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【サッカー】フォルラン、ラスト4ヶ月を率いた大熊裕司の起用法について「監督は我々にプレーさせたくなかったのだろうね。」

1 :Egg ★@\(^o^)/:2015/09/07(月) 16:45:21.61 ID:???*.net
ディエゴ・フォルランが日本で過ごした期間は、たった1年半だ。それでもこのウルグアイ人は、セレッソ大阪でローラーコースターのような激動の18ヶ月を経験した。

彼のセレッソ加入はど派手に歓迎された。2014シーズン開幕前、多くのファンやメディアは、セレッソがJ1のタイトルを勝ち取るだろうと見ていた。
しかし6ヶ月経つと、フォルランはリーグで最高年俸を稼ぎ、チームで最多得点を挙げたにもかかわらず、Jリーグにとって好ましくない人物になっていたのだ。

周知のように、輝かしいキャリアを持つフォルランは、イングランドやイタリア、スペイン、ブラジル、アルゼンチンで成功を収め、プレーを楽しんできた。
それゆえサッカーにおいては、物事を個人的文脈でとらえず、恨みを抱かないようにすべきだとわかっている。

ただしセレッソが2部降格となったことで、フォルランは救済者から傍観者に降職した。
マンチェスター・ユナイテッドでプレーしていたこのFWが、セレッソの降格に影響を受けたことは明らかだ。

8月中旬、フォルランはJ2を戦うセレッソとラスト6ヶ月の契約を終え、ペニャロールに移籍するためにウルグアイに帰国していた。
彼は日本で過ごした期間について、ざっくばらんに話してくれた。

フォルランは自分の体験におけるポジティブな点について口にしたが、同時に大阪で満足できなかった点についてもためらいなく明かしてくれた。

「我々はあと2勝していれば、J1に残留することができた」

2014年シーズンのラスト4ヶ月を率いた大熊裕司の起用法について、フォルランは語り始めた。リーグの運命を決する終盤に近づいたとき、大熊はこのスターFWを起用しなかったのだ。

2014シーズン開幕前は大きな期待を抱かせていたセレッソ

「起用されたのは俺ではなく、カカウでもなかった。我々は得点を決めていたが、プレーする機会がなかった。
監督は我々にプレーさせたくなかったのだろうね。もしチームが勝っていれば、こっちから何も言う必要はない。
チームが勝っているならば、黙ってチャンスを待っていればいいだけのことだ。
しかし、その(我々を起用すべきだという提案を口にする)機会は毎週末訪れた」

大熊が監督に就任して以降、フォルランは一度も先発出場していない。
セレッソは取り返しがつかないほど滑り落ちていたにもかかわらず、ラスト12試合で彼は103分間しかプレー時間を与えられなかった。

「我々は降格争いをしている全チームに負けたんだ。こうしたチームに勝利できなければ、J1残留に値しない。それがフットボールだ」

もちろん、これは2014年シーズンの終焉についての話だ。2月に時間を戻すと、この34歳の選手が日本語で90秒の自己紹介をしたとき、可能性の広がりは青天井だった。
セレッソは前シーズンを4位で終えており、山口蛍や柿谷曜一朗という日本で最も評価されるヤングスター二人を擁していた。

そこにフォルラン、そしてJリーグでの経験豊かなランコ・ポポヴィッチを監督として迎え、チームへの期待は自然と高まっていった。
(続きは『フットボール批評07』でお楽しみください)

2015年09月07日(Mon)16時04分配信
http://www.footballchannel.jp/2015/09/07/post106681/

【写真】2014年9月にセレッソ大阪の監督に就任した大熊裕司氏
http://www.footballchannel.jp/wordpress/assets/2015/09/20150907_ookuma_getty.jpg

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