆国も一八四〇年に一千六百万の人口に対し、三百万からの奴隷をかかえていたではな
いか。そのうえ、古代の共和国の存続期間は、王政のそれにくらべれば、非常に短かったのである。
一般に共和政体は打ち建てるのはやさしいが、維持するのは困難であり、君主政体にはまさに逆のこと
があてはまるのだ。

 ユートピア的計画を求められるなら、わたしはこう言おう。この問題の唯一の解決は、最も志操の高
い男性たちを最も賢明にして才気煥発の女性たちと結婚させ、生殖の方法によって生みだされた真のア
リストクラシー、生粋の貴族に属する聡明で高貴な人たちが専制政治を行なうことであろう、と。この
提案はわたしの「理想郷」であり、プラトンのそれに相当するわたしの「国家」である。

 立憲君主はエピクロスの神々にひどく似ている。すなわち人間界のことには口ばしをはさまず、なん
ら煩わされることのない平安と至福のうちに、上のほうの天国に鎮座ましますのだ。ところが断然これ
がいまや流行となって、ドイツのほうぼうの小粒の君主国に、英国型憲法の真似事が上演され、上院・
下院から人身保護令・陪審制度まですっかりそろえるしまつだ。こうした形式は、イギリスの国民性な
らびにイギリスの事情に由来し、またそれを前提としてはじめて、イギリスの国民には適当なものであ
り、また自然である。それはちょうどドイツ民族には多くの部族に分かれていることが自然なのと同様
だ。ドイツの諸部族は、まことに数の多い、実施に政務をみる王侯のもとにあり、頭には皇帝をいただ
いて、この皇帝は内には平和を保ち、外にはドイツ帝国の統一を代表している。こういう形式がドイツ
民族にとって自然だというのも、それがドイツの国民性とドイツの事情に由来しているからだ。ドイツ
がイタリアの二の舞いを演じたくなかったら、仇敵ナポレオン・ボナパルトによって廃された帝位をで
きるだけ効果的に復権すべきだというのがわたしの意見である。

336 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:35:09.58 ID:dYo+YJH2.net
>>332
三昧は全国放送ですよ

337 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:35:25.43 ID:DcpPJ31F.net
>>326
苦しくても自分と向き合うんだ!
さあ、頑張って

338 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/23(月) 13:35:25.38 ID:vq7l0JGy.net
 なぜならドイツの統一はこの帝位にか
かっているのであり、これなしには統一といってもただ名ばかりであるか、あるいはおぼつかないと思
うからだ。といってもわれわれは、皇帝の選挙に真剣にとりくんだギュンター・フォン・シュヴァルツ
ブルクの時代に生きているわけではもはやないから、帝位の冠は一代かぎりの条件でオーストリアとプ
ロイセンに交互に渡すべきであろう。小国家群の絶対主権などというものは、いずれの場合も、絵にか
いた餅だ。ナポレオン一世がドイツに対してやったことは、オットー大帝がイタリアに対してやったこ
と(『略奪されたバケツ』の註解を参照)とまったく同じで、つまり「分割して統御せよ」の原則にも
とづいて、独立した多数の小国に分けたのだ。――

