2ちゃんねる スマホ用 ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【速報】 バーレーン「イランと国交断絶する」 サウジに続き

320 : 16文キック(やわらか銀行)@\(^o^)/:2016/01/05(火) 08:49:24.01 ID:lBPxqxv60.net
>>277
しかし、本当に日本人は宗教に寛容なのでしょうか。

■宗教をめぐる弾圧、そして内戦の歴史
日本には、宗教をめぐる弾圧や内戦の歴史がわんさかあります。
13世紀からの「一向一揆」。16世紀、一向宗と織田信長と間で行われた「石山合戦」。豊臣秀吉によるキリスト教禁止。江戸幕府下での内戦「島原の乱」。幕末から明治期にかけての「神仏分離」や「廃仏毀釈運動」──。

秀吉による禁教令の背景には、キリスト教の教勢が広まることで、信長時代の一向宗のような内乱につながることを恐れたことが挙げられますが、
同時に、キリスト教徒の大名が領民にキリスト教への改宗を強制したり寺社仏閣を破壊していたという事情もあったようです。
秀吉はキリスト教に寛容ではありませんでしたが、当時の日本のキリスト教勢力もまた、日本の宗教に対して寛容ではなかったということでしょうか。

「島原の乱」以降は、江戸幕府がキリスト教徒をあぶり出すため、かの有名な「踏み絵」を行いました。キリスト教徒は「隠れキリシタン」として密かに信仰を維持するしかない時代が長らく続きました。

テレビ時代劇「水戸黄門」で有名な水戸光圀(17世紀の水戸藩主)も、藩内で神仏分離を進め、寺院の半数近くを廃止したり破壊したりしたとされています。
目的は仏教排斥ではなく「神仏分離」と不良僧侶の追放だったようですが、幕末から明治にかけて「神仏分離」は「廃仏毀釈」へと過激化し、薩摩藩では明治初期に寺院・僧侶の数が共にゼロになったとかいう話もあるようです。

明治以降の日本政府が神道国家主義を掲げ、1921年と1935年の2度にわたって「不敬罪」などを理由に大本教を摘発した「大本事件」も、国家による宗教弾圧事件として有名です。この時代、キリスト教徒にも逮捕者が出ています。

これらは日本の権力が宗教に不寛容だったことを示す歴史ですが、一方で、寛容ではない宗教団体が社会と対立するというパターンもあります。

総レス数 335
82 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★