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米主力戦車「鋼鉄の獣」M1A1エイブラムス、ウクライナでロシア軍にフルボッコされる [828293379]

257 :名無しさん@涙目です。:2024/02/08(木) 08:40:53.79 ID:ltzgUxtJ0.net
ロンドン市民の娯楽だった?!近代イギリスの公開処刑
>>ウィリアム・ホガースの描いた風俗画、公開処刑を見物する人々が描かれている / credit:wikipedia
>>中世から近代のイギリスでは公開処刑が行われていました。
>>その中でも有名なのがロンドン郊外にあったタイバーン処刑場であり、そこで多くの犯罪者が処刑されたのです。
>>タイバーン処刑場では主に政治的および宗教的犯罪者が処刑されてしましたが、16世紀初頭からは処刑前に絞首台上で犯罪者が最後に言い残したことをいう機会が与えられるようになりました。
>>ここでは犯罪者が主に罪の告白と懺悔の言葉を述べ、それによって犯罪者の魂が救済されると信じられていたのです。
>>観衆は犯罪者の振る舞いに興味を持ち、彼らが立派に振舞えば喝采し、そうでなければブーイングが巻き起こったのです。
>>公開処刑は改悛の舞台から、犯罪者が死に向かって勇気を示す舞台へと変質し、世俗化した政治的儀式となりました。
>>処刑前夜からは場所取りが行われ、一晩中パーティが繰り広げられたのです。
>>またタイバーンの住民は処刑を見物するために大きな観覧席を設置し、そこの席料をとって金儲けをしていました。
>>イギリスの裁判所、近代では裁判を傍聴するために上・中流階級の人が並んだ / credit:wikipedia
>>しかし1783年、ニューゲイト監獄の再建に伴い、公開処刑は監獄前の広場で行われるようになり、タイバーン処刑場は閉鎖されました。
>>公開処刑に代わって人気になったのは裁判傍聴であり、医学の進展と相まって、精神性や人間性に焦点を当てた審議が行われ、裁判所の傍聴が流行しました。
>>しかし、裁判傍聴は無料であったものの、あくまで中・上流階級向けのものであり、労働者階級には少ない座席しか用意されていませんでした。
>>公開処刑はやがて犯罪者のプロフィールを晒して弄ぶ方向へと変化していった。週刊誌やネットの炎上はこの延長にあるのかもしれない。
>>しかし現代でも炎上した有名人に誹謗中傷を行ったり、炎上した人の経歴についてあることないことが綴られたまとめサイトが作られたりしていますので、私たちは昔のイギリス人と根本的なところは変わっていないのかもしれません。

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