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『朝まで生テレビ!』田原総一朗&渡辺宜嗣、タブー打ち破ってきた31年

1 :朝一から閉店までφ ★:2018/06/29(金) 19:13:11.36 ID:CAP_USER9.net
2018/06/29 11:00:00
平成を駆け抜けた番組たち
第2回
『朝まで生テレビ!』田原総一朗&渡辺宜嗣、タブー打ち破ってきた31年
中島優


編成局長を騙して天皇制議論
2019年4月30日に幕を下ろす「平成」。マイナビニュースでは、「平成」の中で生み出されたエンタメの軌跡をさまざまなテーマからたどる。
この「平成を駆け抜けた番組たち」は、平成の幕開けと同じ時期にスタートし、現在まで30年にわたって続く番組をピックアップ。そのキーマンのインタビューを通して、番組の人気の秘密を探っていく。

第2回は、平成が始まる約2年前の昭和62(1987)年4月にスタートした、テレビ朝日系討論番組『朝まで生テレビ!』(毎月最終金曜 深夜1:25〜)。番組スタート時から出演し続ける司会のジャーナリスト・田原総一朗氏と、
進行のテレビ朝日・渡辺宜嗣アナウンサーに、天皇制、原発、被差別部落、暴力団など、テレビで扱うのはタブーとされてきたテーマに果敢に挑んできた舞台裏を聞いた――。

(写真)
田原総一朗氏(左)渡辺宜嗣アナウンサー


「討論の時間無制限一本勝負」

――『朝まで生テレビ!』は、スタートして31年という長寿番組になりましたが、どのような経緯で始まったのですか?

田原:もともとテレビ局の深夜はほとんど再放送だったんだけど、フジテレビが『オールナイトフジ』っていう若い女性が出てきて水着姿にもなる番組をやってウケたんですね。
そこで各局が深夜番組をやろうとなって、テレビ朝日の編成局長だった小田久栄門という人に「なにか考えてくれ」と言われまして。まず、深夜番組は制作費が高くないから有名タレントが出せない、
かつ少なくとも終電で来て始発で帰れる番組にしたいといったことをいろいろ考えて、その当時の1986年は、ソ連でゴルバチョフがペレストロイカを唱えて、これは冷戦が終わるという流れがあった。
戦後、アメリカを中心とした資本主義の西側と、ソ連を中心とした共産主義の東側の対立がずっと続いてきて、日本でも、保守の自民党と革新の野党。もっと言えば、「競争か平等か」というのが戦後のあらゆる討論の対立軸だったんですよ。
冷戦が終わって、じゃあ新しい軸は何になるのか、今までの討論のすべての構造が変わるので、これは面白いんじゃないかと思った。実は、テレビっていうのは、討論番組が一番面白いと思ってる。

――それはなぜですか?

田原:討論に負けたら、政治家も学者も失脚する恐れがあるんですよ。そうすると、勝つか負けるかの戦いになるので、プロレスの言葉を使って
「討論の時間無制限一本勝負」と小田さんに説明した。負けた方はこれで終わってしまうというギリギリのところでやったら、面白いんじゃないかと。

――今で言う“ガチンコ”ってやつですね。

田原:そうそう。それに小田さんが「面白い。やろうじゃないか」と乗ったんですよ。こうして僕が企画したんだけど、自分で司会をやるなんて思ってもみなかった(笑)

――初回は利根川裕さん、2回目が筑紫哲也さんで、3回目から田原さんの司会ですね。

田原:結局言い出しっぺだからやるって話になったんですね。

→「天皇論をやりたい」「バカ野郎」
→最大のタブーだった被差別部落問題

     ===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://news.mynavi.jp/article/heiseitv-2/


※本記事は掲載時点の情報であり、最新のものとは異なる場合があります。予めご了承ください。
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204 :名無しさん@恐縮です:2018/07/03(火) 00:42:41.47 ID:YhXK+zX60.net
>>166
いたなそんなの

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