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難病『潰瘍性大腸炎』を患ったオリックス安達選手「同じ病気の人の励みになりたい」

1 :名無しさん@涙目です。:2018/01/12(金) 23:27:59.14 ID:OTCmgqla0●.net ?2BP(2000)
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オリックス安達、覚悟を決めた男の強さ
「同じ病気の人の励みになりたい」

国が難病に指定する『潰瘍性大腸炎』を患う中で、周囲のサポートが野球への情熱をさらにかき立てた。監督、チームメート、そして何より同じ病を患う人のために──。
覚悟を決めた背番号3、オリックスの安達了一は、たくましさを増している。

「自分では運命だと思うようにしている」

ここ2年、よく聞かれるようになった質問がある。

「体は大丈夫か?」

人に会えば必ずといっていいほど、体調の心配をされるようになった。どうしても「病気=大変」とイメージしてしまいがちだが、意外なほどに当の本人にはそんな意識はまったくない。

「自分では大変だと思っていないんですよ。こういう運命だと思うようにしているんです。そこまで重くとらえてないんですよね」

生まれたときから野球選手になることが決まっていたなら、病気になることもきっと決まっていたはず──。
周囲の心配をよそに、安達は驚くほど冷静に自身の運命を受け入れ、その上で真摯に野球に取り組んでいる。

「(病気に)なったものは仕方ない」そう話す表情からにじみ出るのは開き直りではなく、決死の覚悟のように思えた。

体に異変を感じたのは2015年11月、高知での秋季キャンプに参加しているさなかのこと。繰り返し来る急な腹痛に違和感を覚えた。それでも練習がこなせないほど激しいものではない。

「普通に風邪だろうと思っていたので、薬も市販のものを飲んだりしていました。あまり重く考えていなかったです」

それでも状態は良くならず、キャンプが終わっても腹痛に耐える日々が続いた。年が明けてからも“普通の風邪”は安達の体に居座り、時に練習の邪魔をした。

病院へ行くとその場で緊急入院

しかし、これまで大きな病気もケガもしたことがなく、体の丈夫さには自信があった。
16年1月18日に自主トレを公開した際には体重が3キロほど落ちていたが「お腹が痛いだけで大丈夫だろう、治るだろうと思っていました」と自然治癒を目指した。
チームに悲報が入ってきたのは、その5日後の23日。球団から発表された病名は『潰瘍性大腸炎』だった。

まさか──そんな思いが走った。初めて聞く病名に当時28歳だった安達は、戸惑いを隠せなかった。
「全然分からなかった。何を言っているのかなって感じで……」

春季キャンプを直前に控え、周囲に勧められての受診だった。少しずつ病にむしばまれてきた体は、すでに限界に近い状態まで弱っており、その場で緊急入院が決定。まず電話をかけたのは同い年で仲の良いT−岡田だった。
翌日には2人でチームの顔として、その年のキャッチフレーズを発表するイベントに出席することになっていた。「入院することになった」と話すと「マジか……」と残念そうな声が返ってきたことは今でも覚えている。

2人はその年から正式にチームの指揮を執ることになった福良淳一監督から、チームリーダーとして大きな期待を寄せられていた。
「申し訳ないなと思いましたね……」
ここから安達の今日まで続く闘病生活が始まった。


https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201801110003-spnavi

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