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意外に”いい人”だった信長 延暦寺焼き討ちも尻込みしてたが、光秀がヒャッハー状態で聞かず

40 :名無しさん@涙目です。:2018/08/03(金) 19:11:52.01 ID:N/gck8pH0.net
信長公記によると、美濃と近江の国境近くの山中という所(現在の関ケ原町山中)に「山中の猿」と呼ばれる体に障害のある男が、
街道沿いで乞食として暮らしていた。今で言うホームレス(不労者)である。
岐阜と京都を頻繁に行き来する織田信長は、障害者であるが為、普通の生活ができないこの乞食を、度々観て哀れに思っていたようだ。
1575年6月、上洛の途上、織田信長は山中の村民を呼び集め、木綿二十反を山中の猿に与えて「これを金に換え、
この者に小屋を建ててやれ。また、この者が飢えないように毎年麦や米を施してくれれば、自分はとても嬉しい」と村人に要請した。
要するに、障害者に対して、生活保護を行ったのだ。山中の猿本人はもとより、その場にいた人々は皆、涙したと伝わる。

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