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【芸能】出川哲朗の好感度は、なぜ上昇したのか? リアクション芸全盛の功罪 “ヘタレ”から“芸人をまっとう”へ [吸湿性守口CEO★]

1 :吸湿性守口CEO ★:2020/08/27(木) 08:17:23 ID:CAP_USER9.net
バブル時代を迎え、過激なバラエティー番組が視聴者から支持を集めた。その中で、お笑い芸人が体を張る“リアクション芸”が確立。ダチョウ倶楽部、出川哲郎らがつくったひな型は、現在のバラエティーに欠かせない要素を生み出すことになる。団体芸、ワイプ芸、さらにはコロナ禍の影響で多用されているリモート出演まで、今やタレントの役割はリアクションに集約されていると言っていい。リアクション芸がテレビに与えた影響、その限界について考える

ネタから誕生したリアクション芸
“リアクション芸”には、二つの成り立ちがある。

一つは、“舞台上のネタ”から発生したものだ。1960〜1970年代の演芸ブームで活躍した「チャンバラトリオ」や、漫才ブーム時の波に乗って現れた「ゆーとぴあ」に代表される。

チャンバラトリオは、時代劇のチャンバラ(刀で斬り合う剣劇)を模した設定で、ボケに対してハリセンでツッコむというネタで一世を風靡(ふうび)した。この“ハリセンツッコミ”は、その後にあらゆるバラエティー番組で多用されており、画期的な発明だったと言える。

また、ゆーとぴあは、学園モノの“ゴムパッチン芸”で人気の絶頂を迎えた。説教する教師が生徒の口に厚手のゴムをくわえさせ、「人生は長いようで短い。短いようで長い……」などと言いながら引き伸ばしていき、突然手を放して顔面に直撃させるというものだった。このパロディーも、多くのバラエティー番組で見られた。

“ハリセンやゴムの衝撃を受けて痛がる”という笑いは、バラエティーにおける罰ゲームに近いものがある。さらに言えば、プロから見ると“下手をすると芸人よりも素人のほうが面白い”という危うさも含んでいた。だからこそ、即座にバラエティー番組で消化され、そのひな型だけが引き継がれていったのだろう。

“リアクション芸人”の起点にビートたけし
もう一つは、ビートたけしが出演するバラエティー番組の影響だ。そのはじまりは、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系・1981年5月〜1989年10月終了)のコントだった。

たけしが熱々のおでんを片岡鶴太郎に無理やり食べさせようとする。これを受け、鶴太郎が文句を言いながら逃げまどう。非常にシンプルだが、さまざまな設定の中で繰り広げられるそのやり取りには、妙な滑稽さがあった。

また、『スーパーJOCKEY』(日本テレビ系・1983年1月〜1999年3月終了)では、「THEガンバルマン」という企画の中で、たけし軍団のメンバーが熱湯風呂に挑戦するというものがあった。これがパターン化し、ダチョウ倶楽部の「押すなよ、絶対に押すなよ!」と言いつつ、湯船に突き落とされる芸へとつながっている。

バラエティー特番『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(前同局・1989年1月〜1996年4月終了)では、さらに過激なものへと進化。元のクイズ番組を踏襲しつつも、逆バンジージャンプ、スカイダイビング、爆破前に個室からの脱出劇など、若手芸人たちが体を張って危険な企画に挑戦し、視聴者を圧倒した。

派手な映像とリアクションという部分では、過酷な海外ロケで人気の番組『世界の果てまでイッテQ!』(前同局・2007年2月〜)にも通じるところがあり、また、大掛かりな罰ゲームという過激さは、『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系・1999年4月〜)へと引き継がれている。

『お笑いウルトラクイズ』で活躍した出川哲郎、ダチョウ倶楽部、江頭2:50らは、“リアクション芸人”と称され、知名度を上げていく。とくにダチョウ倶楽部は、「聞いてないよォ」というギャグで、1993年の流行語大賞大衆部門・銀賞を受賞。一気に人気者の階段を駆け上がった。

長いので続きはソースで
yahoo(withnews) 8/27(木) 7:00
https://news.yahoo.co.jp/articles/6219f22720ecdf47c4d85c31ae044b5780ba3513?page=1

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