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【千葉】二・二六事件を指揮、安藤大尉の遺品 長年の行き違い超え、鈴木貫太郎ゆかりの野田市へ寄贈

1 :樽悶 ★:2019/04/29(月) 18:29:09.38 ID:ye9pEJG+9.net
野田市に寄贈された安藤輝三の遺品=いずれも野田市で
https://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201904/images/PK2019042902100074_size0.jpg
鈴木有市長(左)に寄贈品の目録を手渡す安藤日出雄さん
https://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201904/images/PK2019042902100075_size0.jpg

 第二次世界大戦勃発前、軍部が台頭する中で起こった二・二六事件。当時、侍従長を務めていた野田市ゆかりの鈴木貫太郎(一八六八〜一九四八年)を襲撃、重傷を負わせた部隊を指揮した旧日本陸軍大尉の安藤輝三(一九〇五〜三六年)の遺品が同市に寄贈された。輝三の次男の日出雄さん(83)ら関係者が同市を訪れ、戦後も続いた長年の行き違いを超え、市側に引き渡した。 (林容史)

 貫太郎は、関宿藩の飛び地だった和泉国(堺市)で生まれ、小学校時代を関宿(現野田市)で送った。日清、日露戦争に従軍し、連合艦隊司令長官、軍令部長を歴任して侍従長に就任。一九四五年四月に首相に就任、ポツダム宣言受諾を決定し、大戦の終末を見届けた。

 寄贈されたのは、輝三の軍服、外套(がいとう)、軍刀に加え愛用の眼鏡、愛煙したたばこなど二十点。これらの遺品は野田市内の鈴木貫太郎記念館で調査、研究後、二〇二一年に展示する予定。

 日出雄さんは、母の房さんから引き継ぎ、静岡市の自宅に眠っていた遺品の散逸を心配。輝三が通った栃木県の旧制宇都宮中学の後輩に当たる輝三の研究家の佐川仁一さん(66)に寄贈先について相談した。

 佐川さんは、襲撃した相手の貫太郎が自著で輝三について好意的なコメントを残していたことから、ちゅうちょしながらも昨年、野田市側に寄贈を打診した。市は貫太郎の子孫に意向を確認、「二・二六は立場の違いから発生したものと認識している」と理解を得て受け入れを決めた。

 同市役所で実施された寄贈式で日出雄さんは「父と鈴木貫太郎閣下は、ある時期、相反する立場にあった。いい意味で事件が風化し、父の圧力から逃れるためにも、残る品物を全て閣下の記念館に納めることができてうれしい」と喜んだ。また、「世界平和のためという閣下の思いは、全ての国民に通じる」と貫太郎をたたえた。

 鈴木有市長は「大切な資料を維持し、残してこられるにはさまざまな苦労があったと拝察する。貴重な歴史資料の重みを受け止め、後世にしっかり伝えていくために保存、研究し展示などで活用していく」と感謝を述べた。

 二・二六事件の直前に生まれた日出雄さんに、輝三の記憶はほとんどない。戦後、房さんも輝三について一切、語らなかったという。

 日出雄さんは「寄贈は全く無理だと思っていた。こういうことがあった、と記録に残してもらえれば」と話していた。

<二・二六事件> 陸軍皇道派青年将校を中心とするクーデター。1936年2月26日未明、約1400人の兵を率いて首相官邸や警視庁などを襲撃、斎藤実内大臣、高橋是清蔵相らを殺害するなどした。東京市に戒厳令が公布され、海軍や昭和天皇の意向を受け、陸軍が反乱軍として鎮圧に乗り出した。鎮圧まで4日間を要した。鈴木貫太郎の妻タカの証言によると、貫太郎にとどめを刺そうとした兵を安藤輝三が押しとどめて敬礼し、名乗って官邸を立ち去ったという。

東京新聞 2019年4月29日
https://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201904/CK2019042902000133.html

2 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 18:30:20.48 ID:fBs0mUx90.net
靴ぐらい脱いだらどうだね

3 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 18:31:08.84 ID:1MB2W5Sz0.net
北一輝に騙されて共産主義革命してしまった悲劇の人だよな。

4 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 18:31:27.98 ID:suuCtOB50.net
地味だけど鈴木貫太郎は立派だった

5 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 18:33:42.73 ID:NKSGpLhE0.net
>>1


パンスト朝鮮顔のネトエラ(ネット工作の在日朝鮮人)がものすごい勢いで暴れまくってるからな


日本に密入国してきて図々しく居つき、
生活保護を受給しながら性犯罪を繰り返し
日本人になりすましネット工作を続ける在日朝鮮人。

在日朝鮮人はスパイそのもの。
帰化人を含めて朝鮮人全員をいったん強制送還するしかない。


●●● ネトウヨ連呼厨(ネトエラ)の正体 ●●●
http://www.fuyuu.com/home35/uyokunosyoutai.html

.

6 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 18:36:55.14 ID:JWf5R5LB0.net
話せば分かる

7 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 18:38:07.49 ID:OUAbjLiA0.net
これ明治政府が朝鮮に投資のために東北の開発が遅れたことによって東北出身の将校によっておこされた事件やからな
東北の開発が遅れたために山奥の寒村などで楢山節考のような人捨てが起きてる
それなのに明治政府は東北そっちのけで朝鮮に投資をした
だから何度も口を酸っぱくしても言うけど朝鮮人には一切関わんな

8 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 18:38:30.21 ID:CQv+46KE0.net
閣下の軍隊ではありません。陛下の軍隊です。

9 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 18:38:33.46 ID:mttf0S080.net
2.26事件も元凶は不況
不況で下層民の不満の下地と
予算削減で不満の軍の矛先が政府

10 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 18:38:43.10 ID:D78labiJ0.net
生き残って終戦工作する鈴木貫太郎
歴史の妙を感じる

11 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 18:40:23.16 ID:IgNn/52W0.net
>>1
>父の圧力から逃れるためにも、

血脈ゆえの知られざる苦しみがここにもあるだね

12 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 18:41:30.02 ID:JtxyXNrq0.net
こいつのせいじゃん
アメリカと戦争になったの

13 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 18:44:12.25 ID:80S625MC0.net
>>1
金鵄かw

14 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 18:46:57.88 ID:cDwrdpON0.net
>>12
第一次世界大戦後には、日本が突出して巨大な国になったので、
列強は日本を叩く方針があったようですね。日米双方とも、
海軍の遠洋航海などでは、双方ともに敵として意識していたし、
中国における日本陸軍が、列強権益を尊重しないなどの行動で、
完全に日本排除に傾いた。ちなみに、この2.26事件の背後には、
どうも列強の影もちらつくと思う。独自研究ですけども。

15 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 18:48:13.50 ID:l3CQGzAY0.net
安藤君もいとまごいに来たんだねえ

16 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 18:49:13.19 ID:G5yGjYv20.net
元死刑囚の遺品とか要らねえよwww

17 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 18:51:03.87 ID:gthSTY9B0.net
作戦も詰めが甘かったんだな。とどめをきちんと刺さなかったのだ。

18 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 18:51:48.17 ID:xiut9wuP0.net
二・二六事件の人たちって民のために立ち上がったんだよね
最後兵隊を解散させたりきちんと筋は通ってる
革命ゴッコで内ゲバ殺人になる連中とは一味も二味も違ってる

19 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 18:53:14.66 ID:JtxyXNrq0.net
こいつらの暴発が対米戦につながったんだよ
結果的に庶民が死にまくったんだが

20 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 18:53:46.42 ID:cDwrdpON0.net
>>17
兵卒のほとんどは、上官に言われるまま行動しているから、
士気が低かったでしょうね。アドバルーンで、「勅命下る」と、
投降勧告で脱落しまくったんですからね。少なくとも兵卒は、
完全に被害者でしょうね。

21 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 18:57:01.43 ID:ovMBKqwB0.net
社会の構造上の問題を、単なる為政者の悪政に還元するのがクーデター屋の悪い癖。

22 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 19:02:46.76 ID:fo1CTKnL0.net
ぱっとさいでりあー

23 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 19:02:47.85 ID:5Nvcvimh0.net
バーカ!安藤?

24 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 19:08:02.23 ID:MB0OKh180.net
安藤大尉は昭和不況で苦しく農民を救おうとして逆賊を退治線としたんだよ
失敗して東條がトップになった。

25 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 19:12:33.21 ID:iNYtjMZy0.net
当時の天皇が潰したんだっけ(´・ω・`)

26 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 19:15:45.76 ID:l3CQGzAY0.net
>>25
あれは昭和天皇立派だ。だらしない陸軍にこれは反乱だと受け止めさせたのは天皇だ。

その時と終戦時のご聖断、この二回だけ昭和天皇はその権威を発動させた。

27 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 19:20:31.38 ID:0Q2diDd50.net
満洲進出は本格的に日本が大戦争に巻き込まれる。
それを天皇に吹聴した元凶叩くべし
VS
満洲に進出しなければロシアを抑えられない、ひいては
日本の国体が立ち行かなくなる

テロという手段はともかく、どちらの言い分にもそれなりに説得力あるんだよな

28 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 19:21:54.18 ID:0m2O0Xl50.net
>>7
投資ねえ 単に不作が続いたんでしょ
ヒトの歴史はそれほどのことはないよ不作がたいがいの原因

29 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 19:23:23.94 ID:LVq/7Phr0.net
>>14
最終行が気になるのでもう少し詳しく頼む
列強ってことは米英が擾乱を惹起したってこと?

30 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 19:25:15.95 ID:l3CQGzAY0.net
>>29
むしろロシアじゃね?反乱将校の言ってる事はもろに共産主義者とかぶる。

31 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 19:29:15.79 ID:J5pqBHG70.net
1988年 NHK特集「二・二六事件 消された真実」
軍法会議の匂坂首席検察官の資料が新たに発見されたということで
澤地久枝氏が頑張ってこれは陸軍上層部のかなりの部分が関与して
るとの疑いが強いと、コンピューターでデータ処理する場面などがあって・・・
https://www.youtube.com/watch?v=_Yu70Jp1g5A 5:30
そのパソコンがPC-98のVMみたいに見える、使ってるソフトは何かな?

まあ後年、 磯田道史などが上層部が関与したように見えるだけで実際は
シンパではあったが何も関与してなかった・・・と。

32 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 19:32:08.52 ID:LVq/7Phr0.net
>>30
うんそれならコミンテルンの、的な表現になると思うんだよね
敢えて列強とする根拠が何かあるんかいな、と

33 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 19:33:07.67 ID:ivaKXeiJ0.net
この大尉は「やるぞ、やるぞ」と口癖だった人だよね

34 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 19:35:42.24 ID:cDwrdpON0.net
>>32
2.26事件の前後関係とか、事件調書の登場人物とか、
個人的な独自研究ですから、気にされないでください。

35 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 19:38:50.28 ID:ivaKXeiJ0.net
松本清張の嫁よ

36 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 19:39:09.31 ID:sdmYWmh90.net
>>26
しかし昭和天皇も何故反乱軍だけ厳罰に処したんだろか?
少なくとも悪政も原因の一つだろうに。
鎮圧が間違いとは言わないが、せめて反乱将校の言い分位聞いてから処刑にすればまた違った結末があったかも知れないのに。
昭和天皇は素晴らしいお方だと思うが、非礼とは思うがこの件の処し方だけは間違ってたと思う。
自分お気に入りの重臣を襲われた怒りを反乱軍にぶつけただけ。

37 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 19:42:36.71 ID:LVq/7Phr0.net
>>34
残念です
確証とまで行かなくても、真の見立てを軽々と5chで明かすのは難しいですもんね

38 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 19:43:17.80 ID:cDwrdpON0.net
>>36
確か、昭和天皇の乳母の方の家が襲われて、それで逆鱗に触れたとか。

39 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 19:44:55.19 ID:31CEqL+D0.net
翌年には日中戦争、さらにその翌年には極めて社会主義的な国家総動員法が成立するんですけどね。

40 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 19:46:13.43 0.net
交信ヲ傍受セヨ
https://youtu.be/l-yOlKFOIko

41 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 19:46:44.24 ID:O54rwXQN0.net
鈴木貫太郎を大河ドラマの主人公にするのはどう?

42 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 19:51:02.75 ID:31CEqL+D0.net
>>40
冒頭の和やかにインコと遊んでた後に当時の緊迫した状況を話す西田税夫人と
やたらにかっこいい爺さんの鈴木貞一が印象的だった。

43 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 19:52:09.33 ID:qqn13gFa0.net
つまり、血盟団とか2.26事件みたいな事を引き起こすのだな?

日蓮聖人は将来に対する重大な予言をしております。
日本を中心として世界に未曽有の大戦争が必ず起る。
そのときに本化上行が再び世の中に出て来られ、本門の戒壇を日本国に建て、
日本の国体を中心とする世界統一が実現するのだ。こういう予言をして亡くなられたのであります。
 
ここで、仏教教学について素人の身としては甚だ僭越でありますが、
私の信ずるところを述べさせていただきたいと存じます。
日蓮聖人の教義は本門の題目、本門の本尊、本門の戒壇の三つであります。



https://www.aozora.gr.jp/cards/000230/files/1154_23278.html

44 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 19:56:37.49 ID:mxqyuyeF0.net
事件当日の海軍では「我らが海軍出身の鈴木閣下と岡田閣下が襲われた」ので
反乱軍を艦砲射撃で吹っ飛ばしてやれという意見が結構出たという

実際に反乱軍鎮圧のために戦艦長門ほか横須賀に在泊の艦艇による帝都艦砲射撃が計画されたが
それをやると高田馬場あたりまで砲弾の破片が飛び散るので取りやめになった

45 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 19:57:17.07 ID:E6F7C8iH0.net
>>36
悪政を正すためなら共産党による暴力革命もありなんか?
いくらお題目並べたところで軍事力使ってテロ起こすのは昭和天皇的に無しだろ

46 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:08:39.39 ID:l3CQGzAY0.net
>>38
その乳母の旦那がまさに鈴木貫太郎なわけで。。。

47 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:11:06.91 ID:D78labiJ0.net
>>38
1に出てるタカさんがその人だよ
タカさんは事件後に宮中に直接電話して、昭和天皇はその電話で事件を初めて知ったという

48 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:11:25.97 ID:y+hfitqh0.net
戦後に何故かGHQが採用したのは北一輝の社会主義だった
それで日本はあれだけの社会主義の成功を果たした事を思えば、彼らもあの世で満足だろうね
本当にとんでもない事ではあったけれども、悲しい出来事だったね
田舎はどこも貧乏だったからね

49 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:11:42.72 ID:EcxlI7xc0.net
人は記憶型と思考型に大別できる

陸軍による金くれくれ事件
皇道派・統制派、はたまた陰謀説など色々あるが、んなもんは環境因子
お偉方が低俗な倫理観で強い自己愛で動いてれば良からぬ行為へと流されるんだ
ま〜今でもある省庁による予算の分捕り行為
現在の日本のお偉方を見て戦前を眺めれば合点がいくだろ

50 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:12:46.25 ID:OUAbjLiA0.net
>>28
不作?半島に投資するだけの金があれば東北への国道整備して飢饉や人捨てなどおきなかった

51 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:14:46.39 ID:y+hfitqh0.net
不遜過ぎる朝鮮人が入って来て、日本人を貶めるけれども(全部ではなくっても)
本当に色々と報われたのではないかと思う。でも天皇陛下に朝敵だと言われてしまった
将校は可哀想だったね。まあでも天皇陛下は現人神ではないからね。あの世で理解してくれたらいいね

