2ちゃんねる スマホ用 ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【サッカー】スカパー!専務が漏らした本音とサッカー愛 スカパーのJリーグ試聴契約者数は一度も前年同月数字を下回ったことはない

2 :YG防衛軍 ★@\(^o^)/:2017/01/11(水) 16:32:31.63 ID:CAP_USER9.net
苦しい時期を支えた糟糠の妻

 Jリーグの最も苦しい時期に手を差し伸べたのが、スカパー!だった。

 1993年、ジーコやリネカー、レオナルドら一流選手を迎え入れ、Jリーグは華々しいスタートを切った。地上波テレビのゴールデンタイムで試合を流せば視聴率は20%を超え、各局はこぞってJリーグの試合を放送した。

 だが、わずか1年半ほどでブームは終焉。それ以降、地上波でリーグ戦が放送される機会はほとんどなくなった。日本代表が初出場した1998年のフランスワールドカップ(W杯)、2002年の日韓W杯を経て、国内のサッカー熱は高まったが、それがJリーグ人気の底上げにまでは及ばなかった。

 フジテレビ社員だった小牧氏が、同社がイコールパートナーとして経営参加したジェイ・スカイ・ビー(JスカイB、現スカパーJSAT)に出向したのは1997年のこと。フランスW杯の開催時期に合わせて、スカパー!で延べ放送時間500時間に及ぶ特番を企画、自ら司会者として特番に出演した。

 フランスW杯特番に手ごたえを感じたスカパー!は次の日韓W杯で勝負に打って出た。巨額の資金をねん出し、民放各局の連合体より上位の放映権を獲得。スカパー!でW杯全試合を放送した。その後、セリエAやCL(UEFAチャンピオンズリーグ)の放映権も次々と取得。いわば小牧氏はサッカーをスカパー!の顔に育て上げたキーパーソンなのだ。

 「多チャンネルだから入手した映像をすべて流せるというのが我々の強みだった。当時は世界中からサッカーの映像がスカパー!に集まってきた。放送センターのある青海(東京都江東区)は『東京の都心からは遠いけど、サッカー的には世界に最も近い場所』と言われていたよ」(小牧氏)

 スカパー!と言えばサッカーという世間のコンセンサスが出来上がった2006年。スカパーJSATはJリーグの放送に乗り出すことを決断する。

「サッカーチャンネルを自認しながら自国リーグを放送しないのは本末転倒だよ」

Jリーグ放送の障害だった映像制作

 そう強く申し出たのは、日本テレビ放送網からスカイパーフェクト・コミュニケーションズ(現スカパーJSAT)に転じた田中晃氏だった。田中氏は現在、有料放送WOWOWの社長を務めている。

 だが、Jリーグの放送には高い壁があった。W杯や海外リーグの放送は契約先から送られてくる映像を流せばいいだけだが、Jリーグの場合、放映権を持つ企業が映像制作まで手掛けなければならない。地上波テレビ局と異なり、スポーツの映像制作ノウハウがないことがJリーグの放映権獲得に二の足を踏む大きな理由となっていた。

 田中氏には日テレで箱根駅伝の初代ディレクターを務めた経験がある。箱根駅伝をゼロから作り上げたノウハウをJリーグにも移植すれば、うまくいくと考えたが、日テレとスカパー!では事情が違った。

 「箱根駅伝方式で全国の地方局を集めて制作技術のクオリティコントロールに関する合宿を開いたが、『我々がどうして衛星放送の下請けにならないといけないんだ』という反発が強かった。でも地方局はスポーツ放送のスタッフを抱えていてもなかなか放送する枠がない。スカパー!の下請けに入れば、制作力は上がるし、売り上げも立てられる。そこに気づいてくれてからようやく彼らの意識が変わった」(小牧氏)

 当初、Jリーグ側からも「本当にできるんですか」と半信半疑で見られていたJリーグ放送だったが、試行錯誤の末、スカパーJSATは2006年シーズンにまずはJ2の全試合、翌シーズンからはJ1・J2全試合の放送を実現した。

総レス数 1000
269 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★