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国会議員「《卑弥呼》《邪馬台国》は蔑称だという事が分かった。今後どうすべきか考える」 歴史修正へ [426566211]
- 466 :なっちゃん(福岡県) [US]:2022/04/30(土) 01:52:07 ID:OvDZF6m+0.net
- >>435
>日本書紀「唐と戦争したのは倭国。我々は日本で邪馬台国だ。日本の聖徳太子は隋に手紙を送った。百済、新羅、高句麗は倭国で日本の属国」
唐と新羅の同盟軍と、倭と百済の連合軍が、戦った白村江の戦いは、実は、一つの戦闘名である。その戦いの中に筑紫の君薩夜麻(日本書紀の持統期)、
同一人物の呼び名の別表現の薩野馬(日本書紀の天智期)を総大将として、戦って、負けた者の描写がある。8年間、唐に幽閉され、洗脳された日本に帰って
きた。対馬に、進駐軍を3000隻の艦船を使って、占領軍が遣ってきているので、倭が、パニックになると、また戦争になるので、勝ち目がないので、
戻ってきた経緯を述べている。其処で、唐式の仏教に変えないと大変なことになることを告げられたいる。
それが伏線となり、壬申の乱などが起こっており、このころに、倭と日本が戦争状態になって、大和朝廷に蹂躙された筑紫の君が、大和に説得している。
聖徳太子は、隋書では、書状に書き、
天照大御神を、名は阿毎、字は多利思、冠名を北孤、号を阿輩雞彌と言っている。
アマ、テラス、ヒコ、オミカミと書いている。
>俀王姓阿毎字多利思北孤 號阿輩雞彌
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