52 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:16:05.36 ID:D8dZBCQz0.net
>>7
ほとんどが西日本出身の将校なのだが?
首謀者
野中四郎 岡山県出身
安藤輝三 岐阜県出身
河野壽 静岡県出身
栗原安秀 島根県出身
村中孝次 北海道出身
磯部浅一 山口県出身

53 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:19:18.14 ID:y+hfitqh0.net
まあでもみなさん、地元では英雄ではなくっても大事にされているそうだから
本当に貧しかったんだしね。その後にGHQが北一輝の社会主義を採用してくれて、成功したのは
奇蹟のようなものだからね。彼らもきっと報われたと思うよ(*´ω`*)
無事に成仏してくれただろう。今の官僚は最悪だけれども、当時の官僚は良かったね

54 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:21:21.66 ID:Wm3H0u8I0.net
>>6
515

55 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:27:45.76 ID:EcxlI7xc0.net
>>49 の続き
北進論・南進論でいうと皇道派は北進論というよな
皇道派が潰れて北進がなくなったと・・・・

北進と南進、やるなら北進だ
だがね、それも最善ではないのだよ
最善は満州からの撤退、そして陸軍の縮小
陸軍の予算を削ってお金と労働力を国内の産業促進に使うべきだったんじゃ

56 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:30:31.69 ID:EO2FUcz90.net
>>53
岸信介「そうやなw」

57 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:35:59.62 ID:J5pqBHG70.net
この青年将校達は思想的に未熟だったと言う説もある。
というのは、なぜあのような行為に及んだのかという動機を
聞かれると、多くの青年将校は
「それは決起趣意書に書いてあります・・・」だったとか
蹶起趣意書は読んだのかとの質問には
「読んでおりません。」だったらしい。

58 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:38:18.76 ID:dYrwDkZr0.net
元祖ネトウヨ

59 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:38:27.66 ID:qfXaaCcr0.net
>>36
テロリズムに対話は厳禁だぞ

60 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:40:01.56 ID:mxqyuyeF0.net
>>53
この二・二六事件や五・一五事件で政財界は「軍人に下手なこと言ったら殺される」って空気と
世論に「政治屋よりも兵隊さんのほうが国民のことを考えてくれる」って妙な信頼感が広がって
それと景気のいい記事で煽るマスコミが合わさって太平洋戦争まで行き着いてしまった感もある

61 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:41:38.41 ID:J5pqBHG70.net
まだるっこく、腐敗してる政党政治より
天皇親政による・・・

ヒトラーの考えと似てなくもないのだが・・

62 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:47:20.38 ID:/TmmrrJl0.net
>>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6 >>7

https://ja.wikipedia.org/wiki/尊王論

山鹿素行は、儒学のモデルであり、当時の憧れの対象であった中国明が滅び、
清に支配されて、もはや規範ではなくなったため、日本こそが儒学の正統だとして、
「日本こそ中国である」と論じた。また、儒教思想の日本への定着はすなわち、
中華思想(華夷思想)の日本への定着を意味し、近代の皇国史観などに影響を与え、
日本版中華思想ともいうべきものの下地となった。儒教では、湯武放伐を認めるかど
うかが難題とされてきたが、徳川幕府は朱子学について孟子的理解に立ち、湯武放伐、
易姓革命論を認めており、そうすると天皇を将軍が放伐してよいことになる

63 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:47:40.49 ID:/TmmrrJl0.net
>>431 >>432 >>433 >>434 >>435 >>436 >>437

明治天皇は儒教的専制君主となるよう積極的に動いていた時期があった(大久保の暗殺後に政治空白が生まれ宮中での天皇親政運動が強まる)
明治天皇とその側近である侍補グループの天皇親政運動は五箇条の御誓文や維新革命後の政治体制に反する存在となった為に伊藤博文が介入した。最終的に軍の支持を受けた伊藤
の封殺案に抵抗する術はなく、侍補は廃された。宮中グループはその後も教学聖旨によって儒教君主化を企んだが伊藤博文はこれも頓挫させた

「〔明治13年〕11月3日(東京)天皇誕生日。この国の人民がその君主に寄せる関心の程度が低い有様をみることは情けない。
警察の力で,家々に国旗を立てさせねばならないのだ。自発的にやるものは、ごく少数だろう」(エルヴィン・フォン・ベルツの日記より)

憲法の制定後は明治天皇の権力はさらに制限され、親政の希望は失われたが、伊藤博文は傀儡となった天皇の権威を最大限利用すべく動き
最終的には西欧におけるキリスト教の役割となることを期待し、操り人形の前提で天皇崇拝を強化した
明治天皇の信任が厚かった宮中グループも、朝鮮朱子学による天皇儒教権威の強化、儒教的・絶対的な天皇中心主義が教育勅語に組み入れられたことで満足(侍補達の権威アップ)し、その後はおとなしくなった

https ://ja.wikipedia.org/wiki/明治天皇
若い頃(とりわけ明治10年代)には、侍補で親政論者である漢学者・元田永孚や佐々木高行の影響を強く受けて、西洋の文物に対しては懐疑的であり、また自身が政局の主導権を掌握しようと積極的であった時期がある。

教育に関しては儒学を基本にすべしとする元田の最大の理解者でもあり、教育行政のトップに田中不二麿や森有礼のような西洋的な教育論者が任命されたことには不快感を抱いていた。特に明治17年(1884年)4月下旬に森が文部省
の顧問として御用掛に任命されることを知ると、「病気」を口実に伊藤(宮内卿兼務)ら政府高官との面会を一切拒絶し、6月25日まで2か月近くも公務を放棄して引籠もって承認を遅らせている。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/機務六条
宮中側は明治天皇が儒教に基づいた東洋的な専制君主として「天皇親政」を行うべきであると主張し、明治天皇への帝王教育もその路線で行ってきた。これは将来的には天皇を西洋的な立憲君主として近代国家の中枢に据えようとす
る太政官の方針と矛盾したものであった。このため、岩倉や伊藤らは侍補を廃止して親政路線を停止しようと図ったが、明治天皇自身が元田永孚・佐々木高行ら侍補に心を寄せて彼らを私的なブレーンとして遇し、彼らが期待する君主像を実現させようと試みた。

1879年(明治12年)3月10日、明治天皇が「勤倹の聖旨」を公布して政府の財政路線を批判し、続いて元田に「教学聖旨」を執筆させて教育政策を批判した。伊藤らは天皇と宮中側の関係を改めさせようとしたが、急速に立憲制が確立することで
公家出身の門地に依存してきた自分の地位が危うくなることを危惧した三条や岩倉は、元田や佐々木らの宮中側勢力を完全に抑えることには消極的で、大隈財政末期の外債発行問題などでは宮中側と連携して太政官側を動かそうとする動きも見せたのである。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/伊藤博文
お雇い外国人であったドイツ人医師のエルヴィン・フォン・ベルツは『ベルツの日記』の中で、伊藤が会議の席上、半ば有栖川宮威仁親王の方を向き、「皇太子に生まれるのは、全く不運なことだ。
生まれるが早いか、到るところで礼式の鎖にしばられ、大きくなれば、側近者の吹く笛に踊らされねばならない」と言いながら、操り人形を糸で踊らせるような身振りをして見せたことを紹介している。

64 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:47:54.42 ID:/TmmrrJl0.net
>>441 >>442 >>443 >>444 >>445 >>446 >>447

伊藤博文は百姓、山県有朋は奉公人の出身と記憶しているが、明治維新の長州閥に限定すれば大規模な身分変動があったことになる
足利尊氏のように賊軍・朝敵になってから政権を奪取したりする例はあるが、百姓・奉公人の血筋からの出世では豊臣秀吉以来と言えるだろう

王政復古・明治維新後には公家や宮家が権勢を振るう可能性があったが、権力を得たのは伊藤博文と山県有朋を筆頭にテロリスト兼反乱軍(元賊軍)・一揆軍部隊長のような指折りの危険人物
ぞろいであったため明治天皇や側近・皇族・公家を差し置いて実権を握ったのは長州・薩摩の勢力となった。伊藤博文と山県有朋は天皇親政運動を封殺して天皇から実権を剥奪したが
元田永孚や公家からの圧力を受け教育勅語において妥協をしている

伊藤や山県の死後、薩長では天皇や側近に薄気味悪さを感じさせる(怯えさせる)ような人材を輩出しておらず、教育勅語で元田永孚(熊本藩の上級武士出身)がしかけた時限爆弾に
よって国論の儒教化・朝鮮朱子学化の圧力が急速に強まっていくことになる。朝鮮朱子学の暴走の歯止めとなっていた明治の元勲が消えたことで、止め金が失われたわけだ

儒教・朱子学は短期的に社会を安定させる効果と、長期的に停滞をおこし社会を過激な動乱に導く滅びの笛であり、定期的に動乱の渦に国が呑まれていくことになる

https://ja.wikipedia.org/wiki/元田永孚
朱子学的な大義名分論を日本の現実社会に徹底化して、修身と治国の一体化を図ると共に皇室への崇敬を一種の「国教」として確立することを
目指した元田の「政教一致」路線は、教育勅語を通じた天皇制国家の確立によって実現されていく。

65 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:48:05.35 ID:8ynCvNhq0.net
>>41
妻タカは50年後くらいに大河ドラマくるかもね

66 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:48:08.91 ID:/TmmrrJl0.net
>>451 >>452 >>453 >>454 >>455 >>456 >>457

北一輝が西郷隆盛の信奉者であったことを考えると、儒教君主の天皇親政とは考えにくいため、本音は別のところにあったのかもしれない
しかし明治天皇が儒教君主になろうと天皇親政運動をしていたことを北一輝が知らない可能性もある

ある意味では伊藤博文・山県有朋が明治天皇の親政の希望を断ったのも事実ではあるし、プロイセン・ドイツ流の国家主義はカルテル経済のハリボテであったので
両名に対する批判はもっともであるが、伊藤博文が傀儡として天皇を利用せず、明治維新が天皇親政に向かおうとした場合は、薩長や雄藩の軍人によって国体(天皇を中心とする国家体制)が消滅していた可能性もゼロではない

https://ja.wikipedia.org/wiki/孝明天皇
その後、幕府・一会桑・薩摩藩・長州藩等の諸藩・公家・志士達の権力を巡る争奪戦に巻き込まれていくと、孝明天皇自身
の権威は低下していくことになった。

1865年(慶応元年)、攘夷運動の最大の要因は孝明天皇の意志にあると見た諸外国は、艦隊を大坂湾に入れて条約の勅許を
天皇に要求したため、天皇も事態の深刻さを悟って条約の勅許を出すこととした。だが、この年には実際には宮中のみに留
まったものの西洋医学の禁止を命じるなど、保守的な姿勢は崩さなかった[注 2]。

このような状況の中で、次第に公武合体の維持を望む天皇の考えに批判的な人々からは、天皇に対する批判が噴出するよう
になる。第二次長州征伐の勅命が下されると、大久保利通は西郷隆盛に宛てた書簡で「非義勅命ハ勅命ニ有ラス候」と公言[5]し、
岩倉具視は「国内諸派の対立の根幹は天皇にある」と暗に示唆して、「孝明天皇が天下に対して謝罪することで信頼回復を果た
し、政治の刷新を行って朝廷の求心力を回復せよ」と記している[6]。こうした中で1866年10月8日(慶応2年8月30日)には、
天皇の方針に反対して追放された公家の復帰を求める廷臣二十二卿列参事件が発生し、その後薩摩藩の要請を受けた内大臣・近衛忠房
が天皇が下した22卿に対する処分の是非を正そうとしたことから、天皇が近衛に対して元服以来の官位昇進の宣下をしたのは
誰か、奏慶(御礼の参内)は何処で行ったのかと糾弾する書簡を突きつけている[7]。

67 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:48:46.96 ID:/TmmrrJl0.net
>>461 >>462 >>463 >>464 >>465 >>466 >>467

吉田松陰が育てた陽明学徒の維新勢力は禁門の変で賊軍・朝敵となり、さらに天皇親政運動を封殺しており、陽明学徒はその時々の情勢に応じて天皇の利用を流動的に使い分ける傾向がある
陽明学は経典を軽視する傾向が顕著なため、これに驚きはない

そのため陽明学徒には経典も含めて外部から見た道徳的な制約は存在しないが、朱子学徒は事実・現実を無視した儒教序列妄想に強烈な執着を持つ
朱子学水戸藩は内紛と内部粛清でぼろぼろになり、儒教道理等には眼中にさえない陽明学徒テロリスト兼反乱軍(元賊軍)・一揆軍部隊長が政権を奪取したのは合理的必然であると言ってよい

https://ja.wikipedia.org/wiki/陽明学
経書の地位低下
心を外的な規範から解放した結果、六経などの経書を尊び学ぶ姿勢が減退していくことになる。王陽明自身は「吾が心に省みて非なれば、孔子の言といえども是とせず」
と言い切ってはいても、未だ経書への姿勢は謙虚さがあった。しかしその弟子、就中高弟と言われる者でも生涯に読んだ経書は四書だけといわれる人が陽明学派から出て
くるようになる。かくして経書はその聖性を減じていき、六経は単なる歴史に過ぎないという解釈が生まれた。これは清代考証学の一派である黄宗羲ら浙東史学から章学誠
を経て、章炳麟へ受け継がれていった。

元田永孚が宮中や教育を朝鮮朱子学で汚染したのに対して、反朱子学である陽明学を学んだ西郷隆盛の西南戦争(第二維新、第二革命と北一輝は名付ける)の例もある

陽明学を学んだ革命愛好家・趣味的革命研究家である北一輝は、明治維新革命の延長(長州は朝敵であったため明治維新と皇道派との整合性はないので延長ではない)
であると皇道派の将軍に売り込むためか、または朱子学的だった世相を考慮して天皇親政を掲げた

一方で窮乏していた貧民層を救うために、明らかに肥大しすぎた皇族資産の凍結・徴収といった皇室・皇族が嫌悪する政策(しかし否定すれば皇族に理は失われる)
を提案しているが、これは皇族サイドの欲やエゴにはマイナス要因としかならず、権力者・序列主義への忠誠が全てに優先される朱子学的思想から逸脱したことで、
信じがたい非礼、として皇族や宮中を激怒させたことは容易に想像できる

天皇親政という朱子学思想(建前)と、弱者救済や改革といった陽明学思想(本音)が混在する倒錯は、賊軍・朝敵となっても力と血の犠牲で全てをひっくり返して権力を奪取する(明治維新、足利尊氏等)
という軍事クーデターとの相性は最悪でありニ・二六事件は必然的に失敗した。また北一輝のような目立ちたがりやの革命愛好家・革命オタクが関わり表に出張ると情報が外部に漏れて時宜を見失うことで失敗しやすくなる

68 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:49:00.25 ID:/TmmrrJl0.net
>>490 >>491 >>492 >>493 >>494 >>495 >>496

