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【芸能】梨元麻里奈 父・梨元勝との病室での最後の一家団欒振り返る

1 :砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/:2015/01/31(土) 08:21:57.45 ID:???*.net
芸能レポーターの草分け的な存在だった梨元勝さん。
時として不都合な真実を明かすことがありながらも、謙虚で人間味溢れる人柄から多くの芸能人から愛される希有な存在だった。
だがその一方で、娘の梨元麻里奈さん(34才)とは長く疎遠な関係だったという。

2010年に勝さんの肺がんが見つかり、65才で亡くなるまで、娘としてどんな言葉を交わしたのか。
麻里奈さんが、父との最後の団欒を振り返る。

 * * *

父の体に異変が起きたのは2010年4月末。
咳が止まらず病院を訪れると、肺に白い影が見つかり肺炎と診断され入院しましたが、病状が改善しない。
再入院して肺の組織検査をしたのですが、

「残念ですが、肺がんです」

それが6月2日でした。先生たちからそう告げられたと、母から沈んだ声の電話をもらって、
私は泣き崩れました。でも、泣いてばかりはいられません。

「もしぼくががんになっても教えないでほしい」

若い時から母にそう告げていた父でした。
それが病室で母といるときに告知をされ、がんがステージ?であることも、主治医の先生から宣告されたのです。
母は父の精神状態を心配しましたが、父は意外なほど明るかった。

「大丈夫だよ、すぐに仕事に復帰できるよ」

最悪の状態のステージ?と宣言されても、がんの進行のステージは10まであると父は思っていたみたいです。
完治は無理でもがんと共存していけるとの思いは抱いていたのでしょう。

人のことを言ったり書いたりしてきたのだから、病気になった自分をすべて報告すると、
抗がん剤治療も自分が運営するウェブサイトで逐一伝えたのは、父らしいレポーター魂だと感じました。

「麻里奈、お父さんの代わりに番組に出演してくれないか」

体力的に地方に行くのが難しくなった父に代わり、福岡と愛知のテレビ局の番組に出演し、父から聞き取った話を報告する。
私はそれまで頑なに断っていたレポーターの仕事を躊躇なく引き受けました。父が後ろにいるので、怖さはありません。

「いいね、バッチリだよ、完璧だ!」

抗がん剤の影響で髪の毛が抜けた父は、病室のパソコンで、
私が出演した番組の録画を見ると、満面の笑みでただ私を褒めるばかりでした。
私が代わりに行ってくれたことが嬉しくてたまらなかったんでしょうね。父をサポートしているという充実感はありましたが、
今にして思えばもっと厳しい言葉でダメ出しをしてほしかった。

※女性セブン2015年2月12日号

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150131-00000004-pseven-ent
NEWS ポストセブン 1月31日(土)7時6分配信

32 :名無しさん@恐縮です:2015/01/31(土) 14:42:27.21 ID:aOGVG30wS
徳島駅で見かけた事があるなぁ

総レス数 32
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