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【サッカー】城彰二がスペインで残した大事な足跡。 監督&仲間も実力を賞賛していた [砂漠のマスカレード★]

1 :砂漠のマスカレード ★:2020/05/19(火) 09:18:16 ID:5bRGLATU9.net
リーガに挑んだ日本人(2)

 1990年末、ヨーロッパにおける日本人サッカー選手の価値は急騰していた。

 1998−99シーズン、セリエAの開幕戦で、ペルージャの中田英寿が王者ユベントスから2得点する活躍を見せ、世界中のサッカーファンのど肝を抜いている。中田はシーズンを通して二けた得点も達成。守備の堅さに定評のあるイタリアにおいて、その攻撃センスは燦然と輝いて見えた。

 1999−2000シーズンの半ばに、中田は約18億円という移籍金で名門ローマに移籍する。"王子"フランチェスコ・トッティとポジションを争いながら、2000−01シーズンには、栄えあるスクデット(セリエA優勝)を勝ち取っている。これによって、その価値はさらに高騰し、2001年にはパルマに32億円で移籍することになったのだ。

「スポンサーを連れてきてくれるだけでなく、高い移籍金で売れる。こんな"商品"はない」

 日本人サッカー選手の熱波は、必然的にスペイン、リーガ・エスパニョーラにも上陸した。

 2000年1月、日本代表FW城彰二はスペイン1部リーグ、バジャドリードに移籍している。1998年フランスワールドカップには中田とともに出場。Jリーグでも過去2シーズンは25得点、18得点とゴールを量産、実績は十分だった。

「ストライカーとして基本的なスキルが高く、スペインでも通用する力を持っている」

 横浜F・マリノス時代に城を指導したことがあったスペイン人監督ハビエル・アスカルゴルタはそう言って、太鼓判を押していた。

 バジャドリードのほかにも、城はラージョ・バジェカーノなどから熱烈なオファーを受けた。引く手あまただったが、マーケティングの色も濃かった。たとえば当時のラージョは、財政難で国際移籍交渉が凍結されていたが、城の獲得でジャパンマネーを期待していた。「金になる」という色気は見え見えだった。しかし、どのような理由であっても、日本人選手に門戸が開かれたのだ。

 そして、城はリーガで遜色のないプレーを見せている。オビエド戦では殊勲の2得点。1点目はスルーパスに抜け出し、飛び込んできたディフェンダーをかわした後、左足でファーサイドに巻くようなゴールを決めた。得意としていた宙返りのゴールパフォーマンスも見せている。2点目は、右サイドから上がったボールをエリア内で待ち受け、マークを外し、豪快にヘディングで叩き込んだ。

5/19(火) 6:30
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200519-00894170-sportiva-socc

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