朱子学を教育勅語に編み込んで日本人を朝鮮朱子学で洗脳した元田永孚に先駆けて日本国内に李氏朝鮮の朱子学を復元した壮大な社会実験は水戸藩で行われた
朝鮮人的思考形態を持つ陸軍統制派によってさらに拡大運用された結果として集団パニック症候群が大量に発生した。現代の愛国烈士の姿は天狗党に被る

https://ja.wikipedia.org/wiki/天狗党の乱

天狗党の発生
こうして権力を得た一派は、反対派から「一般の人々を軽蔑し、人の批判に対し謙虚でなく狭量で、鼻を高くして偉ぶっている」ということ
で、天狗党と呼ばれるようになった。これに対して斉昭は、弘化2年(1845年)10月に老中阿部正弘に対し、江戸では高慢な者を「天狗」と
言うが、水戸では義気があり、国家に忠誠心のある有志を「天狗」と言うのだと主張している[3]。とはいえ、天狗党という集団はその内部
においても盛んに党争と集合離散を繰り返しており、それぞれの時期においてその編成に大きな差異が見られる。まず天狗党は後述する
「勅書」返納問題において鎮派・激派に分裂したうえ、さらに激派内でも根拠地別に筑波勢・潮来勢などの集団があってそれぞれ独自に動
き回っていたことから、『水戸市史 中巻(五)』においては、一味の総称である天狗党の呼称を、最終的に京へ向かって西上した集団に
限定して使用している[2]。

大発勢の出陣と那珂湊の戦い
江戸の水戸藩邸を掌握した諸生党に対し、激派・鎮派は領内の尊攘派士民を下総小金(千葉県松戸市)に大量動員し、藩主慶篤に圧力をかけ
交代したばかりの諸生党の重役の排斥を認めさせ[15]、水戸藩邸を再び掌握した。しかし、市川らによる水戸城占拠の報に接し、国元の奪還
を図ることとなった[16]。そこで、在府の慶篤の名代として支藩・宍戸藩主の松平頼徳が内乱鎮静の名目で水戸へ下向することとなり、執政
・榊原新左衛門(鎮派)らとともに8月4日に江戸を出発した。これを大発勢という[17][18]。これに諸生党により失脚させられていた武田耕
雲斎、山国兵部らの一行が加わり、下総小金などに屯集していた多数の尊攘派士民が加入して1000人から3000人にも膨れ上がった。

投降
関東において天狗党がもたらした惨禍を目の当たりにしていた意尊らはこの光景に激怒し、加賀藩から引渡しを受けるとただちに天狗党員
を鰊倉(鰊粕の貯蔵施設)の中に放り込んで厳重に監禁し、小四郎ら一部の幹部達を除く者共には手枷足枷をはめ、衣服は下帯一本に限り、
一日あたり握飯一つと湯水一杯のみを与えることとした。腐敗した魚と用便用の桶が発する異臭が籠る狭い鰊倉の中に大人数が押し込められ
たために衛生状態は最悪であり、また折からの厳寒も相まって病に倒れる者が続出し20名以上が死亡した。

この時捕らえられた天狗党員828名のうち、352名が処刑された。1865年3月1日(元治2年2月4日)、武田耕雲斎ら幹部24名が来迎寺境内に
おいて斬首されたのを最初に、12日に135名、13日に102名、16日に75名、20日に16名と、3月20日(旧暦2月23日)までに斬首を終え、他
は遠島・追放などの処分を科された。

乱後
天狗党降伏の情報が水戸に伝わると、水戸藩では市川三左衛門ら諸生党が中心となって天狗党の家族らをことごとく処刑した。

水戸学を背景に尊王攘夷運動を当初こそ主導した水戸藩であったが、藩内抗争は他藩にも例を見ないほどの凄惨な殲滅戦となって人材のことご
とくを失ったため、藩出身者が創立当初の新政府で重要な地位を占めることは無かった。

69 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:49:12.31 ID:/TmmrrJl0.net
>>501 >>502 >>503 >>504 >>505 >>506 >>507

国学・神道の融合による朱子学化を推進した結果として尊王攘夷運動という時限爆弾が荒れ狂い自滅することになった水戸藩は、
弱小国の分際で世界最強国アメリカに無謀な戦争をしかけた戦前日本に重なる

http s://ja.wikipedia.org/wiki/諸生党
戊辰戦争以後
慶応4年1月(1868年2月)、戊辰戦争が始まると、諸生党に対する追討命令が朝廷から出された。これにより水戸藩に戻った本圀寺党を
はじめとする天狗党の残党と諸生党の間で再度抗争が起こり、今度は賊軍となった諸生党はたちまち勢力を失い、市川らは水戸を脱して
会津へ向かった。武田金次郎ら天狗党が藩内での権力を掌握すると、諸生党やその家族に対して激しい報復が行われ、各地で多くの
諸生党士民が処刑されたり投獄されたりした。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/松山戦争
背景
元治元年12月(1865年1月)に関東を劫掠していた水戸藩天狗党の乱が鎮圧された後、水戸藩の藩政は市川弘美ら
中心とする諸生党が掌握し、水戸に居た天狗党の関係者は諸生党によって次々と処刑された。

ところが翌年将軍徳川家茂が死去すると、翌年には天狗党本隊のうち武田金次郎ら遠島に処される予定であった者共
が赦免され、さらに孝明天皇崩御の後、天狗党と共謀関係にあった長州藩が鳥羽・伏見の戦いで勝利すると、天狗党・本圀寺党
の訴えにより諸生党が一転して朝敵に指定された。

経過
天狗党は翌7日から9日にかけて八日市場近隣の村々に押入って金品を強奪し、各村の名主・組頭を縛り上げて拉致し
身代金550両を奪取した上、銚子など周辺の町を次々と襲撃して略奪を繰り返した後、水戸へと戻っていった。飯高寺
の『向城庵記憶帳』は、この時の有様を「辰年十月中旬、水戸藩士天狗共国元にて戦争の上〜八日市・佐原・銚子・東金
などの町家へ乱荒し必死難渋の沙汰」と記している。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/武田金次郎
1864年の天狗党の乱には、祖父や父と共に参加する。のちに乱が鎮圧されて祖父など376人が死罪に処せられたが、若年を理由に遠島処分となる。
1866年、金次郎ら110名は小浜藩に預けられ、佐柿(福井県美浜町)の屋敷に収容されて謹慎したものの、准藩士格として厚遇される。1868年、
王政復古によって朝廷から罪を許され、水戸への帰藩を命ぜられた。

帰藩した金次郎らは、朝廷の威光により藩の実権を掌握。通称「さいみ党」と呼ばれた金次郎らは、仇敵であった諸生党残党に復讐をすべく、
白昼堂々に襲撃・暗殺し、藩内を極度の混乱状態に陥れた。

香川が栃木県の塩原温泉を訪れたとき、物乞い同然のみすぼらしい小屋で暮らす、体の不自由な金次郎と出会った。驚き哀れに思い、香川が金銭を渡すと、
金次郎は喜び、ひれ伏したという。このあと、金次郎は水戸に戻され、3か月後に亡くなった。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/武田耕雲斎
家系
武田耕雲斎の家系は清和源氏のひとつ、河内源氏の傍系である跡部氏の一族であるという。

70 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:49:22.21 ID:/TmmrrJl0.net
>>511 >>512 >>513 >>514 >>515 >>516 >>517

天皇親政運動を明治天皇の意向を受けて主導した元田永孚による朝鮮朱子学から生まれた国学を用いた天皇儒教権威の強化によって、
戦前は神風神話・神明に加護された神州不滅思想のような神話が生まれた

結果として無様な敗戦をきっする前までは天皇になにか超人的な力(超能力や霊力)があると期待していた宗教的風潮があったと見られるが、戦後に神国神話は
敗戦という現実によって粉砕されごく一部の狂人しか信じるものはいない

https://ja.wikipedia.org/wiki/神州不滅
江戸時代
江戸時代末期、藤田東湖は「神州誰君臨、万古仰天皇」と述べ、「支那」は革命を主体とする国家で王朝交代があるので「正気観念」にも変動があるが、
日本は万世一系の皇室を頂いて永遠に変わらないので「正気観念」にも変動が無く、そこに日本民族の特徴があるとした[1]。藤田東湖は「正気」とは
一般的には道義、特殊的には忠義であるし、更に「正気」の粋を集めた「神国日本」のその皇風が世界に広がり、皇室の御聖徳は太陽にも等しい、とした[1]。
藤田東湖の「正気歌」は吉田松陰や、明治の広瀬武夫にも影響を与えた[1]。平田篤胤の思想と、この水戸学の勤皇思想が混ざり、幕末に「神州不滅」の思想
が巻き起こった[2]。

明治以降
大日本帝国憲法では、日本は万世一系の天皇が統治し、天皇は神聖と明記された。

昭和および太平洋戦争終結時迄は、軍部によって「神国日本」「神州不滅」など、民族主義、精神主義、宗教などの傾向を持つスローガンが広く使用された。
また「神州不滅」の理由として、日本は神国であるから国家の危機の場合には元寇と同様に神風が吹く、とも説明され、神風特別攻撃隊も組織された。

71 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:49:33.60 ID:/TmmrrJl0.net
>>521 >>522 >>523 >>524 >>525 >>526 >>527

民度マックスの水戸藩士達は些細な差で内ゲバを起こし、フランス革命に匹敵する凄惨な同士討ちをした(3歳の幼児を処刑)
内紛・内ゲバの経緯を見ると、水戸藩士は見事なまでに朝鮮人の特徴である中庸徳を会得しており、まさに日本国に現出した朝鮮・中華が水戸藩だったと言える

徳川光国の主導による「大日本史」の編纂の過程において国学が生まれ、水戸藩は神道・国学・朱子学研究の中心地となり、
明治維新に先んじて廃仏毀釈を行うことになる

会沢安あたりは神道からの大義名分論を導き出し、今日の(朝鮮朱子学に洗脳された)愛国烈士の教祖のような存在だろう
弘道館は他にも神道系の国学者を輩出しており、大政奉還・王政復古のプランは水戸藩の貢献が大きいが、同時に内紛による
熾烈な虐殺事件は儒教中庸の強さを証明している

藤田東湖の尊皇攘夷と、元田永孚・佐々木高行の天皇親政は、朱子学をルーツにする点において同祖と言え
国体(天皇を頂点とする国家体制)を作ったのも水戸藩や朱子学者であり、朝鮮朱子学をベースに儒学の官学化を推進し神道と儒学を融合した林羅山からの伝統と認めることができる

72 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:49:45.83 ID:/TmmrrJl0.net
>>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6 >>7

福沢諭吉「我が国の人民は、数百年の間、天子あるを知らず、唯これを口碑に伝ふるのみ。維新の一挙以て政治の体裁は数百年の古に復したりと称すと雖も、王室と人民との間に至密の交情あるに非ず」

73 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:49:52.91 ID:mxqyuyeF0.net
この話題なにか都合が悪いんか?

74 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:49:55.17 ID:uO9RokeW0.net
軍人は右翼と考えるのは浅はか。そんな単純ではない。

226事件は、天皇親制の国家社会主義国を目指したクーデター未遂。
当時は、格差の激しい財閥社会で、貧乏家庭出身の多い陸軍でも
共産思想への傾倒があった。

75 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:49:58.91 ID:/TmmrrJl0.net
>>530 >>531 >>532 >>533 >>534 >>535 >>536

なぜ水戸藩だけが戦前日本の集団中庸パニック症候群に酷似した状況に陥ったかだが、幕府に近い大藩というだけでなく名門中の名門、
門閥の血筋の藩主と藩士達が主導する正統学問の中心という自負と特権意識による藩内序列、血統序列のマウンティング抗争が勃発したからだろう
その根本原因は朝鮮朱子学・神道と結び合わさったのが原因と推定できる

伊藤博文、山県有朋は名門どころか社会の底辺出身であり朱子学の身分差別からは這い上がるべきでない下民であったし、さらに賊軍・朝敵になった後は初期の(上級武士による)朱子学色は払拭され陽明学ないし西洋的リアリズムで
軍事クーデターによって国体も含めて政権をひっくり返すという意識が芽生えたわけであり、尊皇攘夷もあっさり捨て、政権奪取後の天皇親政運動も封殺した

薩摩も逆賊・朝敵である長州と同盟をする点において大義名分からかけ離れ、幕府を滅ぼすことに熱中し、王政復古より幕府の滅亡を優先し政治的協議でなくリスクの高い内戦を選んだ

福沢諭吉「我が国の人民は,数百年の間,天子あるを知らず、唯これを口碑に伝ふるのみ。維新の一挙以て政治の体裁は数百年の古に復したりと称すと雖も、王室と人民との間に至密の交情あるに非ず」

維新以前は天子の認知度は低かったが、廃藩置県があっさり通った段階で五箇条の御誓文は忘れ去られており、明治天皇と宮中、側近の天皇親政運動(五箇条の御誓文とは全く正反対の儒教原理主義)はその流れを象徴した
現実は伊藤博文と山県有朋は、世襲カリスマである明治天皇の意向をいつでもひっくり返す軍事力を持つだけでなく、国民と皇室が疎遠な事を理解して、大義名分論の天皇親政を退けた現実主義者だったと言える

伊藤や山県の死後、薩長では天皇や側近に薄気味悪さを感じさせる(怯えさせる)ような人材を輩出しておらず、教育勅語で元田永孚(熊本藩の上級武士出身)がしかけた時限爆弾に
よって国論の儒教化・朝鮮朱子学化の圧力が急速に強まっていくことになる。朝鮮朱子学の暴走の歯止めとなっていた明治の元勲が消えたことで、止め金が失われたわけだ

76 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:50:14.51 ID:/TmmrrJl0.net
戦前の皇族の資産は、日本一の金持ちだった徳川家の資産を強制的に返上納地させ皇室が(徳川家の視点からすると)奪ったものが大半とされる
違法資産を接収するなら国庫に入れるべきだが、皇室の資産に移転されたようだ
皇族資産は財閥資産と同じく課税対象にされ大半が徴収された

https ://kotobank.jp/word/%E7%9A%87%E5%AE%A4%E8%B2%A1%E7%94%A3%E8%A7%A3%E4%BD%93-1313818
…終戦時の皇室財産の総額は総司令部発表で約16億円(美術品,宝石等を含まない),財産税納付のさいの財産調査(1946年3月3日現在)
によれば約37億円と評価されている。かくして皇室財産解体の第1段として,47年2月財産税法が適用され皇室財産の90%にあたる
約33億円が徴収された。ついで財産税納入後残る10%の皇室財産は,憲法第88条の発効とともに国に帰属することとなった。…

https ://history.state.gov/historicaldocuments/frus1947v06/d178
The application of the capital tax levy law to Imperial Household property will result in the formal transfer to the State by 15th
March upwards of 80 to 90 percent of the total assets of yen 1,675,267,073. The remainder consisting of Imperial palaces, villas
and preserves to a value of yen 169,299,890 will become automatically State property on 3rd May 1947 and will be designated
as State property assigned to the throne to be administered and accounted for to the Diet in accordance with the provisions of
the Imperial House Economy Law and the State Property Law.

https://ja.wikipedia.org/wiki/日本のインフレーション
日本国政府は、1945年(昭和20年)12月に預金封鎖と新円切替など立法化し(翌2月に緊急措置)通貨の流通量を強引に減らして物価安定に努めたが、
傾斜生産方式による復興政策が始まると、復興金融金庫から鉄鋼産業と石炭産業に大量の資金が融資された結果、復興インフレが発生した。
インフレーションを抑えるために融資を絞ると生産力が鈍るために、融資を絞ったり拡大したりする不安定な経済状態が続いた。結果的に、
1945年10月から1949年4月までの3年6か月の間に消費者物価指数は約100倍となった(公定価格ベース、闇価格は戦中既に高騰していたため戦後の
上昇率はこれより低い)[14]。敗戦後のインフレは年率59%であった[15]。1947年のインフレ率は125%となった[16]。

