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【漫画】トラウマ級の因果応報… 手塚治虫『火の鳥』“子ども心に怖すぎた教訓エピソード” [ネギうどん★]

246 :名無しさん@恐縮です:2024/03/26(火) 20:54:45.82 ID:RggMHA8/0.net
>>1
過去の自分が、時を超えて未来の自分をそれと知らず殺してしまったという話だよね。
タイムパラドックスを思い出した。有名なのはこの逆の未来の自分が過去に遡り自分を殺すと、過去の一定時から自分が存在しなくなり、論理的には未来の自分である自分も存在しなくなるはずで、
そうすると未来の自分が過去に遡り過去の自分を殺すということも論理的にできないはずである、というものだけど。

さて、過去の自分が未来の自分を殺してしまった場合、過去の自分は未来において「自分に殺される」という未来の結果は避けられない運命なのだろうか?
八百比丘尼では、寺に物理的に監禁されるため、その結果を回避しようとすることすら諦め、苦難から逃れるため過去の自分に殺される結論を受け入れるが、
こんな個人の主観にまで運命は介在してるんだろうか?もし、寺から出られたのなら八百比丘尼は甘んじて自分に殺されることを受け入れるだろうか?
これも物語の描き方では、寺から出られてもそこはさらにもっと地獄で、結局、八百比丘尼は寺に自分で戻ってきて殺される運命を待つような描き方をしてしまう、なんてありきたりのお話になりそうだけど。

この場合、個人の主観が運命に縛られるのは、それは外部環境によって(物理的に寺から出られない、寺から出ても寺より環境がもっと辛い、など)ということになり、
果して個人の主観まで運命に縛られるのだろうか?という問いへは直接には答えていない。

つまり、運命が存在するのならば、果して人間に自由意思はあるのか?という問いには。
一本の木から風に吹かれて、木の葉から舞い、ゆらゆら揺れ動いて地面に落ちる。さて、この木の葉がここに落ちたのは「なぜ(どのような因果により)」だろうか?それは決まっていたことだろうか?

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