 イギリス人が昔からの制度・風習・慣習を神聖なものとして変えず、そのねばり強さを極端に押しす
すめて笑いものになるのも辞さないという点に、彼らの頭のよさが示されている。というのは、こうし
たものはのんびりした頭のなかで孵化されたものではなくて、徐々に周囲の力と生活の知恵から生いたっ
てきたもので、したがって国民としての彼らにうってつけのものだからだ。ところが愚直なドイツ人は
先生から「英国式燕尾服など一着に及んで闊歩しなくちゃだめさ。断然、似合うよ」などと吹きこま
れると、親父の反対を押しきって手にいれたはよいが、まことにぎこちなく、ぎくしゃくとして、その
かっこうは笑止千万なのだ。ところでこの燕尾服というのが田舎者のドイツ人には窮屈きわまるものだ
が、その最たるものが陪審制度だ。これは読み書きができれば死刑も免除されたような未開のイギリス
の中世紀、アルフレッド大王時代からあるもので、刑事裁判で最もやっかいなしろものだ。というの
は、こそどろ・人殺し・ぺてん師がたくらんだ罠や仕掛けを日夜解くことで頭も白くなり、こうして事
件の手がかりをつかむことを覚えた腕ききの学問もある判事にとってかわって、仕立て屋や手袋屋と
いった面々が裁きの席にすわり、その遅鈍・粗野・とんまで不慣れな頭をひねり、それどころか小一時
注意を集中する習慣さえないのに、知恵をしぼって、欺瞞と見せかけの目もくらむような織物のなかか
ら真実を見つけだそうというのだからだ。おまけにそうしているあいだにも、商売の布地や革のことも
考えねばならず、家へ帰りたくてうずうずしており、いわんや蓋然性と確実性の区別などちんぷんかん
ぷんで、むしろ一種の確率をそのにぶい頭に打ち建て、それによって平然としてひとさまのいのちを断
つのである。彼らにあてはまるのはサムエル・ジョンソンの言葉だ。彼はある重要な問題でひらかれた
軍法会議にあまり信を置かず、こう言っているのだ。すなわち、この軍法会議に陪席した者のうち、お
そらく、ただのひとりも、その生涯において、蓋然性をつらつら考えることでただの一時間も送った者
はあるまい、と(ボズウェル『ジョンソン伝』一七八〇年の記事。ジョンソンの年齢は時に七十一歳)。
しかしこういう連中こそ不偏不党だ、と言う意見もないではない。――あそこにいるあの「あさまし
い民衆」がそうだというのか。まるで一方に偏する執念は、被告と身分の同じ者の場合よりも、被告と
完全に縁のない、まったく別の領域で暮らしている判事、職務の名誉を自覚している解任できない刑事
事件の裁判官のほうがひどいような話ではないか。ところで国家ならびにその首長に対する犯罪や出版
法違反の罪まで陪審制度でさばくなどということは、文字どおり猫に鰹節の番をさせるものだ。


   第一二八節

 いたるところ、あらゆる時代に、政府や法律や公の機構に対する不満が絶えたことはない。しかしそ
れは大部分、人間の生活に不可分離にくっついてくる悲惨、神話的にいえば、アダムが受けた呪いであ
り、アダムとともに人類全体が受けた呪いともいうべき悲惨を、いつでも政府や法律などのせいにする
からにほかならぬ。しかしそういう誤ったなすりつけを「いまどき」の民衆煽動家以上に、嘘っぱち
の鉄面皮なやりかたでやったものはない。彼らはキリスト教の敵としての楽天主義者なのだ。

339 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:35:38.65 ID:FSIrNaSj.net
>>332
ああすまん三味線にみえた

340 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/23(月) 13:35:56.79 ID:vq7l0JGy.net
世界は彼らにとって「自己目的」であり、したがってそれ自体において、すなわちその自然な性質のうえ
で、完全にすばらしくできあがっているのであり、至福の棲み家である。これを打ち消すような世界の巨
大な禍を、彼らはすべて政府の責任に帰するのだ。政府がその責任さえはたしておれば、地上に楽園が出
現し、万人がなんら苦労しないでもたらふく食い、鯨飲し、おたがいに宣伝しあったうえ、くたばること
ができるというのだ。じつはこれは彼らの称する「自己目的」をわたし流に言いかえたもので、彼らが
はなやかなきまり文句で倦むこともなく唱えている「人類の無限の進歩」の目的とするところなのだ。


    第一二九節

 昔は王冠を支えるおもなつっかい棒は信仰だったが、いまは信用だ。教皇ご自身でさえ、彼の債権者
が自分を信用してくれることよりも、彼の信者が自分を信頼してくれることのほうがよけい気にかかる
などということは、ほとんどあるまい。昔は世の咎(シュルト)を嘆いていたものだが、いまは世の借金
に目をそそいで、おじけづくのだ。昔は世界最終審判という予言があったが、いまは大がかりな債務の
免除、一般的な国家財政の破綻といった予言がなされる。しかし、自分だけはそういう目に会うまいと
あてにしていることは、まえの場合と同様だ。