戦前の(皇居や御用地を除いた)皇族財産は皇居の土地(帳簿は5000億円だが、皇居を1平米1000万で換算すると10兆円になる)の約10倍という計算なので
現在価値で5兆円〜150兆円近くの資産があったと考えることもできるが、昭和20年の国家予算歳出(一般会計)が215億円となり、終戦時37億円保有(〜46年3月3日調査)していたとのことで
現代で言えば一般会計約100兆円を基準とすると17兆円程度となる

1947年はかなり悪質なインフレとなるので、それ以降の数値は信頼しないとすると、昭和20年の一般会計と1946年3月(敗戦後半年経過以内)の調査を微調整するとマイナス数兆円に再評価しても良いかもしれない
なお戦後まもなく大量に保有していた国債の価値は、先行して暴落したはずで数兆円多めに補正をしても良いかもしれないが、さらなる調査が必要だろう
プラスとマイナスを相殺すると17兆円程度の金融資産ではないかと予想(主な大企業の大株主、国債の大量保有)する
(終戦時には財閥の保有財産は破壊しつくされ株式価値は相当毀損しているだろうから、戦前の株資産価値がはるかに高いと想定すると17兆円どころではない)

77 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:51:22.78 ID:/TmmrrJl0.net
>>481 >>482 >>483 >>484 >>485 >>486 >>487
>明治天皇は儒教的専制君主となるよう積極的に動いていた時期があった

象徴制の「象徴」という用語は辞書的な定義とはかなりずれる
君主のsymbolとしての象徴化は19世紀の段階で議論されているわけで、海外からすると象徴は君主・元首のダウングレード版(君主・元首以下)となる
実体として権力・権威を取り除かれた君主が象徴制君主であるため、象徴は「君主・元首」のダウングレード版と考えれば良い

識字率が低い19世紀イギリスにおける象徴の機能の骨子は、19世紀の文盲で教育がなく情報もない大衆が権利を行使しやすい直接民主制(国民投票による大統領選出等)の道理・正当性に対抗して
「間接民主主義で選ばれたエリートが国民を円滑に支配するための手段」となる
ウォルター・バジョット「イギリス憲政論」(19世紀イギリス)によると、最底辺や中間レベルの大衆はエリートに対して忠誠を示さないが、高貴な君主がいれば社会体制に対する支持を得やすく
有用な政治的ツールである。そして選挙によって選ばれた賢者たるエリートの代議士が効率的に支配するという考え方において、「象徴」はエリートの使いやすい道具と言える
19世紀イギリスの一般人は文盲でろくな教育も受けず貧しく愚かであり、威厳のある高貴な天上人である象徴があることで、(政治思想による)主義(-ism)から独立した国民の効率的な支配ができるという説に依る

これに対して日本ではエリートの質が著しく劣り(科挙や利権権力維持しか能がなく、一般人の方がよっぽどましなぐらい使命感・専門的知識・献身的資質が欠如)、
緊急事態や国が急激に衰退している状況でも日本に四季や国体があるから大丈夫程度で済ませてしまう愚物が大半のため、
これであれば直接天皇が責任を取る親政のほうがましという投げやりな圧力が底辺から湧いてきた。天皇親政運動の根本には、天皇が儒教君主の徳を体現しエリートの
悪政から解放してくれる救世主という意味合いが強く、エリートがどうしようもなく腐敗し堕落した国家における儒教原理主義の一形態と言える(市民革命ならぬ儒教革命・朱子学革命)

象徴はエリートの質が担保できた場合にのみうまく作用するが、日本人の精神的文化には一時的に良いものに飛びついても外部のものであれば悪いところばかり貶して良い面をポジティブ
に捉えず、内部のゴミのような欠陥品をあがめる素質があるため直接民主主義には向かず、大統領制よりはるかにマシな選択と考えることはできるため一定の合理性は認められる

https://ja.wikipedia.org/wiki/象徴天皇制
ヨーロッパの君主制との比較
君主制をとる国で、日本の天皇のように君主に政治的な権限がない国は、北欧やオランダ、スペインなどが挙げられる。

日本の天皇以上に政治的な権限が制限されている君主として、スウェーデン国王があげられる。1979年の憲法改正以後、
首相任命権などの形式的な国事行為すら認められていない。政治から完全に分離され、国の対外的代表としての地位しかない。
そのため、象徴君主制という新たな区分を設けるべきではないかとする意見がある。

その一方で、リヒテンシュタイン家は、象徴・儀礼的存在にとどまらず、強大な政治的権限を有している。そのため、ヨーロッパ最後の絶対君主制と言われる。
ウォルター・バジョットは「イギリス憲政論」で成文法の憲法を持たないイギリスでヴィクトリア女王をsymbolと位置
づける憲政論をしている。

https://en.wikipedia.org/wiki/The_English_Constitution
England had a ‘double set’ of institutions – the dignified ones ‘impress the many’ while the efficient ones ‘govern the many’.
The dignified or ‘theatrical’ parts of the system played the essential role of winning and sustaining the loyalty and confidence of
the mass of ordinary people whose political capacities were minimal or non-existent; they helped the state to gain authority and
legitimacy, which the efficient institutions could then use. Bagehot was an unashamed elitist who believed bleakly that the ‘lower orders’
and the ‘middle orders’ were ‘narrow-minded, unintelligent, incurious’. Throughout The English Constitution, there are references to
‘the coarse, dull, contracted multitude’, ‘the poor and stupid’, ‘the vacant many’, ‘the clownish mass’.

78 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:51:43.32 ID:/TmmrrJl0.net
>>992 >>993 >>994 >>995 >>996 >>997 >>998

中国をお手本とした結果、「女三界に家無し」なんていう蛮族の因習が作られた

「女三界に家無し」
《「三界」は仏語で、欲界・色界・無色界、すなわち全世界のこと》女は幼少のときは親に、嫁に行ってからは夫に、老いては子供に従うものだから、広い世界のどこにも身を落ち着ける場所がない。

【日中】安倍首相「漢字や仏教、社会制度、都市づくりは 中国から日本に伝わった」「中国は長く日本のお手本」北京のフォーラムで★2
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1540695700/

「三従四徳」
昔の中国の女性への教え。
「三従」は従うべき三つのことで、幼い時は父親に従い、嫁いだ後には夫に従い、年老いたら子どもに従うべきであるということ。
「四徳」はいつもの生活で心がけるべき四つのことで、女性としての節操を守ることをいう婦徳、言葉遣いをいう婦言、身だしなみをいう婦容、家事をいう婦功のこと。

79 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:52:30.37 ID:/TmmrrJl0.net
>>840 >>841 >>842 >>843 >>844 >>845 >>846
>忠君愛国はある意味世界標準な概念

これは言うまでもなく誤解だ

儒教・朱子学の君主、神権主義の君主、古代王権神授(absolutismや絶対王政の前)の君主では似ているようで異なる
日本では江戸時代に朝鮮朱子学をベースにした国学が流行し儒教・朱子学と原始宗教(実際は相当前から儒教化)の神権主義が習合した
(水戸学によって神授仏から廃仏毀釈で神儒に移行、江戸時代から廃仏毀釈は行われる)

欧州の古代王権神授説であれば、王は神の使用人、世話人であり、国民に対して奉仕し、客観的な真実に基づく説明責任を負う
君主が責任を負えないのであれば裏で殺処分をすることもある

他国で戦争に命をはる場合のスローガンも日本とは異なる
親兄弟、姉妹、子供・孫、親戚、友人、コミュニティー、資産、自由を守るために、命をかけて戦おうというのが一般的なスローガンだ

つまり他国の奴隷には決してならない、そのためには死を厭わないという理屈だ
ただこれは主君や貴族の奴隷にもならないという意味も背後にあり、国民は自由であるべきということだ

(誰が国民かというのは古代では色々とかわってくるが、アリストテレスはエリート・富裕層以外に投票権を与えるのは無政府状態と断じており、
今日の民主制に進化したのは人類文明の進歩の成果といって良い)

80 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:52:57.99 ID:cmRXLvBu0.net
貝塚ひろし先生画の漫画叛乱226事件がコンビニコミックで手に入れられたから良かった
安藤大尉は元々乗り気じゃなかったし秩父宮殿下との親交もあったから悩み抜いた決断だったんだろうね

81 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:53:09.21 ID:/TmmrrJl0.net
忠君と愛国は別個の思想であり、同じではない。また忠君の最大の根拠であった神風・神州不滅伝説が崩壊したことで、忠君によって
国が滅びる事例を、膨大な死者を生み出した社会実験によって身を持って証明した

>君臣一体、忠孝一致

君臣一体は朝鮮朱子学に由来するものだが
おそらく戦後になってさえもそれが日本人や朝鮮人特有の精神不安障害だと認識できなかったのは
自称有識者が「united」を「一体」として強引な翻訳をしたからだろう

確かに(国王が女王がいる体制下では)王室と国民が一致団結(unite)して自由を守るというのは当たり前だ
しかし「一体」という言葉は明らかに「一致団結」とは異なる意味を持たせられる

英語では「united under one banner」とか「united under one king」は一つの旗のもとに団結や、一人の王のもとに団結という意味がある

これは君民一体に似ているようで全く違うニュアンスがある。英語圏ではあくまでも独立した個人が集まるチームの団結をとなえる修辞を
こえた意味はもたないが、北朝鮮や戦前日本、李氏朝鮮のような儒教圏では民は君主の子供として一体となる

同質性不安症、集団中庸パニックといった朝鮮人や戦前日本人国家主義者に共通した欧州と全く関係のない用語として
定義された君主と臣民一体(君臣一体、忠孝一致、一君万民)という標語の結果は、北朝鮮の金王朝を見れば明らかだ

82 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:53:22.48 ID:iKDBBM990.net
>>1
二・二六テロも結局、軍部の主権握った統制派の政治家に対する脅迫に使われただけだったな

83 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:53:30.88 ID:/TmmrrJl0.net
生瀬騒動では400人程度を無差別に皆殺しにしたとの伝承が残る。つまりこの程度では公的記録に残らないというわけだが、これを「大日本史」・藩史に書けないところが
朱子学朝鮮坊侍達の限界と言える。不祥事を隠蔽したら、失敗を繰り返さないための分析と進歩もないわけで、これでは都合の良い情報だけを収集するいかさま考証と言われても反論できないだろう し
正史に対する信頼も完全に失われる

水戸藩はその他にも農民に対する秘密警察なみの監視をしたり、徳川光国から想起される水戸藩のイメージからはかなりずれる

朝鮮朱子学による神道の改造によって作文された国学によって水戸藩は廃仏毀釈の先駆者となった。天狗党の乱以前から藩内は些細なことや家格の差で
内ゲバをしている。天狗党の由来は成り上がり者が生意気という意味らしいが、徳川斉昭を擁立した下士派となっている主なものは儒学者である藤田・会沢を除き血筋は上士以上の没落士族もいるため
藩内序列と血統序列による特権意識マウンティング合戦が起きていた可能性は多いにあるだろう

https://ja.wikipedia.org/wiki/水戸藩
1607年(1602年、1615年とも)の秋に、小生瀬村(現:大子町小生瀬)で、年貢を巡る農民と藩役人の行き違いにより、
藩が小生瀬村の住人を皆殺しにする事件が起こった(生瀬騒動)。藩の役人が年貢を取りに来て農民は納めたが、また
別の役人が年貢を取りに来たこと(年貢の二重取り)に対して怒った農民たちが、後から来た役人を偽物と判断してその一人
を殺害した。これに対し10月10日、蘆沢信重が藩兵を出兵させて生瀬村の農民を皆殺しにしたという。この事件に関しては、
藩の公式記録には一切触れられず、伝承と関連した地名が残るのみである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/結城朝道
かつて朝道によって失脚させられた斉昭や改革派の恨みは凄まじく、彼らがやがて復権を遂げると、嘉永6年(1853年)10月16日に
朝道は拘禁されることとなった。やがて朝道は水戸藩の支藩の筆頭・高松藩の藩主で、幕府内においては譜代大名の井伊直弼ら保守派
との関係が深い松平頼胤が宗家の家督を欲しているのを知り、慶篤を暗殺して頼胤を藩主に迎えようと画策した。しかし計画は露見し、
その3年後に死罪に処せられた。享年39。子・種徳も拘禁され、絶食のために獄死した。

84 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:54:15.66 ID:EcxlI7xc0.net
>>55 の続き
そもそも日本は強大な陸軍を必要としない
いや持ってはいけないんだ
だって島国だもん

中国より大きい陸軍を持ってはいけないんだ
古い時代をも含め日本と支那を考える際、俺は国力比で1:4、日本1、支那4で計算する
んで支那は陸軍大国
これに張り合って日本が支那より大きな陸軍を持とうと思った時点で日本は経済破綻する
戦う前に負けてしまうんだ

85 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:54:20.57 ID:y/fA9zgw0.net
数学youtuberの鈴木貫太郎好きだわ。

86 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:54:22.84 ID:/TmmrrJl0.net
水戸藩の佐幕派は家格門閥で、尊皇攘夷派は下級武士という説があるが、家格門閥とはあくまでも血筋とは無関係の水戸藩における家柄のことであり
(儒者を除外した)正統な血筋による序列主義を重んじる朱子学的思想に、血統門閥が加わったことで、血筋・血統マウンティング抗争が発生する余地は十分にあった

尊王攘夷派
https ://ja.wikipedia.org/wiki/田丸稲之衛門
田丸氏は村上源氏の名門北畠氏の庶流である。田丸氏は、戦国時代初期の伊勢守護・北畠政郷の四男・顕晴が度合郡田丸城に入り、田丸の苗字を称したことにはじまる。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/武田耕雲斎
武田耕雲斎の家系は清和源氏のひとつ、河内源氏の傍系である跡部氏の一族であるという。
武田金吾 耕雲斎の七男。慶応元年(1865年)3月25日、水戸で斬首。享年3。靖国神社合祀[4]。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/戸田忠太夫
清和源氏の一門にて河内源氏の棟梁・鎮守府将軍・源義家の七男・源義隆(陸奥七郎義隆)を祖とする。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/安島帯刀
本姓は藤原氏。家系は贈正二位鎮守府将軍・藤原秀郷を祖とする安島氏。
戸田三右衛門忠之の次男に生まれ、母方の叔父・安島彦之允信順の養子となった。三河譜代の名門戸田氏の嫡流・戸田松平家の分家の出自であるが、佐竹氏旧臣の血筋である母方・安島氏の家督を継いだ。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/里見四郎左衛門
四郎左衛門の祖は清和源氏新田氏流里見氏の一族の里見義成の四男・義直を初代とする家系である。

佐幕派
https ://ja.wikipedia.org/wiki/市川弘美
水戸藩士・市川弘教(1000石)の二男として生まれる。弘教の長男・弘業の死去後の1843年に家督を相続。

水戸藩名門
https ://ja.wikipedia.org/wiki/小田氏
小田氏は鎌倉時代、源頼朝に従って功績を挙げ、常陸守護に任じられた藤原道兼の玄孫、八田知家(八田太郎、宇都宮宗綱の子)を祖とする。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/結城朝道
本姓は藤原氏。家系は鎮守府将軍・藤原秀郷を祖とする小山氏の同族・結城氏の血筋。

