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【奈良】70m級の大方墳発見! 7世紀の天皇稜か蘇我氏か?龍角寺岩屋古墳78m級・千葉に次ぐ最大級の規模

1 : かかと落とし(茸)@\(^o^)/ [NO]:2017/03/02(木) 06:36:20.01 ID:H9KtoUBV0.net ?PLT(12000) ポイント特典

飛鳥時代最大級の方墳と判明した小山田古墳。
一辺約70メートルという破格の大きさに研究者は驚きを隠さない。
被葬者は初の官寺建設や遣唐使派遣などで知られる舒明(じょめい)天皇か、
それとも天皇をしのぐ権勢を振るった豪族・蘇我蝦夷(そがのえみし)なのか。

飛鳥時代の大型方墳は、推古天皇陵とされる山田高塚古墳(大阪府太子町、長辺約60メートル)、
石舞台古墳(明日香村、一辺約50メートル)などがある。
当時の権力中枢からは離れるが、千葉県・龍角寺岩屋古墳は一辺78メートルある。

(中略)

今尾文昭・関西大非常勤講師(同)は石室通路の石を抜き取った跡に着目して
「抜き取り穴が丁寧に埋められている。改葬後にも公的管理が続いた印象がある」とし、
討たれた蝦夷の墓とは考えにくいとみる。

一方、前園実知雄・奈良芸術短大教授(同)は「舒明天皇は火災で飛鳥岡本宮から別の宮へ移った後、
二度と飛鳥に戻らなかった。飛鳥の中心地に墓を造るとは考えにくい」と反論し、蝦夷説を推す。
日本書紀は、蝦夷が642年に自分と息子入鹿の「双墓(ならびばか)」を造り、
「大陵小陵」と称したと記している。


小山田古墳築造前後の出来事
592年推古天皇が即位
626年蘇我馬子死去
628年推古天皇死去
629年蘇我蝦夷らの後押しで舒明天皇が即位
630年舒明天皇が初の遣唐使送る
639年舒明天皇が初の官寺、百済大寺建設を命じる
641年舒明天皇死去
642年皇極天皇が即位
〃 舒明天皇を滑谷岡に葬る

2017年3月1日
http://mainichi.jp/articles/20170302/k00/00m/040/114000c

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