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【サッカー】<ACミラン番記者>本田圭佑が「栄光の10番」を背負うことを大多数のミラニスタは不愉快に思っている

1 :Egg ★@\(^o^)/:2016/10/20(木) 17:38:50.32 ID:CAP_USER9.net
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)

■日本、オランダ、ロシアでは未経験のことを…。

なぜ、本田の幸福指数は天から地に落ちてしまったのだろうか?
 
まずはなにより本田が、“ロシア・リーグ”からやってきた“日本人選手”であったことを忘れてはならない。
セリエAはそれまで彼がいた世界とはかけ離れていただろうし、習慣も違えば、モノの考え方も違う。カルチョの洗礼は予想以上にハードだったはずだ。
 
おまけにやっとチームに慣れてきた頃になると、本田は自分の運の悪さに気付いたことだろう。1
986年から続く長きに渡るシルビオ・ベルルスコーニ統治下のミランの中でも、もっとも最低の時期に来てしまったことに……。
 
ヨーロッパ・カップ戦はなく、チームは勝ったり負けたりを繰り返し、そして監督が次々と変わる。
本田はミランに来てからまだ3年も経っていないというのに、実に6人もの監督に師事しているのだ。

マッシミリアーノ・アッレグリにはじまり、クラレンス・セードルフ、フィリッポ・インザーギ、シニシャ・ミハイロビッチ、
クリスティアン・ブロッキ、そしてモンテッラ。セリエAを18回、チャンピオンズ・リーグを7回も制している超名門とは思えない混乱ぶりである。まるでどこかのプロビンチャ(地方の中小クラブ)だ。
 
もちろん監督が変われば、チーム内の序列が一旦リセットされ、戦術も変わる。
その度に新たなボスにアピールし、信頼を勝ち取る必要がある。日本、オランダ、ロシアでそんな経験をしかたことがない本田にとっては、大きな負担だったに違いない。
 
また、本田にとっては言葉も障害の一つだった。イタリアに来てもうすぐ丸3年を迎える今や、監督や審判、チームメイトの言っていることは大概理解できるし、自分の意志を伝えることもできる。
それでもまだ、彼のイタリア語は初級の域を出ない。相手次第ですぐに英語を使ってしまうからだ。そのため本田はなかなかロッカールームに溶け込めずにいた。
ただ今やすっかりチームに馴染み、チームメイトたちの評判はいいし、その陰日向なく努力するプロフェッショナル魂を評価されてもいる。
 
しかし、監督にとってはそれだけでは十分でない。ここでまた2つの問題が生じてくる。戦術とフィジカルについてだ。
 
本田は本来トレクアルティスタ(トップ下)だが、戦術的に考えるとイタリアで彼がその花形ポジションで生き残るのは難しい。理由は簡単だ。
世界中に認知されている通り、セリエAのディフェンス組織はとにかく強固で、息が詰まるほどハードだ。一瞬遅れただけで、あっという間に3、4人もの敵に囲まれてしまう。
 
言い換えると、トレクアルティスタを担うには本田は、あまりにも思慮深いというか、鈍いのだ。
ボールをストップする、頭を上げる、周囲を見渡してパスを出すのに最適なチームメイトを探す――。正しい動きなのだが、彼はその全てに時間がかかりすぎる。
 
だから監督たちは誰もが、本田をサイドに移した。努力の成果とプロフェッショナル魂をもとに右サイドで戦う術を身に付け、長くレギュラーを担った時期もあった。

一部抜粋

SOCCER DIGEST Web 10月20日(木)16時52分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161020-00019823-sdigestw-socc&p=1

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