87 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:54:37.39 ID:/TmmrrJl0.net
>北一輝は、日蓮主義者だったんでしょ。

北一輝は戦前の日蓮主義とは距離があるし、石原莞爾ほど低能ではない
印象としては日蓮宗というよりは日本版(劣化)マニ教の信者に見える

北一輝の著作を見ると(社会・共産主義を否定した上での)社会進化論、超人進歩史観に関する論考と、日本人の古代中世儒教土人社会と西洋の人権の対立をどう解消するかの論考が大半を占めるため、
仏・大宇宙・個人融合観、天理教蔑視といった点が日蓮宗要素となるぐらいで、石原莞爾のような霊感商法的なところはない
北のアメリカ(それと南京政府)と組んで、英国の植民地を解放するプランは、石原莞爾のような上位者の意向に合わせるだけの欧州出羽守には発想さえ難しい

そもそも北一輝は天皇機関説側の人間であり、天皇本仏論を信じているとは考え難い。ニ・二六事件の天皇親政はどう考えても明治天皇が乗り出したような親政とは真逆で
天皇に新憲法を入れさせた後は、天皇から権力・余剰財産を剥奪する道筋にしか見えない。これは青年将校にも大なり小なり共通した思想であった可能性はある

初期の北一輝の社会主義というのは、法の下の平等や、誰にでも国民の権利があるから社会主義というトンデモな定義なので、北の思想では明治維新初期も社会主義になる
だから純正社会主義は、どう考えても社会主義ではない。西郷隆盛は北一輝的には社会主義者となってしまう

証明なしで言葉の定義上から自己理論を導出していくのが北一輝に見られる特徴であり、北一輝の趣味である革命研究、それと西郷隆盛の第二革命は掘り下げるが
定量的な政治経済理論には関心があるとは言えず、ある意味日本人らしい儒教土人的理論軽視、エビデンス軽視は北一輝にも見られる

https://ja.wikipedia.org/wiki/磯部浅一
磯部、北らによると、日本は明治維新革命以来「天皇の独裁国家ではなく」「重臣の独裁国家でもなく」「天皇を中心とした近代的民主国」であったのだが、
「今の日本は重臣と財閥の独裁国家」としている。そしてその大義を理解しなかった昭和天皇を獄中から「御叱り申して」いた[5]。
磯部・村中・北・西田は、銃殺時に「天皇陛下万歳」は唱えなかった[6]。

88 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:55:29.24 ID:/TmmrrJl0.net
>>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6 >>7

北一輝の問題点は日蓮宗であったことでなく、辛亥革命に参加したエキスパートを名刺代わりにしていたのに肝心の革命技術において名前倒れだったことだ
また日蓮宗がクーデターで今後用いられる可能性はほぼゼロに近い。なぜなら神風・神洲伝説は終わったのであり、日本は極東の弱小国に戻り、
確固とした説のないチャラい教義の島国カルトで有力国との関係を維持・構築するのは不可能だからだ

二・二六事件の将校のうち少数が北一輝との師弟関係的なもので、北一輝の思想は参考程度だったと考えるほうが現実的だろう

青年将校は窮乏する社会との関わりから得た義憤やルサンチマンは持っていたとしても指針がなかった
北一輝は革命オタクとして明治維新の第三革命(失敗した西郷隆盛の第二革命のやり直し)を提供したわけだが、青年将校側に必要なのは大まかな枠組みではな
く失われた明治維新のノーハウであり、それを埋められるのは、辛亥革命に参加した北一輝しかいない

しかし北一輝はあくまで辛亥革命のサポーターであり、外国人である北一輝は当事者・責任者とは言えないし、本物の革命家である孫文は
米国式の信奉者であるため、北一輝とは相容れない。孫文を批判しているが、孫文ほどの能力が北一輝にあったかは疑わしい

北一輝の過剰評価・過剰な名声が合わさったことで、二・二六事件はおかしな方向にいった
小手先的に天皇親政を掲げるのは、朝鮮朱子学土人の心を安心させる一時的効果しかない。明治維新の例でいえば最悪の状況では朝廷に射撃・砲撃をしたり、
長州や薩摩は裏で天皇を毒殺しかねないほどの危険人物を揃えていた (実際に実行したかは知らないが最後まで長州討伐にこだわった孝明天皇のヒ素暗殺説もある)、
足利尊氏や鎌倉幕府は島流しにして差し替えるぐらいの緊迫感があるのに、 北一輝の天皇親政論には合理主義が徹底されているとは言えない

名前の通り「一揆(一輝)」であれば徳政令や米の配給・分配、フランス革命であればパンという明確なゴールがあるため、分かりやすかったが、
大風呂敷をたたんで限定的な直訴でもなく、いまいち悪目立ちばかりして、青年将校の足を引っ張っていた感も拭えない

二・二六事件は今後軍事クーデターがおきる際の失敗例として研究対象となることは間違いないが、北一輝と青年将校が明治維新の例を踏襲していたのならば
真っ先にやることは余計な政治テロは一切せずに皇居への進軍と、堀によって脱出しにくい旧江戸城の皇居包囲と皇室の身柄確保、さらに皇居を人質にとって他軍の介入排除および統制派の殺処分だ
そして天皇が新憲法に同意しない場合は孝明天皇コースとなる。長州や薩摩ならこれぐらいは平気でやるだろう
薩長・足利尊氏ほどリアリズムに徹しきれない時点で敗北は確定していたということだ
そもそも朝敵・賊軍にむしろなった方がクーデター側が一致団結しやすいのだから躊躇すべき合理的理由が見つからない

89 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:56:42.85 ID:/TmmrrJl0.net
>>416 >>940 >>941 >>942 >>943 >>944 >>945

明治維新の前哨戦において薩摩藩は勅令と軍を使い幕府老中の(殺害)脅迫・強要をして要求をのませたという(文久の変)
さらに小御所会議では優勢な論を展開した山内容堂に対して殺害をほのめかして黙らせた。この当時、勅令・勅書はヤクザ顔負けの強引で理不尽な要求を
押し通すための恐喝・脅迫に使用された小道具だったが、長州は平気で朝敵・賊軍となり戦争を継続し薩摩も裏で強力をしているため勅書など全く意にかいしないものが多くいたということだ

今なら勅書など発行しても銃弾・爆発物で消し飛ぶ、頑張って劣化楠正成を探そうとしても勅書程度に自らの人生を振り回され、生命の危険のリスクをとるのは相当な知恵遅れだけだろう
科学的軍事理論を学んだ連中に勅書などは到底通用する理屈ではなく、皇室を利用する連中の門閥特権意識と血統世襲理論で印象は最悪になるので効果はむしろマイナスとなる

山内容堂や老中の例でも分かる通り武家の名門・門閥一族は自らの命が危機に瀕すると見るや下級武士の脅迫に対してあっけなく屈する腰抜ばかりで、名門の誇りもあったものではない
薩摩藩と長州藩の強さは青白い顔の名門では思いつきさえしない、下級武士ならではの脅迫や暗殺、テロを平気でやってみせる決断力と実行力にあった
つまり薩長の物理的脅迫は現代でも十分に通じる表現方法だということだ

だが薩長の下級武士も道徳面では特権に安住して腐敗しきった公家よりはおそらくマシだった。そして没落する上級武士を横目に下民出身の下級テロリスト武士が栄達し実権を握る
武士どころか下民出身の伊藤博文と山県有朋が実権を掌握したのは何ら驚くべきことではない

https://ja.wikipedia.org/wiki/猪熊事件
公家衆乱行の発覚
左近衛権少将・花山院忠長は、ある時後陽成天皇の寵愛深い広橋局(武家伝奏・大納言広橋兼勝の娘)に懸想した。
そこで宮中深くまで出入りを許されていた歯科医の兼安備後(妹の命婦讃岐も宮中に仕えていた)に仲介を頼んで文通を始め、
それをきっかけとして二人で逢瀬を重ねていた。その話を漏れ聞いた猪熊は、俄然興味を持ち、かねてから懇意の飛鳥井雅賢
をはじめ、言葉巧みに他の公卿・女官をも誘い出し、様々な場所で乱交を重ねることとなった。
しかし、このように大人数の乱行が発覚しないわけはない。飛鳥井には恨みを含む女性がいた

90 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:58:13.09 ID:y+hfitqh0.net
>>57
まあ若かったというのはあるかもね
純粋過ぎたわけよ
でも全部を貶す気にはなれないんだよね
確かにエリート精神は存在していたでしょう

ただ世の中はもっと複雑だっただけ

教養で言えば、かなりの思想はあったわけよ。私は現人神と言うのが悲劇を招いたのだろうと思う
でも三島由紀夫に言わせれば、これほど美しいものはないという事で・・
ただそうだからこそ破滅に至ったとも言えるよね

91 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:58:47.27 ID:8ynCvNhq0.net
>>44
海軍省も襲撃される恐れがあったからね
陸軍は誰が反乱軍と繋がっているか疑心暗鬼だった
天皇の命令があれば海軍だけで鎮圧できるように東京湾の奥深くまで軍艦(陸戦隊も)を進めたのは正解
これで、予備役五分前だった横須賀鎮守府司令長官の米内光政が名を馳せた

92 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 20:59:35.76 ID:y+hfitqh0.net
彼らが処分された後に、醜い軍部が暴れたのが盲点だった・・

93 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:01:22.44 ID:EcxlI7xc0.net
>>84 の続き

国力比、1:4で勝つため、いや負けないためには相手の土俵に上がっては駄目なんだ
相手の土俵とは即ち、大陸での戦い
満州は要らないし、朝鮮も要らない
日本が満州・朝鮮を獲った時点で日本の負けは必定

94 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:01:24.11 ID:/TmmrrJl0.net
>>91

皇居を包囲し選挙すれば砲撃もできないわけだ

95 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:01:31.06 ID:y+hfitqh0.net
でも彼らはあまりにも美しかったから、その魂が残って、GHQが採用してくれて
日本もあの社会主義の大成功で昇華したのではないかしらね?

また時代は新しいフェーズに入っているけれども、ずっと見守っていて欲しい(*´ω`*)

96 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:01:49.26 ID:/TmmrrJl0.net
○皇居を包囲し占拠すれば砲撃もできないわけだ

97 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:03:29.69 ID:/TmmrrJl0.net
>>96 >>94

海軍が砲撃をしたら恭順しない天皇には砲弾で死んだことにし、海軍を朝敵にして戦闘を継続する

98 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:04:22.14 ID:y+hfitqh0.net
彼らは皇室を敵だとは思わなかったのよ。むしろ敵は商人だと思ったのね
皇室はあまりにも彼らには美しすぎたわけ
でもきっと昭和天皇は裏切っていないわ。ただまあなんかちょっと朝敵としたのは
色々と事情はありそうなんだけれども、さもありなんって思うところもあったりね

まだ彼らも若かったものね。私はわりととてもこの人らが好きなの(*´ω`*)

99 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:04:52.78 ID:lB7Xmf8P0.net
野田なんてところにどうして行くんだよ。何されるかわからんだろ。

100 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:05:36.36 ID:JtHfYw5z0.net
なんか、子供みたいな顔してるんだよな
写真

101 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:06:20.44 ID:/TmmrrJl0.net
>>95

GHQが入れたのは自由主義だ、北一輝によると社会主義は法の下の平等や、誰にでも国民の権利があるから社会主義というトンデモ社会主義だから参考にならない

102 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:07:13.79 ID:y+hfitqh0.net
なんかエリート精神に猛烈に嫉妬している人らがいるのね

103 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:08:36.32 ID:/TmmrrJl0.net
>>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6 >>7

朝鮮朱子学において家族主義は集産主義(社会主義・全体主義・共産主義)と相性が良くなる
社会主義に近いのはむしろ北朝鮮のような体制で生き残りを図った鈴木貫太郎だ

http://www.sankei.com/life/news/130812/lif1308120009-n1.html

鈴木貫太郎首相(肩書は当時)は昭和20年6月22日の最高戦争指導会議で、ソ連仲介の和平案
を国策として決めた際、「(共産党書記長の)スターリンは西郷隆盛に似ているような気がする」 と、スターリンを評価する発言をした。

 この発言に影響を与えたとみられるのが、首相秘書官を務めた松谷誠・陸軍大佐が、4月に国家再建策
として作成した「終戦処理案」だ。松谷氏は回顧録『大東亜戦収拾の真相』で「スターリンは人情の機微
があり、日本の国体を破壊しようとは考えられない」「ソ連の民族政策は寛容。国体と共産主義は相容れ
ざるものとは考えない」などと、日本が共産化しても天皇制は維持できるとの見方を示していた。

 さらに「戦後日本の経済形態は表面上不可避的に社会主義的方向を辿り、この点からも対ソ接近は可能。
米国の民主主義よりソ連流人民政府組織の方が復興できる」として、戦後はソ連流の共産主義国家を目指
すべきだとしている。

104 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:08:55.78 ID:/TmmrrJl0.net
>>300 >>301 >>302 >>303 >>304 >>305 >>306

https://ja.wikipedia.org/wiki/日支闘争計画

日支闘争計画(にっしとうそうけいかく)日本と中国を争わせ、世界戦争を誘発して日本を包囲殲滅する計画。
コミンテルン(国際共産党、第三インターナショナル)によって考案され、コミンテルンに指導された勢力ー
中国共産党[1]、日本軍部の統制派[2][3]、太平洋問題調査会(IPR)[4]などによって実行されたと一部の論者
により主張されている。

終戦へ共産国家構想 陸軍中枢「天皇制両立できる」
http://www.sankei.com/life/news/130812/lif1308120009-n1.html

陸軍中枢にはソ連に接近し、天皇制存続を条件に戦後、ソ連や中国共産党と同盟を
結び、共産主義国家の創設を目指す「終戦構想」があった。

鈴木貫太郎首相(肩書は当時)は昭和20年6月22日の最高戦争指導会議で、
ソ連仲介の和平案を国策として決めた際、「(共産党書記長の)スターリンは
西郷隆盛に似ているような気がする」と、スターリンを評価する発言をした。

当時、統制派を中心とする陸軍中枢が共産主義(コミンテルン)に汚染され、傾斜して
いたことがだんだんと知られ、大本営の元参謀から『中枢にソ連のスパイがいた』と聞
いたことがあったが、それを裏付ける確証がなかった。英国が傍受解読した秘密文書で
判明した意義は大きい。米国の情報源は、ベルンで活発に諜報活動をしていた米中央情
報局(CIA)の前身、戦略情報局(OSS)欧州総局長、アレン・ダレスだろう。当
時、米国と中国国民党政府は、日本の首脳部が赤化していると判断していたことがうか
がえる。

105 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:09:26.14 ID:/TmmrrJl0.net
>>310 >>311 >>312 >>313 >>314 >>315 >>316

https ://ja.wikipedia.org/wiki/松谷誠
松谷は、戦中から戦後初期において自らの業務のために、官僚や学者などの部外専門家を集めてブレーングループ(松谷グループ)を組織して、情勢判断と対策案
の作成を行っていた。1946年1月に松谷グループは、「戦後処理における調査研究」(中央/終戦処理/二四一)として、「建国綱領(案)」という文書を作成していた

松谷らは「建国綱領(案)」を、国内体制を整備し、国民の「訓政」を実施するための基準(憲法)として、天皇の名で発布し、成案は日本共産党を含めた全国規模
の人民代表会議に諮問し決定することを想定していたという

https ://ja.wikipedia.org/wiki/種村佐孝
戦争末期、対米降伏・和平交渉はアメリカの偽装であり、対米戦争の継続のためソ連同盟論を主張、対ソ終戦工作に従事する。

戦後にシベリア抑留に遭い、モンゴルのウランバートルにあった「第7006俘虜収容所」にて、共産主義革命のための特殊工作員として朝枝繁春、志位正二、瀬島龍三らとともに訓練を受ける。

終戦へ共産国家構想 陸軍中枢「天皇制両立できる」
http ://www.sankei.com/life/news/130812/lif1308120009-n2.html

同年4月に陸軍参謀本部戦争指導班長、種村佐孝大佐がまとめた終戦工作の原案「今後の対ソ施策に対する意見」でも、(1)米国ではなくソ連主導で戦争終結
(2)領土を可能な限りソ連に与え日本を包囲させる(3)ソ連、中共と同盟結ぶ−と書かれている。

106 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:09:40.88 ID:JtHfYw5z0.net
いやいや、エリートだったから写真が残ってるんだろ?

