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【芸能】ナンシー関のテレビ評論はなぜ、かくも番組の「核心」を突いていたのか?★2

2 :れいおφ ★@\(^o^)/:2015/04/11(土) 08:56:07.88 ID:???*.net
>>1の続き)

ナンシーさんに何とか追いつこう、そう思って始めたのがメディア批評サイト「メディアゴン」である。

ナンシーさんという見巧者がテレビを、特にバラエティを叱ってくれたお陰で、バラエティは面白かった。
ダウンタウンの松本人志はすべてのテレビ評を無視する中で、ナンシー関だけを評価して、対談を望んだ。

ナンシーさんのテレビ評は核心を突くが、核心を突くだけで、ではどうすればよいか、などの建設的な意見はない。

「改革の方法なんか私は知らない、作っている奴が考えろ。」と言うことだろう。

今、筆者は、自らも制作者でありながら他人の作ったテレビを評すると言う行為をやっている。
これに対して、その行為自体がやるべきことではない、という批判があるのはわかっている。
天に唾する行為である。天に吐いた唾は自分の顔に降りかかる。
もう、それでもいいから、批評しようという考えに、今は至っている。

テレビ局では編成マンやウーマンが担当の番組をすべて観てチェックしているはずである。
あるテレビ局にはその番組チェックを専門にやっている部署がある。交代制で、すべての番組を観る。

そして、テロップの漢字間違いや、不適当なナレーションの指摘、不穏当な発言などをチェックする。
時には番組の狙いや構成のあり方に踏み込むこともある。それは文書となって、部署長の決裁を経て各番組責任者に閲覧される。

その部署長だった人物に話を聞いたことがある。部署長はこう言った。

「テレビ局員がテレビ局員を批評するんだから、気を遣わなくてはいけない。
制作者の意欲をそぐような文書になっていたときだけ、僕は、書き直しをお願いすることにしている」
筆者はそれを聞いてはっとした。放送作家が書くテレビ評は、
つまり筆者が書くテレビ評は制作者の意欲を削ぐようなものになってはいまいか?

そんな時はナンシー関さんのテレビ評を思い出す。
ナンシーさんの核心を突くテレビ評は、テレビ制作者の一人である筆者の胸をグサっと突き刺しはしたけれど、
筆者の意欲を削ぐようなことは決してなかった。

その理由は何かというと、ナンシーさんのテレビ評から、
彼女がテレビが大好きだと言うことが伝わってきていたからに他ならない。

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]

(おわり)

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