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【野球】野村克則「ドラフト前に父・克也から『おまえじゃ無理だ』と忠告された激動の野球人生」通算.185 4本 17打点 1盗塁 222試合

1 :砂漠のマスカレード ★:2017/10/12(木) 19:32:47.90 ID:CAP_USER9.net
プロ野球の秋は別れの季節だ。

2017年も多くの選手たちがユニフォームを脱いだ。引退表明後、みんなで見送る最後のマウンドや打席。
ある意味、予定調和の有終の美アングルと思いきや、過去の引退試合で強烈に印象に残っているのが、2006年10月1日に仙台で行われた楽天vsロッテの野村克則のケースである。

この日、現役最後の先発マスクを被った克則は、なんとロッテに1試合6盗塁を許すという悲惨な終わり方をする。
しかし、この結果に克則は逆に吹っ切れたという。あの「野村克也の息子」として過ごした、プロ野球人生はいかなるものだったか?

「おまえじゃ無理」父・克也の忠告

「おまえじゃ無理だ。苦労するのは目に見えてる。ちゃんとした会社に勤めて、安定したところに行け」

2011年末に出版された克則の自伝本『プロ失格』(日本文芸社)の中で、そのダメ出しの様子が詳しく書かれている。
明治大学4年時、「プロに行きたい」と当時ヤクルト監督を務めていた父・野村克也に相談した克則は、はっきりと忠告を受ける。

当時の克則は六大学リーグで首位打者や打点王も獲得したことがあるチームの主力選手だったが、捕手経験は大学2年秋からで守備面は不安視されていた。
それにしても実の父親から、そしてプロ野球の一流監督からプロ入り前に就活相談したら「おまえじゃ無理」と言われる悲劇。

それでも、やってみなければ分からないと父を説得。結局、克則は95年ドラフト会議でヤクルトから3位指名を受けることになる。

カツノリを悩ませた"問題"とは?

登録名は当時イチローが流行らせたカタカナ名ブームの流れで「カツノリ」。ドラフト後、初めて顔を合わせた野村監督は、「息子だからと言って、一切おまえを特別扱いしないからな。覚悟しておけ」と宣言する。

今日から、親父じゃなくボス。やってやるぞ。だが、プロ入りした克則はいきなり絶望する。
なぜなら、当時のヤクルトには全盛期バリバリの球界No.1キャッチャー古田敦也が絶対的正捕手として君臨していたからである。
さらに第2捕手にものちに日本ハムへ移籍してオールスター戦に出場する野口寿浩がいた。
73年生まれの克則と古田は8歳差、野口とはたったの2歳差。のんびり引退を待っていたら自分がクビになっちまう。追い打ちをかけるように、ある問題が克則を悩ます。

サッチー問題である。90年代中盤から後半にかけて、『笑っていいとも!』出演などお茶の間の人気毒舌タレントとなっていた野村沙知代。
ノムさんの妻にして、克則の母の強烈なキャラ。イースタンで打席に入ると、人もまばらな二軍戦で観客席からこんな野次が飛んだ。

「ピンチヒッター、サッチー!」

23歳の新社会人の男にとって、これはしんどいしマジ恥ずかしい。
父親が監督を務める球団で“親の七光り”と揶揄され、母親の存在を笑われ、マスコミからは「えこひいき」と面白おかしく書き立てられる。

だが、そんな辛い日々で克則を支えていたのは「俺は野村克也の息子である」というプライドだった。

http://www.excite.co.jp/News/90s/20171012/E1507712833312.html
90s チョベリー 2017年10月12日 11時00分

http://npb.jp/bis/players/91393882.html
成績

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