107 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:09:45.70 ID:/TmmrrJl0.net
>>8 >>9 >>10 >>11 >>12 >>13 >>14

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14142850534
第二次大戦の陸軍は皇道派が築いた遺産で半ば戦ったようなものです。
皇道派は軍事面には注力しましたが、彼らはこのための予算の獲得やら、これを”効率的に実現するための社会体制の実現(社会主義の実現)”とやらには関心がありませんでし逆に嫌悪を覚えていました。
逆にこれに前のめりだったのは統制派と呼ばれる人たちです。
特に第一次大戦の特にドイツを見て永田鉄山がそうでした。
統制派と呼ばれる人たちが、皇道派より近代的と言えるのは国家総力戦体制の構築について前向きな部分なだけです。
実際的な軍事実務においては皇道派の軍人に比べて数段劣りました。
対支先制論を唱えた永田鉄山の見識や、東条の軍人としての資質を見れば明らかです。
彼らがのめりこんだのは社会主義実現のためのテロやクーデターなどの陰謀でした。
それが3月事件や10月事件、餌(陰謀計画)に飛びついた青年将校たちの暴発による2・26事件です。
皇道派は天皇親政主義者でもなかったので、こうした陰謀には嫌悪感を示してこれらのいずれの事件においても一貫して反対をしていました。
3月事件と10月事件で主要な働きをした桜会のメンバーが後に統制派の流れを形成した対照的です。

....

皇道派が対ソ戦略に重点を置いたのは、現状から言えば当然といえば当然の反応に過ぎなかったのです。
満州は実質的な新領土で、しかも、この広大な土地を得たことでむしろソ連との接する国境は拡大したからです。
一方で当時の中国は国防の脅威とはみなされませんでした。
そのために皇道派は対ソ戦略を重視したのですが、彼らの考えは”防衛計画”です。
そのために国境の要塞や満州領土内の交通網の整備、それに基づいた作戦計画の立案をします。
対ソ戦略においては陸軍は後に至るまでこの皇道派の遺産におんぶに抱っこでした。
このためにノモンハン事件で「ノモンハンとはどこだ?」と喚き、独ソ戦になっても対ソ攻勢のための作戦計画がそもそもなかったという状態となります。
皇道派は軍事にのみ熱中したい人たちでしたから、永田や石原のような夢想と評するしかない「中国を屈服させて日本に資するようにする」といった戦略は非現実的と判断しており、そもそも純軍事の範疇を超えたこうした考えを忌避しました。
皇道派は対ソ戦略についての”誤解”は元老西園寺の「対ソ先制を唱える小畑とこれに批判的な永田が論争をして永田が優勢だった」が基になっています。
西園寺はこの話を秘書役の原田から聞き、原田は交流があった永田から聞いたのです。
ところが、この陸軍の会議に直接参加した荒木は「小畑の対ソ戦略(といっても先制ではない)の意見に永田以外は賛同した」と証言しています。
実際にその後の陸軍が力を注いだのは満州防衛策です。
この件はそれまで親しかった永田と小畑の仲に亀裂が入り以降の永田は皇道派の追い落としに夢中になります。
これを見ても議論の中身と結論が、荒木と永田どちらが真実に近いかは明らかでしょう。
要するに永田は皇道派への悪印象と己の野心のために力のある西園寺に伝わるよう虚偽を原田に吹き込んだのです。
荒木はまた「永田はずるい男で次の会議の時には出張だとか言って逃げてしまった。あれが派閥の始まりだった」と回想しています。
そういうわけで、皇道派が対ソ先制を考えていたとの意味で質問をされているのでしたら、それは誤った俗説に基づいての認識です。

108 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:09:55.75 ID:8ynCvNhq0.net
>>94
皇居を包囲するには兵力が足りない
生き残った閣僚がどんどん皇居に参内した

109 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:09:59.63 ID:/TmmrrJl0.net
>>320 >>321 >>322 >>323 >>324 >>325 >>326

愛国保守を偽装して日中戦争を煽った尾崎秀美は朝日新聞社員
西園寺一晃も朝日新聞社員だった

https://ja.wikipedia.org/wiki/西園寺 一晃

西園寺 一晃(さいおんじ かずてる、1942年 - )は日本の研究者、フリーランスジャーナリスト。工学院大学孔子学院院長(2013年3月)。

来歴・人物
椙山女学園大学客員教授、AAN研究員、北京大学在外研究員など歴任。学歴は北京大学経済学部卒業。

西園寺公一の長男として東京市に生まれる。1958年、一家で中国に移住。10年間を北京市で過ごす。1966年、北京大学経済学部政治経済科卒業後、朝日新聞社に入社。調査研究室に勤務。

中国滞在中は文化大革命に遭遇し、帰国後に文革を肯定的に描いた『青春の北京』を執筆した。

定年後は日本中国友好協会全国本部参与、東京都日中友好協会副会長、北京大学日本研究センター在外研究員、椙山女学園大学客員教授、工学院大学孔子学院学院長。

共著がある西園寺雪江は母、西園寺彬弘は弟。

110 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:10:16.97 ID:/TmmrrJl0.net
>>330 >>331 >>332 >>333 >>334 >>335 >>336

1936年以前から統制派=東條・辻・永田は戦争をけしかけ扇動していた

1928-04 第二次山東出兵
1928-05 済南事件
1928-06 張作霖爆殺事件
1928 治安維持法改正

・北一輝が一連の治安維持法関連・報道規制・重臣会議による内閣決定・軍閥・過度な市場独占の流れが五箇条の御誓文や明治維新の理念に反すると考える一端となる

1930/1931 昭和恐慌、世界恐慌、昭和農業恐慌、小作争議

・恐慌により農村出身者の兵士や、青年将校が国内の惨状にも関わらず戦争を起こした統制派に敵意をいだき始める
・当時、総理大臣だった立憲民政党の濱口は大恐慌時代の舵取りを財政緊縮と金本位体制、産業合理化で乗りきろうとし
致命的な経済運営の失政で多数の国民を苦境に追い込み、高橋是清が大蔵大臣になるまでの民政党の2年間は
日本国民に巨大な混乱を生じさせ、満蒙を日本経済の生命線とする理解不能な政治的空白を生んで軍閥が武勲争いに興じる序章となった

111 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:10:57.81 ID:y+hfitqh0.net
そうだよ。皇室も隠していないの
確かにエリート精神だったけど、時に悲劇が起る事もあるのね
きっと天皇陛下も心底恐ろしかったんでしょうけれども、彼らの故郷への気持ちを忘れた事は無いんだろうと思う

112 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:11:03.63 ID:/TmmrrJl0.net
>>108

皇居は堀があるから包囲は難しくない

113 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:11:23.56 ID:/TmmrrJl0.net
1931/09 満州事変(中華民国と開戦)

・石原莞爾は欧州視察にいった後に欧州出羽守に転じて、世界最終戦争という妄想を広めて統制派に注目される

1931/09 柳条湖事件(統制派の石原莞爾が鉄道を爆破)
1932/01 第一次上海事変
1933 国際連盟を脱退

・(反英米ではないという意味での)親英米の皇道派将軍が、軍部統制派の反英米・親ソ連・親独に危機感を持ち始める

1934 帝人事件(汚職、起訴されるも全員が無罪)
1934/11 陸軍士官学校事件(東條英機、辻政信等が青年将校を失脚させるために罠に陥れる)

・比較的恵まれていた青年将校の実家でさえ零落したり、幼馴染等の姉妹が売られ、家族で心中を図った惨状にも関わらず汚職まみれだった当時の政治家・官僚・軍幹部に対して憤激
(第4次産業革命や、企業の前近代的な封建的体質により低下する産業競争力によって、国が貧しくなることで状況は酷似してくる)

1935 八・一宣言、抗日宣言
1936/02 二・二六事件

114 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:11:33.69 ID:Em050MJP0.net
いつも朝敵は保守

115 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:12:03.37 ID:y+hfitqh0.net
福島とか見ていると、今の無関心な官僚よりもずっとマシでしょう
比べ物にならないくらいだもの。本当に立派だったのよ
まあとんでもない事ではあったけれどもね

116 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:12:49.00 ID:y+hfitqh0.net
私は今の官僚を見て、毎日お祈りをしているのね。この人らに

117 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:13:11.74 ID:q3DbKtaD0.net
>>7
>東北出身の将校によっておこされた事件やからな

はあ?

118 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:13:15.42 ID:/TmmrrJl0.net
>>177 >>178 >>1 >>2 >>3 >>4 >>5

北一輝は日英同盟を破って、第一次世界大戦時の段階で日米同盟・日米経済同盟を締結すべきと主張しており、色々と誤った情報に基づいているものの1916年の
時点でこれを主張している意味は大きい(ただし北一輝の頭の悪さは、独立したアメリカがイギリスを敵対視しているという根本的にありえない誤認をしていたこと)

北一輝はアメリカの実力を重視する一方で、歴史が浅くスムーズに行き過ぎた米革命を嫌っており、アメリカの「革命」や共和制を軽蔑していた
同時に明治維新後期の教育勅語に代表される中世儒教土人国家・中世代官国家の後進性を嫌っていることは明らかではあるので、米国の評価に一貫性は無い

西郷隆盛の西南戦争を第二維新、第二革命と呼び、天皇親政とは整合性がない五箇条の御誓文を重視する姿勢には解決不可能な矛盾点がある
北一輝の言う天皇親政が五箇条の御誓文だとすると、天皇親政とは真逆でもある

北一輝は皇道派の将軍にアピールするために、色々と変更を加えていたようでもあるし、西郷隆盛のファンが西郷を殺した伊藤博文や山県有朋を憎しみ
それをこじらせて明治維新革命オタク・明治維新革命愛好家になったという印象が強い。よって政治経済理論を理解する必要はなく、青年将校には分かりやすい部分があったはずだ
なぜなら青年将校からすると、失敗した明治維新のやり直しに過ぎないからだ

119 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:13:56.66 ID:/TmmrrJl0.net
>>189 >>340 >>341 >>342 >>343 >>344 >>345

北一輝の頭の中の革命とは常に明治維新であり、西郷隆盛の第二革命となる
そのため辛亥革命を除いた海外の革命(フランス革命と米独立革命、ロシア革命)に対する理解や洞察力はあまりないが、
辛亥革命の経験で革命オタクになり、日本では珍しい社会主義が嫌いな革命研究屋・革命愛好家というポジションを獲得した

北一輝は目立ちがりやで出しゃばりを自制できなかったので、情報漏えいが致命傷となる軍事クーデターないし維新革命の再現
という大事業には向いていなかった。そのため統制派からでさえもクーデターに意外性は無かっただろう

120 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:14:12.01 ID:y+hfitqh0.net
北一輝は良かったのよ。だってGHQが採用したんだもの
それでキチンと大成功したじゃないの

121 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:14:15.33 ID:/TmmrrJl0.net
立憲民政党は「自由主義」とされるが、実際はルーツである自然権型自由主義ではなく、
功利主義・利権誘導の縁故資本主義だったと考えられる。民政党は腐敗した当時の政界を象徴していた

https://ja.wikipedia.org/wiki/縁故資本主義
縁故資本主義(えんこしほんしゅぎ、英: crony capitalism)とは政府官僚や企業役員との密接な関係がビジネスの継続、
成功に決定的な要因となっている「資本主義経済」を指す軽蔑的な用語である。法的許認可、政府認可、優遇税制措置、
公共事業発注先の選定に不公平さが見られるときにこう呼ばれる。縁故資本主義は資本主義の根幹となる市場による効率的な
資源配分、競争力の向上、技術革新を阻害する一方、特定の階層による経済支配を固定することで経済的格差を助長する。

立憲民政党は財閥・大企業・大都市富裕層に支えられており、特に産業のカルテル化・財閥の巨大化を
促進した産業合理化政策は地方や利権をもたない国民には不評で金権政治と批判されることがあった。
また東北飢饉・農業恐慌に対して有効策を出さず、多くの中流階層が貧民に落ちていくことを許容した

https://ja.wikipedia.org/wiki/昭和農業恐慌

総理大臣だった立憲民政党の濱口は大恐慌時代の舵取りを財政緊縮と金本位体制、産業合理化で乗りきろうとし
致命的な経済運営で多数の国民を苦境に追い込み、高橋是清が大蔵大臣になるまでの民政党の2年間は
日本国民に巨大な混乱を生じさせ、反中国の国民感情が扇動され、満蒙を生命線とする理解不能な政治的空白を生む序章となった

122 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:14:34.74 ID:/TmmrrJl0.net
>>212 >>350 >>351 >>352 >>353 >>354 >>355

財閥・満蒙権益の維持

立憲民政党の最悪の決断は満蒙権益の維持というドクトリンだ

張作霖爆殺事件以来、後を継いだ張学良が南満州鉄道の利権を害すようになり、さらに共産主義者の犯行と見られる凶悪な
犯罪・テロが在留日本人の身に起き、国内世論は強硬派一色となった。中国のナショナリズムも日に日に高まり
日本人が中国にいるだけでも危険な状態で満蒙権益の維持を「決意」というファンタジーを表明してみせた。これはソ連にとってはこの上もない好ましい状況だった

満蒙利権維持や満州のソ連化を防ぐためには、軍事行動は必須と考えるものは多かった
満州から手を引き満州や(民主的に選ばれた)南京政府と協調してソ連と対峙するというまともな政策ではなく、財閥や軍閥に耳を傾け国を滅ぼしうる
利権維持(だが不干渉)という中途半端な最悪の政治決断を行ったのが、立憲民生党の濱口等の政治家だった

満蒙権益を維持する限り英米協調など不可能であり、満蒙権益を維持によって中国との戦争が不可避だったのは明らかだった
南京政府は民主的な政府であり、それを攻撃するならば自由主義、民主主義の敵となりかねない英米との関係を維持するには撤退しか残されてなかったということだ

濱口が満蒙権益で誤ったシグナルを送ったことで、皇道派が憂慮した日中戦争の泥沼に入る英米中との総力戦計画を永田鉄山等の軍部統制派が策定する契機となり、永田鉄山等の軍部統制派の方針を受けて
政治に敏感な欧州出羽守こと石原莞爾等が満蒙生命線論、満蒙領有論の策動を開始し、満州事変が勃発した

