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【終戦記念日】金曜ロードショー『硫黄島からの手紙』今夜 当時17歳元兵「映画の描写はまだぬるい」

1 : ニーリフト(空)@\(^o^)/:2014/08/15(金) 11:32:40.42 ID:J9/h6lj4i.net ?PLT(14019) ポイント特典

【70年目の夏 大戦の記憶 (2)】硫黄島の戦い 「伝える役 目、終わったか」

「あの日は暑かったんだろう。だが、今はそのことも思い出せな い」

昭和20年8月15日。大越晴則さん (86)=横浜市港北区=はこの日、米ウィスコンシン州のマッコイ捕虜収容所で、多くの仲間とともに憤怒の表情を浮かべていた。
当時17歳。3カ月前は、本土防衛の最前線として激戦が繰り広げられた硫黄島(いおうとう)で、わずかに生き残った戦友と薄暗い壕(ごう)の中に潜んでいた。

米国で迎えた終戦の日。「天皇の話を読み上げる」と言って玉音放送の内容を記した紙を広げようとする米将校を、大越さんらは怒りをあらわに押し返した。「みんな、負けたことを信じられなかった」

復員船から富士山を眺め、初めて敗戦を受け入れ、以降は戦友の供養と遺族への説明を続けてきた。「それが、生き残りの責任だ」。そう考えてきた。

■殺すか殺されるか

14歳で、海軍が中堅幹部養成を目的に採用した「海軍特別年少兵(特年兵)」に志願した。「14歳で志願できたのは特年兵だけ。家族の幸福や国家の安泰を信じる純粋な気持ちだった」

海兵団で教育を受けるなどした後、香取海軍航空隊(千葉県旭市、匝瑳(そうさ)市)の搭乗整備員として輸送機に乗り込み、硫黄島への物資輸送などを行っていた。
19年8月、米軍機に撃墜され、漁船に助けられた後に硫黄島へ移動、南方諸島海軍航空隊の分隊長として着任した。島では栗林忠道陸軍中将の下、米軍の侵攻に備え、全体を要塞化すべく、地下壕づくりに邁進(まいしん)していたころのことだった。

半年後の20年2月19日、米軍が上陸作戦を開始したときは、元山飛行場そばにあった海軍の本部壕にほど近い壕に潜んでいた。

海軍特別視年少兵になったころの 大越晴則さん
http://sankei.jp.msn.com/images/news/140810/trd14081010250009-p1.jpg
http://sankei.jp.msn.com/smp/life/news/140810/trd14081010250009-s.htm

■金曜ロード SHOW!「硫黄島からの手紙」渡辺謙主演 家族に届けたかった想い…21時00分〜23時09分
https://kinro.jointv.jp/lineup/140815

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