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【キング、呆れる】ヤマハOBキタさんの鈴鹿8耐追想録 1985年(前編):仲間からも酷評された耐久レース仕様のヤマハFZR750 [吸湿性守口CEO★]

1 :吸湿性守口CEO ★:2020/08/27(木) 23:52:20.58 ID:CAP_USER9.net
レースで誰が勝ったか負けたかは瞬時に分かるこのご時世。でもレースの裏舞台、とりわけ技術的なことは機密性が高く、なかなか伝わってこない……。そんな二輪レースのウラ話やよもやま話を元ヤマハの『キタさん』こと北川成人さんが紹介します。なお、連載は不定期。あしからずご容赦ください。

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 ファクトリーチームの鈴鹿8耐初出場で初優勝というチャンスがゴール直前でするっと手からこぼれ落ちたのは大きなショックではあったが、同時に「もう少しきちっとやれば優勝も夢じゃないよな」的な安易な意識も芽生えてしまったのがファクトリー参戦2年目の、1986年のレースだった。

この年からファクトリーマシンを“YZF750”と改名したのだが、名称だけでなくエンジンの外観以外はすべて一新された。シリンダヘッドに懸架用のブロックを溶接し、0W74(1985年FZR750)では痕跡器官のように残っていたダウンチューブも廃止して現在のMotoGPマシンにも受け継がれているフレームの様式がここからスタートした。

 ヘッドライトは新たに100mm径のものを採用したのでカウリングにきれいに収まり、もはや0W74の無骨さはどこにもない『フツー』に格好いいマシンに変貌していた。そしてエンジン性能も格段に……と言いたいところだが、これがそうはいかなかった。

実は前年の0W74に袋井テストコースで初めて乗ったケニー・ロバーツ選手は、エンジンに関してはかなり辛辣な評価を下していたのだ。「バイクってのは基本的にエイペックス(編集部注:いわゆるクリッピングポイント)を過ぎたらスロットルを開けて駆動力で向きを変えていくんだ。ところがこのマシンときたらスロットル開けても吸気音が水洗トイレみたいにゴーッと大きくなるだけで何も起きない、だからマシンの向きも変わらない」と身振りを交えて大げさに説明するキング(編集部注:ケニー・ロバーツの愛称)の姿に不謹慎だが一同大笑いしたものだ。

 5バルブエンジンの特徴でもあるのだが、トルクピークが比較的低回転寄りなので、ピーク以降は力なくだらだら回る特性だった。だからここぞとスロットルを開けても駆動力が2サイクルマシンのように湧いてこない事は容易に想像できたのだが、このコメントをスロットルに対するレスポンスが悪いと勘違いしたのがエンジン実験担当者だった。

「だったら低回転からトルクをモリモリ出してやればいいんじゃないの」とひとり合点した彼はキングの要望とは真逆のエンジン特性を作りこんでしまった。

■「今年のマシンはまるでダメ」と辛辣な評価

当然ながら2年目の事前テストでのキングの評価はさらに辛辣なものだった。「お前ら、この一年何やって来たの?」とホワイトボードに右肩上がりの斜めの線を描いて、左下を市販車、右上をレーサーとマーキングして曰く「レーサーって普通は市販車に対してこういうふうにリニアに性能が上がるべきものなんだ。しかるに今年のマシンはまるでダメでこの辺りに行ってる」と直線から大きく外れたところを指さした。

 確かに低回転からトルクは出ていたが、その結果中間域のトルクがやせて谷ができ、その後またトルクの山ができるという“ふたこぶラクダ”みたいな特性だったので、素人目にも乗りやすいエンジンとは思われなかった。

「誰だ、こんなエンジン特性にしたのは!?」とケニーの指摘を受けて初めて事態の容易ならざることを知った当時の部長が声を荒げた。すると当のエンジン実験担当者は「俺ですけど、開発の経過は逐一報告していて、今年はこういう仕様で行きますって報告書も出してますよ。ちゃんと部長のサインもありましたけど」と答える。そう言われたら普通はぐうの音も出ないところだが、件の部長はただ者ではなかった。


「馬鹿野郎、そういうのをメ○ラ判(書類を精査しないまま承認・決裁を意味する判を押す)って言うんだよっ!」ととんでもない逆切れをする始末。居合わせたスタッフ全員が「へッ???」と顔を見合わせる中、大柄なふたりは今にも掴みかからんばかりの形相でにらみ合っていたが、さすがに衆人監視の中では暴力沙汰にまでは至らなかったのは幸いであった。(後編に続く)

auto sport 2020.08.06 11:02
https://www.as-web.jp/bike/605040

2 :名無しさん@恐縮です:2020/08/27(木) 23:54:13.59 ID:hJd9ZpMr0.net
フェーザーって読んでいいんだよね

3 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

4 :名無しさん@恐縮です:2020/08/28(金) 00:16:05 ID:nnnYmS6N0.net
2コーナーの上で観戦してたが、残り30分の所で
ケニーとぺアの平が急にスピードダウンしてしきりに
エンジンの方を見てて、そのままリタイアしたレースだ

5 :名無しさん@恐縮です:2020/08/28(金) 00:18:47 ID:sgrJNtWK0.net
あのラッキーストライクカラーのときかな
あのときは、首位のガードナー組に一週目からみるみる離されていったからな
あきらかにマシンの戦闘力不足だったね

6 :名無しさん@恐縮です:2020/08/28(金) 00:23:26.81 ID:CXLuSkeO0.net
>>1
俺が見てて呆れたのは、3年前?
シュワンツにバトンタッチする事なくコケた青木かな。
血気盛んな若手ライダーならともかく、ベテランのくせして。
確か同じスズキに乗ってる奴に先行されていたんだよなぁ、まさかとは思うけど、ムキーって自分のペースを超えて追いかけちまったとか。
ほんとあれには呆れたわ。

7 :名無しさん@恐縮です:2020/08/28(金) 01:36:31.11 ID:3oeK3HU+0.net
>>6
ルマンの鈴木亜久里だな
口だけは異性があったが
交代したその周でクラッシュしやがった
その頃はルマンは人気あったから知ってる人は多そう

8 :名無しさん@恐縮です:2020/08/28(金) 02:11:18.36 ID:Oa6i07Kj0.net
>>6
全然無理する場面じゃ無かったんだけどな。その年の目玉のシュワンツを1回も走らせずに終わらせたウマシカ野郎。

9 :名無しさん@恐縮です:2020/08/28(金) 03:37:40.10 ID:NkNLgxgd0.net
どーでもいい大昔の思い出

10 :名無しさん@恐縮です:2020/08/28(金) 05:22:16 ID:7wj+PrRh0.net
あれか、レースの終わった夜にマイク前川がケニーの部屋にきて黙って泣いてたってやつか

11 :名無しさん@恐縮です:2020/08/28(金) 05:41:46 ID:/N283nLd0.net
>>5
テック21だろ?

12 :名無しさん@恐縮です:2020/08/28(金) 06:26:48 ID:CU/BV5G00.net
>>6
あれは本当にガッカリした

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