民政党政権は金権政治とも批判され松島遊廓疑獄等によって政治不信を加速した一方で、大恐慌混乱や東北飢饉によって生み出された貧民を救わず、政治への絶望を国民の多数が持ち始める契機となり、
共産主義・社会主義者が政界・軍部に浸透することで、共産化の危機感を持つものが増え社会不安を加速させた

木戸幸一の保身
http://www.jas21.com/athenaeum/athenaeum77.htm

北一輝は中国人を蔑視する日本人の傾向は、弱った人間を叩く卑怯者、奴隷根性と見て批判している(おそらく西郷隆盛はそんなことはしないからという北一輝の倫理)
北一輝は民主化した中国がソ連と戦争をし、日本とアメリカが同盟してイギリスと戦争する構想のようだが、あまり現実的ではなかったろうが、永田鉄山のような有害で無能な働き者よりましだったろう

123 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:15:36.81 ID:y+hfitqh0.net
不思議なもので、革命と言うのはその場では失敗をしても時を経て成功する事はあるのね
グラックス兄弟の意思をカエサルが実現させたようにね

124 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:15:44.61 ID:/TmmrrJl0.net
>>178 >>360 >>361 >>362 >>363 >>364 >>365

北一輝が根本的に間違っている点はワシントンと西郷隆盛を比べていることだ
アメリカのRevolutionary Warとは富裕層、中間層、貧民、教会の全てから広範に支持を受けたもので
特定の将軍の力やカリスマ性とは無関係だ

またある種の国は、異常に運がついており、運も実力だと開きなおれない国家は不運にだけ恵まれる傾向がある
なぜなら成功をしても、あれは運だったからと言える自信があるなら、過去の成功体験にしがみつく必要がなく、柔軟で自由な思考を持続できるからだ
反対に成功の全てが実力によるものとすると、自らの所属する集団が有能だという優生民族的な考え方に囚われて、謙虚さと変化に対応する柔軟性を失い運も尽きる

125 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:16:35.15 ID:/TmmrrJl0.net
>>67

○そのため陽明学徒には経典も含めて外部から見た道徳的な制約は存在しないが、朱子学徒は事実・現実を無視した儒教序列妄想に強烈な執着を持つ
朱子学水戸藩は内紛と内部粛清でぼろぼろになり、儒教道理等には眼中にさえない陽明学徒テロリスト兼反乱軍(元賊軍)・一揆軍部隊長が政権を奪取したのは合理的必然であると言ってよい

126 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:18:01.77 ID:y+hfitqh0.net
でも良かったじゃないの
ソ連だって「そんなの上手くいくわけがないじゃないか」って言われて
「日本が成功したよ」と言えたんだもの

多くに良かったのよ。色々な方の魂がなければね。うん

127 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:19:04.92 ID:pktxn2FX0.net
>>45
尊皇斬奸を標榜してたから、共産党が起こすクーデターとは比較するベクトルが違うから適切な例えではないかと。
反乱軍も共産党も体制打破が目標なのは一緒だが、共産党は天皇制を含めた体制打破が目的で、反乱軍は天皇制の強化、つまり親政が目的だったと思うし。
要は天皇陛下の敵ではないし、大日本帝国の破壊までは企ててないってのは認識出来てたはず。

ただ>>45氏が言われる通り、昭和天皇的には如何なる反乱行為も看過出来なかっただろうね。

歴史にIFを言い出したらきりがないけど…もし、昭和天皇がご存命だった時に何か質問出来たとするなら、226の時の昭和天皇の判断に何ら後悔はなかったかどうか聞いてみたかった。
襲撃された鈴木貫太郎ですら青年将校の心情には理解示してたんだ。
226の内情がかなり判明した現代でも、同じご心中なのかどうかは国民の一人として知りたかった。

128 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:19:26.62 ID:F7ABAHo60.net
栗原が無能すぎたわ

129 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:20:33.25 ID:Opjg7Q0D0.net
>>86

1928年 田中光顕の援助で茨城県大洗町の日蓮宗寺院・立正護国堂の住職になる。

いのうえ にっしょう
井上日召

生誕
1886年4月12日
日本 群馬県利根郡川場村
死没
1967年3月4日(80歳没)
国籍
日本
出身校
早稲田大学、東洋協会専門学校(現:拓殖大学)
職業
僧侶
政治運動家
テロリスト
運動・動向
「血盟団」、「護国団」
宗教
仏教(日蓮宗)
井上 日召(いのうえ にっしょう、1886年4月12日 - 1967年3月4日)は、日本の宗教家、政治運動家、テロリスト。
日蓮宗僧侶としていわゆる近代日蓮主義運動の思想的系譜に連なり、戦前の右翼テロリスト集団「血盟団」、戦後の右翼団体「護国団」の指導者を務めた。本名は井上昭。昭の字を分けて日召とす。

130 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:21:04.86 ID:y+hfitqh0.net
若すぎたのよ・・本当に
だから悲劇の濃度が増しているでしょう
今の官僚に彼らの爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだわ
もう腐敗し過ぎていてグロテスク過ぎるから潮時なんだろうけれどもね
よくあんな醜さで生きていられるものだと思うわ

131 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:22:14.21 ID:/TmmrrJl0.net
>>123

グラックス弟の改革は大半は生前に対抗場の政治家がパクリをしたことで、グラックスの弟の勢いと政治的影響力は一気に失われた
ただし属州の市民権拡大は、内戦後にカエサルが法制化に成功した(同時に共和制は軍事独裁によって空っぽになり、むしろ後退した)

グラックス本人もローマの政治慣行をいくつか破り一種の政治クーデターを企図しているから、カエサルに類似点はあるが、両者の目指す所は根本的に異なるため線形的に見る意味はない

132 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:23:13.42 ID:y+hfitqh0.net
>>131
まあカエサルは天才だからね
だけど確実にグラックス兄弟の意思を受け継いでいるもの

133 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:23:17.40 ID:/TmmrrJl0.net
>>511 >>512 >>513 >>514 >>515 >>516 >>517

天皇親政運動を明治天皇の意向を受けて主導した元田永孚による朝鮮朱子学から生まれた国学を用いた天皇儒教権威の強化によって、戦前は神風神話・神明に加護された神州不滅思想のような神話が生まれた
結果として無様な敗戦をきっする前までは天皇になにか超人的な力があると期待していた宗教的風潮があったと見られるが、戦後は神国神話は粉砕されごく一部の狂人しか信じるものはいない

https://ja.wikipedia.org/wiki/神州不滅
江戸時代
江戸時代末期、藤田東湖は「神州誰君臨、万古仰天皇」と述べ、「支那」は革命を主体とする国家で王朝交代があるので「正気観念」にも変動があるが、
日本は万世一系の皇室を頂いて永遠に変わらないので「正気観念」にも変動が無く、そこに日本民族の特徴があるとした[1]。藤田東湖は「正気」とは
一般的には道義、特殊的には忠義であるし、更に「正気」の粋を集めた「神国日本」のその皇風が世界に広がり、皇室の御聖徳は太陽にも等しい、とした[1]。
藤田東湖の「正気歌」は吉田松陰や、明治の広瀬武夫にも影響を与えた[1]。平田篤胤の思想と、この水戸学の勤皇思想が混ざり、幕末に「神州不滅」の思想
が巻き起こった[2]。

明治以降
大日本帝国憲法では、日本は万世一系の天皇が統治し、天皇は神聖と明記された。

昭和および太平洋戦争終結時迄は、軍部によって「神国日本」「神州不滅」など、民族主義、精神主義、宗教などの傾向を持つスローガンが広く使用された。
また「神州不滅」の理由として、日本は神国であるから国家の危機の場合には元寇と同様に神風が吹く、とも説明され、神風特別攻撃隊も組織された。

134 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:27:25.93 ID:HAxOzNA10.net
アメリカの大恐慌の影響うけて
当時の日本も不況だったんだっけ?

135 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:28:34.22 ID:/TmmrrJl0.net
>>127

昭和天皇、というより全皇族が命がけで戦争を止めるべきだった
これはキレイ事ではなく、天皇の権威は神風伝説と共にあった以上は戦争に負ければ、体制の継続が許されない政治体制だからだ
いかなる戦争も天皇一族の保身に望ましくない

まともな判断力があるなら、中国との戦争でさえ命とりになりかねない危険なかけだと分かるはずだ

136 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:28:47.25 ID:Kzh1OSyt0.net
こいつらの妻が被害者ぶっているが、太平洋戦争の遠因になったくせになぜあんなに被害者ぶれるのだ

137 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:28:52.21 ID:/TmmrrJl0.net
>>730 >>731 >>732 >>733 >>734 >>735 >>736

防衛大生「日本は自衛隊の1個連隊があれば、クーデターが起こせる」
http://mainichi.jp/select/news/20150503k0000m040080000c2.html
「先生。日本は自衛隊の1個連隊があれば、クーデターが起こせますよ」。

138 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:30:07.21 ID:/TmmrrJl0.net
http://www5.cao.go.jp/keizai2/2002/0328report/tenbo-7.pdf

1) 第一下降過程 (1855-1885 年) 幕末・維新の動乱期
2) 第一上昇過程 (1885-1915 年) 主権国家による軍事的・経済的発展の時代
3) 第二下降過程 (1915-1945 年) 日露戦争以後の混迷と暴走の時代
4) 第二上昇過程 (1945-1975 年) 戦後の高度経済成長の時代
5) 第三下降過程 (1975-2005?年) 石油危機以後の“失われた 30 年”

結局、下降から上昇への転換が起こるかどうかは、“谷の十年”の間に抜本的な体制転換
の実現に成功するかどうかにかかっている。いうまでもないが、これまでに下降と上昇の
波の交替がほぼ三十年置きに繰り返されてきたからといって、この次も必ずそれが起きる、
それもほぼ同様なタイミングで起きるという絶対的な保証は、物理的なシステムならいざ
知らず、社会システムのような“複雑系”にはあろうはずがないのである。それはまた、
日本が次の上昇のための制度的・政策的枠組みとなるような新しい体制の構築に必ず成功
するという保証など、どこにもないということでもある。長波論的な観点が教えてくれる
のは、体制改革の試みが澎湃として起こったり、それに成功したりする確率が、この時期
には相対的に高いということにすぎないだろう。

つまり、近代の日本が遭遇した三度目の“山の十年”においても、過去二回と同様、そ
こで生じた国際環境の変化の認知と、それへの的確な対処の仕方をめぐる合意の形成は、
容易には進まなかった。その結果として、日本は、1970 年代の半ば以降、“失われた 30 年”
とでもいうべき三度目の長期下降過程を経験することになり、この過程は今もなお続いて
いる。

最初の長期下降過程は、その終わりに国内の革命と内乱をもたらした。二度目の下降過
程は、その終わりに対外戦争と敗戦・占領をもたらした。では、三度目の下降過程は何を
もたらすだろうか。今後数年を考えると、もしも何か一種の破局的事態がおこるとすれば、
もっともありそうなのは国内の経済的な混乱の激化と、その帰結としての政治・経済両面
での“沈没” (つまり自治・自立能力の喪失) が引き起こす、外資による日本の企業や資産
の買収、及び/あるいは日本の政治・経済の“国際管理”ではないだろうか。

139 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:31:00.00 ID:/TmmrrJl0.net
>>810 >>811 >>812 >>813 >>814 >>815 >>816

良く皇室は空気で良いという論調があるが、現在の皇室は国民に対して奉仕してきた実績によって国民からの支持を受けている

専制政治・絶対王権(absolutism)のように自由を抑圧する政府や国王・圧政者のために死ねという理屈は厳しい反発を受ける
フランス国王やチャールズ一世もそうだが、絶対王権に基づいた政治を行った王室は処刑されたり、廃嫡される傾向にある。しかし絶対王権が成立した期間は極めて短期間であるケースが
多く過剰評価される傾向がある。またフランスのように比較的長期にわたる期間の中央集権化した国家ほど、反発も加速的も肥大していくため、不満が爆発したときのエネルギーは想像を絶する

つまり西欧において10世紀から進められた地方自治(自由都市、教会領)、(選定候制度を含む)統治者の選挙、議会政治(マグナカルタ)の中世民主主義の流れを
近世の一時期は兵器の高度化によって中央集権化を目指す、民主化と逆行した政治を行おうとした英国王チャールズ1世が短期間で処刑されることでクライマックスに達し、その後は立憲君主制に移行した

エドマンド・バークもチャールズ一世(議会を弾圧し圧政を行った)の処刑を含む歴史の集積から議会政治に参加できるようになったわけであり、その伝統を否定していない

The speculative line of demarcation where obedience ought to end and resistance
must begin is faint, obscure, and not easily definable. It is not a single
act, or a single event, which determines it. Governments must be abused
and deranged, indeed, before it can be thought of; and the prospect of
the future must be as bad as the experience of the past. When things are
in that lamentable condition, the nature of the disease is to indicate the
remedy to those whom nature has qualified to administer in extremities
this critical, ambiguous, bitter potion to a distempered state. Times and
occasions and provocations will teach their own lessons. The wise will
determine from the gravity of the case; the irritable, from sensibility to
oppression; the high-minded, from disdain and indignation at abusive
power in unworthy hands; the brave and bold, from the love of honorable
danger in a generous cause; but, with or without right, a revolution
will be the very last resource of the thinking and the good.
--Edmund Burke

したがって一定条件下において圧政者である絶対王権者を殺すことに反対というわけではない。戦前までエドマンド・バークは自然法に反対と曲解されてきたが、自然法を強力にバークが弁護してきた実績と反する
(バークの自然法は国教会のカテキズムとキリスト教保守派であるため古風すぎるが)

バークを自由主義保守思想の頂点としているものは、これらの点を全く理解していない
王や皇帝の権利や思い上がりのために死ぬ覚悟をもてというのはカルトに近く、国王や皇帝は国民に奉仕する存在であり、不必要であれば、いつでも替えが効く存在に過ぎない

絶対王権の秩序では自浄作用を持てず、国家が圧政・腐敗政治に耐えきれず自滅するのは良く見られることだ

140 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:31:37.55 ID:nnhGVQqR0.net
恩讐の彼方か

141 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:31:56.51 ID:/TmmrrJl0.net
https://ja.wikipedia.org/wiki/愛国心

1774年、サミュエル・ジョンソンは著作『愛国者』で、彼が偽りの愛国主義と考えたものを批判した。
1775年4月7日、彼は有名な「愛国心は卑怯者の最後の逃げ口上」との発言をした[8]。

142 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:32:22.98 ID:/TmmrrJl0.net
>>560 >>561 >>562 >>563 >>564 >>565 >>566

我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ「教育勅語」(孝ではなく、忠が先に暗唱される、また東洋的な忠という概念は民主主義と相性が悪い)

忠孝一致は、朱子学者浅見絅斎の考えたものだが、中国的には今まで存在しなかった新しい発明かというと、そうではないらしい
中国では忠と孝は同時に実現できないとされる

であれば忠が孝を上回る状況は、二者択一の決断となる
つまり独裁者である皇帝への忠誠が最重要と認識されるとき、忠孝一致は至極当然にあるということだ
忠孝一致とは、忠(主君)が孝(家族愛)を常に上回る状況であり、よって孝(家族愛)は軽視されるか解体・蹂躙される

