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【視聴率】松本潤、NHK大河「どうする家康」第29回11・5% [Ailuropoda melanoleuca★]

57 :名無しさん@恐縮です:2023/07/31(月) 12:08:04.13 ID:JY1Tb6ZL0.net
伊賀者から見れば、家康は、天正伊賀攻めの主力である、織田一門の信雄、津田信澄、重臣の滝川一益、丹羽長秀、蒲生氏郷、堀秀政らとは立場が違う。恨みも無い。
一方、後の家康は、江戸城大手三之門百人番所や、甲州街道に直結する江戸城半蔵門(=服部半蔵が警護する門)など、伊賀者をものすごく信用・信頼している。

服部半蔵が、本能寺の変(天正10年、1582年)の25年前の弘治3年(1557年)までに家康の家臣となったことは確実。
服部半蔵は、元々は伊賀者(後の伊賀同心)のリーダーだったわけではないが、父の代の縁など、伊賀との交流は深かったはず。
家康と伊賀は、本能寺直後の伊賀越えよりはるか前に、信頼関係ができていたと考えるべき。
おそらく、伊賀各地の有力土豪は、リレー形式で、家康の警護をしたのではないかな。

家康が恐れたのは、百地や藤林などの忍者漫画で有名な土豪より、褒美目当ての伊賀の住民が、家康の動向を明智側に通報することだったろう。
当時の家康は健脚だし、有力土豪が警護する人気のない山越より、不特定多数の人間が行き来する町中を通過するほうが、はるかにハラハラドキドキだったろうね。

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