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イエモン吉井和哉 急逝の櫻井敦司さん追悼 「更なる境地へ向かわれると期待していた矢先本当に残念」 [フォーエバー★]
- 534 :名無しさん@恐縮です:2023/10/31(火) 13:03:11.88 ID:uwL0djUD0.net
- 【今日は何の日】BUCK-TICK『JUPITER』発売 (1991年10月30日)
『JUPITER』は櫻井さんにとって母への鎮魂歌であった
https://x.com/limited_night_/status/1718749214401048586
↑JUPITER発売当時の櫻井単独Interview
家庭環境など彼の生い立ちを知りたい人は必読
肝臓を壊すほどの酒飲みでDVも酷かった父親は櫻井が18歳の時に死去(肝硬変か?)
母親は悪の華のツアー中に死去(確かガン)
しかしこれは非公表のままツアーを続けてたので相当に辛い思いをした様子
本人もこのツアーはほとんど記憶にないという
プロの仕事として淡々とやり過ごさなければならなかった辛さが伝わって来る
この記事を読むと、アルバム「悪の華」の次の「狂った太陽」から櫻井もバンドも急に一皮むけた感じになったのは
櫻井が自身にとってのリアル=母親の死の悲しみや鎮魂の思いを率直に歌詞にするようになった、というのが大きかったのかなとも…
しかし櫻井は以前、自分の家系を50歳くらい(まで)で死ぬ短命家系だと言っていたことがあるが…親父さんは25〜30くらいの年齢差だと仮定しても、かなりの若さで亡くなってたことになるんだな
櫻井の再婚で生まれた娘さんは現在17歳くらいだと聞くし、図らずも親父さんと同じような轍を踏む形になってしまったのはやはり無念なことだったろう…
でも父親への強い反動からか、病床の母親に素直に優しく出来なかったことへの反省もあってか
後年は誰もが口を揃えて称賛するジェントルマンになってたのは素晴らしいことだと思う
初期は本当に北関東のヤンキー兄ちゃん丸出しな荒っぽい言葉遣いが目立ってたのに、ほんと良くあそこまで変わったもんだよとw
そこはもちろん本人の性格や努力の賜物ではあるだろうが、同時に長い年月をかけて一人の男の成長を見守って来たファンと一緒に築いた財産でもあったように思うね
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