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【お笑い】実はコンビを組んでいたピン芸人

1 :アブナイおっさん ★@\(^o^)/:2017/08/05(土) 14:13:12.75 ID:CAP_USER9.net
 バカリズムはかなり特殊な例だ。デビューから一貫して、芸名が“バカリズム”。元相方の松下敏宏さんが芸人引退の姿勢を見せはじめたころから、
升野英知(バカリズムの本名)はピンとしての下準備を開始。松下さんが辞めるときは、バカリズムから“脱退”という形を取った。
それは、バカリズムの魂を升野1人が背負っていくというカッコいいものではなく、単純に、芸歴をそのまま足していきたかったからだ。

 バカリズムと同じで、仕事が予想外の分野に拡充していったのは、宮川大輔だ。
 04年、『人志松本のすべらない話』(フジテレビ系)への出演がきっかけとなり、全国区に出るチャンスを手にした宮川だが、
91年のデビュー時は、星田英利(ほっしゃん。)と“チュパチャップス”というコンビを組んでいた。
 のちに、同期のナインティナイン、雨上がり決死隊ら同世代の吉本芸人たちと、歌えて踊れておもろいアイドル芸人ユニット“吉本印天然素材”(呼称・天素)を結成している。

 同じく、在阪時代はアイドルユニットにも身を置いていたのは、小籔千豊。
 吉本新喜劇の座長として今なお舞台に上がる一方、テレビコメンテーターとしても大忙しだが、93年のデビュー時は“ビリジアン”という漫才コンビだった。
このころ、天素の弟分として誕生したのが“フルーツ大統領”という、吉本芸人6組が合体したユニット。
ビリジアンのほかにCOWCOWも名を連ねたが、低空飛行のまま終幕した。

 ほかにも、ケンドーコバヤシは、元ハリガネロック・ユウキロックと“松口VS小林”、村越周司と“モストデンジャラスコンビ”という2度のコンビ経験を経て、
ピンに転向している。

 ビビる大木は、“ビビる”というコンビ芸人から元相方の大内登が脱退した形で、名前を1人で受け継いでいる。

 陣内智則は、「見ると不幸になる」といわれた“リミテッド”を解散して、ピンに転向。

 さらにさかのぼれば、90年代前半には月亭方正が“TEAM-0”、80年代後半には今田耕司が“ダブルホルモンズ”を解散して、現在の道を歩んでいる。
ちなみに、今田の元相方は、同期のほんこん。130R・板尾創路の今の相方だ。

 ピンになって人生が180度変わったといえば大袈裟かもしれないが、みな間違いなく好転した例だといえるだろう。

http://news.livedoor.com/topics/detail/13421874/

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