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【大塚家具】大塚勝久、娘の久美子への想いを今改めて語る「たった3年で会社がダメになるとは…」
- 4 :名無しさん@涙目です。:2018/09/27(木) 01:12:23.24 ID:HXZzOwsO0.net
- >>3の続き
〈勝久氏には2男3女があり、第1子の久美子氏は一橋大卒業後、富士銀行を経て1994年、大塚家具に入社。
営業畑でなく、企画や広報などを担当した。そんな娘を、父はどう見ていたのか。〉
久美子が入社したのは、ちょうど私がアメリカ家具の買い付けを始めた頃で、有明ショールームの開店など、大塚家具の礎が作られたといえる時期でした。
同時期に入社した長男が営業畑を歩んだ一方、久美子は管理畑。
方向を誤ったのは、営業の現場にあまりいなかったことも関係しているのかもしれません。
04年に会社を離れる際、久美子は「まだまだお父さんも元気そうだから私がいなくても大丈夫だね」と、笑顔を見せていた。
私も外の世界で頑張る娘を全面的にバックアップしてきたつもりでした。
だからその5年後、久美子が「もう一度、大塚家具で頑張りたい」と言ってきた時には快く迎え入れ、私の後継として社長に指名したわけです。
意見が食い違うこともありましたが、その頃は「会社を良くしようとしているのだろう」と考えて疑わなかった。
毎日、昼食も一緒に食べていたし、コミュニケーションは取れているつもりでした。
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