    第一三〇節

 所有権(占有権)は倫理的にも合理的にも生得権とは比較にならないくらいうまく基礎づけられるに
しても、じつはこの二つは親類筋のもので癒着している点がある。だからこれを切り離すと、所有権が
あやしくなる可能性がある。というのは、たいがいの所有は親ゆずりのもので、つまり一種の生得権だ
からだ。現に昔の貴族はその世襲地の名を名乗っていたが、つまり名前でその所有をあらわしていたわ
けだ。――だからすべて有産者は、生得権をもっている人を羨んだりしないで、少し頭を働かせて、生
得権支持にまわるべきだろう。

 一面には王の所有権を、他面では王の生得権を支持する助けになっているというのが、貴族がはたし
ている二重の効用である。というのは、王はその国における貴族の筆頭で、したがってまた普通は貴族
たちを身分の低い親戚として扱うのであり、どんなに信任が厚かろうとも、ただの平民とはぜんぜん別
の扱いをするのだ。その祖先がたいがい自分の祖先の第一の奉仕者であり、つねに側近であった者たち
に対して、王がより多く信頼を示すことは、これまた当然・自然な話である。だから貴族がなにか疑い
をかけられて、自分の忠誠と帰依は変わらないと王に誓うような場合に、自分の名を引き合いにだすこ
とも当然である。わたしの読者にはおなじみのことだが、たしかに性格というものは父親ゆずりのもの
だ。その息子であるくせに、そのことを見ようとしないのは、愚かで笑止なことだ。

341 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:36:06.53 ID:FSIrNaSj.net
生稲晃子47かまだまだいけるな

342 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/23(月) 13:36:50.29 ID:vq7l0JGy.net
>>311
じゃあ皇室予算を大幅減額して京都で蟄居してろ。はっきり言って不愉快だ。

343 :早寝 ◆PR6K0R6pOM :2015/11/23(月) 13:37:15.51 ID:fe7a0iWu.net
>>336
やっぱりそうだよね。

344 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:37:39.82 ID:bWYnBNko.net
>>342
お前が日本を出ていけ。

345 :かわべり∩ ・Д・ ) ◆GAMiBjuEH6 :2015/11/23(月) 13:37:50.59 ID:WquBRut5.net
>>331
それはツイッターに異動しました。

346 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:37:59.36 ID:W5z8bFvx.net
靖国で別の不審物も・・・

347 ::2015/11/23(月) 13:38:19.30 ID:o+/ioXbo.net
ユニクロあいかわらず生協だぬ

348 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/23(月) 13:38:28.09 ID:vq7l0JGy.net
「日本国民は反省しなければならない」という発言は、アメリカ大統領が同様の発言をして、
退役軍人もそれに同意した時だ。だが残念ながらそういう段階にはまだ至っていない。

349 :早寝 ◆PR6K0R6pOM :2015/11/23(月) 13:38:34.36 ID:fe7a0iWu.net
>>339
邦楽百番ちゃう

350 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:38:37.63 ID:ujC28ppK.net
チョンもISみたいに犯行声明出せよ

351 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:38:51.75 ID:Fihup32K.net
>>345
そうでつか

352 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:38:53.52 ID:FSIrNaSj.net
AQUOSCMきゃりーぱみゅぱみゅのみて買おうと思うかよ
ばかかよシャープは

353 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:38:58.81 ID:dYo+YJH2.net
>>347
買い物するのに出資金がいるんですか

354 :幸ちゃん ◆m9SwOOeiO5OB :2015/11/23(月) 13:39:19.51 ID:vq7l0JGy.net
>>344
秋篠宮一家はタイに亡命すれば? もう日本に居ても誰からも尊敬なんかされんだろ。

355 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:39:56.38 ID:DcpPJ31F.net
>>342
天皇がイヤなら無視してればよい
おまえが勝手に妄想してるだけだよ。
それができなきゃ、インド奥地のアーリア国にでも行ってろ

356 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:40:03.81 ID:ujC28ppK.net
ユニクロはセール品以外は買わないな

357 :山師さん@トレード中:2015/11/23(月) 13:40:30.52 ID:E04gARWS.net
>>304 イギリス風なんかな
珈琲は家で飲んできたから今日は紅茶にしました

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