この片方が優先されるという状況は、大半の儒学者からすると、両雄並び立たずの悩ましい問題であり
忠と孝の2つの徳目に分けた定義としたのは、それを一致させることの弊害が認識されているということだ

孝とは文明が生まれた段階にある徳目であるので、一種の最古の伝統であるといっても良い
仮に忠が優先とするならば、忠(主君への忠誠)が孝(家族愛)を破壊することを許容する

北朝鮮では金王朝の長である金日成の男系子孫は主体思想によって国の父となり、また精神的・物理的にも朝鮮人民と一体という思想を持つ
これは忠孝一致(主君と臣民の一体と付随する絶対的忠誠)であり、金日成の男系子孫は主君であり人民の親なのである

https://en.wikipedia.org/wiki/Juche
The Festival's effectiveness in transforming its participants into loyal disciples of Juche seems to originate
from the collectivist principle of "one for all and all for one" and the ensuing emotional bond and loyalty to the leader.[94]

The Festival’s ritualistic components of collectivism serve to reinforce a "certain structure of sociality
and affect", establishing Kim Il Sung as the "Father" in both the body and psyche of the performers.[94]

君臣一体、忠孝一致は北朝鮮の体制において現在進行系で実践されており、それが全体主義と同質なのは明らかだ
戦前の皇室と異なる点としては、金日成の男系子孫は国王・天皇という肩書ではないこと、実質的な国家権力を保持していることだ

143 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:33:19.82 ID:/TmmrrJl0.net
>>570 >>571 >>572 >>573 >>574 >>575 >>576

教育勅語をアメリカが廃止すべきと考えた理由を見るに、不敬事件と国体の本義に原因がある

http://kyouikushigakkai.jp/wp/wp-content/uploads/2017/06/306440d93344e2245bd056e74fdcabb6.pdf
不敬事件は、教育勅語・御真影の権威・聖性が社会的に一定程度確立していることを前提にして
発生し、多くの不敬事件の発生がさらにその権威・聖性を高めてき、さらに多くの不敬事件が誘
発されるという循環構造が、社会的に形成されていった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/国体の本義
「大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である。」
と国体を定義した上で、共産主義や無政府主義を否定するのみならず、民主主義や自由主義をも国体にそぐわないものとしている。

教育勅語と御真影はその聖性によって国体論の御神体のような神聖なものと位置づけられ、 皇祖と皇室が命じるという力関係の反復暗唱
によって絶対的忠誠を標準化する

君臣一体、忠孝一致、一君万民というフラットな組織においては伝統的文化規範によった秩序が人心を支配し、仮に自由を与えても
いずれは先祖返りすることをアメリカが危惧したことについて何ら驚くべきことはない

>君臣一体、忠孝一致

君臣一体、忠孝一致、一君万民は朝鮮朱子学に由来するものだが
おそらく戦後になってさえもそれが日本人や朝鮮人特有の精神不安障害だと認識できなかったのは
自称有識者が「united」を「一体」として強引な翻訳をしたからだろう

確かに王室と国民が一致団結(unite)して自由を守るというのは当たり前だ
しかし「一体」という、言葉は明らかに「一致団結」とは異なる意味を持たせられる

同質性不安症、集団中庸パニックといった朝鮮人や戦前日本人国家主義者に共通した欧州と全く関係のない用語として
定義された君主と臣民一体(君臣一体、忠孝一致、一君万民)という標語の結果は、北朝鮮の金王朝を見れば明らかだ

144 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:34:47.28 ID:U5JWUqsF0.net
ちょっと匂い嗅いでみたい
どんな匂いがするんだろう

145 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:35:05.90 ID:/TmmrrJl0.net
>>213 >>370 >>371 >>372 >>373 >>374 >>375

兵器の高度化、近代化によって島国の防衛や、長期戦争の継続には経済力と資源を持つ海洋勢力との密接な関係が必要だ
つまりシーパワーとの外交が破綻し軍事力を保つための経済力を維持できないなら、満蒙の利権を維持するのは難しかったので
それを捨てるという選択は十分に現実的ではある

そもそも中国や朝鮮は言語的にも遺伝子的にも別民族であることは明らかであり(アイヌと琉球とは全く異なる)、
軍事的に締め付けないと支配できないような状況では正当さを失い外交関係で孤立無援となりジリ貧となる

中国の南京政府は民主化された政府として米国から高く評価されており、米国との関係を良くするためには、南京政府との協調は不可欠でもあるし
結果的に長期戦争になったことからも、中国とは良好な関係を持つべきだった

これを全てぶち壊しにして後戻りできなくさせたのは永田鉄山の英米中との総力戦計画であり、立身出世をして貴族になりたい貧乏軍人が功に焦って総力戦を出世の機会と捉えたわけだ

146 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:35:25.60 ID:80S625MC0.net
>>82
政治家よりも、
統制派を討つべきだったなw

147 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:37:46.74 ID:VTZcJwWe0.net
いまさだけど なんでクーデター起こしたの?
ただの若気の至りなだけなのか?

148 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:39:30.43 ID:qY9VcbaN0.net
安藤=ザイニチに多い名前、っていう、いつもの国籍鑑定士は何処行ったんだろ?

149 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:39:35.07 ID:xLwpZYqG0.net
なんかキチガイが湧いてるが誰かマズイ事でも
書いたのか?
スレ流しする様なスレか?

150 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:44:18.24 ID:/TmmrrJl0.net
>>132

カエサルが天才というのは脚色・美化された部分が多い(日本では特にこの神格化が激しい)
カエサルの騙し討ち上等で敵を作り上げて軍功を上げる手法は一歩間違えれば国を破滅させる危険がある
独裁者気質で耄碌したポンペイウスのどちらがマシかという戦いに過ぎない

カエサルはエジプトでほぼ敗北しているし(領地を割譲)、ポンペイウスはカエサルを追撃すればカエサルは死んでポンペイウスの独裁となり
ポンペイウスが天才ということになったはずだ

151 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:44:56.15 ID:y+hfitqh0.net
>>148
うちの親戚に安藤っているけど武家だよ

152 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:45:14.79 ID:/TmmrrJl0.net
>>380 >>381 >>382 >>383 >>384 >>385 >>386

現代において中庸を重要視する連中は例外なく無能であり早期に排除しないと国を没落させるだろう。中庸は朱熹が大量の時間をかけても理解できなかったと
嘆くほどの抽象思想(朱熹はたまたま理解できたと回想)であるが、代表的な解釈は中庸章句となる

中庸章句の中庸解釈は対を必要とするため、二元論的な問題からも考察できるが、禅問答的な抽象論にすぎず議論に値しない。最大の問題は徳に至るための
具体的な事例研究がないことであり、抽象論と精神主義の害を助長する

「其見於経、則允執厥中者、堯之所以授舜也。人心惟危、道心惟微、惟精惟一、允執厥中者、舜之所以授禹也。堯之一言、至矣尽矣。
而舜復益之以三言者、則所以明夫堯之一言、必如是而後可庶幾也」

人心(欲)、道心(義)の区別をして、真の中の道をとれと朱熹は主張するが、君子の地位・権力を保身・保守するためという大前提において
保身という欲を排除することなど不可能だろう。中庸とは自己保身、上下関係、先祖と子孫、同郷などの縁故を守るための徳を重視する前提の下に
保身主義のため中の道を極めよという醜悪な思想だ。社会が大きく変動する時代に変革を抑圧せよといっているのと同義であり
この思想は上下秩序や組織内の和を保ち反乱を未然に防ぎ、短期的な破滅を遅らせるのには適しているが、欲を許されない非人間的な扱いを
うけるものがいないと成り立たず、常に一番立場が弱く待遇が低いものに一番ツライ仕事が回ることを意味する
だが差別主義を全肯定した社会において、身分が固定される前提ならば下が腐るのは必然であり、一時的に強国であっても国勢は世代を重ねることに衰えるだろう

「子程子曰、不偏之謂中、不易之謂庸。中者天下之正道、庸者天下之定理。此篇乃孔門伝授心法。子思恐其久而差也、故筆之於書、以授孟子。
其書始言一理、中散為萬事、末復合為一理。放之則弥六合、巻之則退蔵於密。其味無窮。皆実学也。善読者、玩索而有得為、則終身用之、有不能尽者矣。」

中庸の本質とは偏らず、常に変わらぬもの(古き因習を変えてはならない)とする。そして2つは相互に必要としあい並立するというのが中庸の根幹理論だ
しかし常に変わらず偏らぬなどという抽象的で具体性のないものは、いくらでも恣意的に悪用ができる

また常に変わらぬ平常の境地は、社会が変化したら全く通用せず、社会全体が自殺志願をするような陳腐な思想だ
自らを徳のある君主、臣下、臣民と錯覚して、(先祖から継承した)古くからのやり方を固くなに変えようとしないなら自国より優れた文明や技術・社会体制をもつ国家や部族が侵略してきたならイチコロで滅ぼされるだろう

153 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:45:34.49 ID:/TmmrrJl0.net
>>390 >>391 >>392 >>393 >>394 >>395 >>396

「故大徳必得其位、必得其禄、必得其名、必得其寿。故天之生物、必因其材而篤終焉。故栽者培之、傾者覆之。詩曰、嘉楽君子、
憲憲令徳、宜民宜人、受禄于天、保佑命之、自天申之。故大徳者必受命。」

身分の偉いものは徳があったから(実力や実績と関係なく)その地位を築けたのであり、実力をつける努力でなく
儒教的な礼と徳を身につけることが優先される。ある意味、上にたつものは馬鹿・無能でも保身のための中庸があれば良いという「間」が抜けた理論だ

「武王末受命。周公成文武之徳、追王大王王季、上祀先公、以天子之体。斯礼也、達乎諸侯大夫、及士庶人。父為大夫、子為士、葬以大夫、祭以士。
父為士、子為大夫、葬以士、祭以大夫。期之喪、達乎大夫。三年之喪、達乎天子。父母之喪、無貴賎一也。」
「子曰、武王周公、其達孝矣乎。夫孝者、善継人之志、善述人之事者也。 」
「春秋修其祖廟、陳其宗器、設其裳衣、薦其時食。宗廟之体、所以序昭穆也。序爵、所以弁貴賎也。序事、所以弁賢也。旅酬下為上、所以逮賎也。
燕毛、所以序歯也。」

武王の偉大さは序列主義・身分差別を尊重したからだと何の合理的な根拠もなく断定する傲慢さには覆うことが出来ないほどの知能の低さを感じる

有能な専門家が考えに考えて、議論した上で下した決断が中立ならば異存はない。しかし基本姿勢が中庸では、誰もが争って中庸に偏るため
対立軸がなくなり政策的な選択肢がなくなってしまう。中庸は愚者が集まって合議するほど余計に愚劣度をましていく。中庸とは誰も責任をとらない
ように当たり障りのない意見を言う究極の衆愚政治思想ということだ

154 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:45:44.00 ID:y+hfitqh0.net
>>150
カエサルは天才なのよ
それに寛容なのね

155 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:45:46.10 ID:/TmmrrJl0.net
>>400 >>401 >>402 >>403 >>404 >>405 >>406

中庸(偏らず変わらぬ不変のもの)とはつくづく「間」の抜けた思想だ

冷静な分析というのは対象から距離があり利害関係のない「中立」なものでないとできないが
誰もが中を目指す、中心を目指すのでは、自己を中心に配置するように全てのエージェントが
行動してしまうため、深みのある議論の熟成や分析が可能な距離感は失われる

右も左もなくなった中心には、上下だけが残る
集団の中に中心しかなくなると、細かな違いでさえ許さない不安障害・強迫性障害という集団ヒステリーを引き起こす

自己や、自己の所属集団が中心ならば、「間」はなくなり中立でもなくなる
間(適切な距離)がなければ真実を見分けることは不可能であり、より悪いことに「間」が抜けることで
自己(の保身)が中心となり、冷静な自己分析を不可能とする

つまり精神障害を抱えた自己保身と自意識精神障害が中庸の行き着く先であり、自己中心主義(自己本位主義)の
「間抜け」理論という批判は正鵠を射ている

さらに先祖崇拝によって、有能な上位者がいても、先祖からのしきたりを理由に部下が働かなくなり、
あるべき指揮系統が破壊され、中心にある変わらぬものという抽象思想が真の支配者となり、序列主義、
身分差別だけが保存されるだけで、君主でさえも(上位者である先祖から続く)中庸に反逆が許されなくなり、
内部からの改革は不可能となる

上下序列を徹底したい思想カルトには持ってこいな理論ではあるが
中国歴代王朝や朝鮮王朝の末路を見ると若い世代や子孫に全ての積み上がった腐敗と汚物と矛盾を押しつける、滅びの笛こそが中庸だ

156 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:46:01.25 ID:/TmmrrJl0.net
>>410 >>411 >>412 >>413 >>414 >>415 >>416

中庸なる思想は、マルクス・エンゲルスの史的唯物論の弁証法におけるアウフヘーベンに該当する儒教理論といってよいだろう
疑似科学的な思考停止という点は双方に共通する

マルクス疑似科学を否定するのであれば、朝鮮朱子学の中庸も否定すべきだろう

日本の朝鮮朱子学にそまった愛国火病カルトがマルクス主義者や朝鮮人とそっくりな理由は儒教の反分析的、疑似科学的な
論拠を基礎とするために、一致する部分が多いというのはあるだろう

一部の企業の衰退には中庸の誤用・誤解釈に大きく左右されている可能性もあり、中庸の害悪は計り知れない

157 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:46:33.97 ID:/TmmrrJl0.net
>>154

虐殺者でもある

158 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:47:08.44 ID:y+hfitqh0.net
教育勅語とか、万世一系とか、現人神というのは、明治に出てきたものなのよ
ちょっと明治は明治維新とか言われて良い面だけが取り上げられるんだけれども、
本来の神道が隠されちゃって、酷い事になってんのよね

159 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:47:47.84 ID:/TmmrrJl0.net
>>154

子供を処刑しようとしたら、周囲が大反対してできなかったという逸話もある

160 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:48:03.63 ID:IBvgoTrL0.net
>>18
根本的には同じだと思う

161 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:48:08.58 ID:/TmmrrJl0.net
>>420 >>421 >>422 >>423 >>424 >>425 >>426

誰もが争って中庸に偏る状況に、そもそも中庸などありえない。「対」が何かを冷静に議論することさえ
抑圧するからだ。対がないなら「中」は消滅し、自ずと中庸も無くなる

すると上下関係と徳治主義が幅をきかせ、ひたすら中華皇帝の権力がつなげるように願うかのように
徳のあるもの(地位のあるもの、身分が高いもの)が保身し、馬鹿の一つ覚えのように万歳突撃させて
人材不足になる軍事組織やヤクザ組織のようになる

徳のある上司(参謀本部と陸軍省)を無思考で(時には体罰などの恐怖によって)忠実に支える部下達という構図になっていく

マルクス主義・国家社会主と儒教が悪政を行う歴史の一つにこうした対を許さない独善的な政治収束がある

162 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:48:20.74 ID:/TmmrrJl0.net
>>540 >>541 >>542 >>543 >>544 >>545 >>546

中庸という衆愚思想を擁護するのは、ヤクザ組織の上下序列思想を擁護するのに似ている
内部の犯罪を隠蔽し内部抗争を未然に防がなかければならないヤクザ組織において上下序列
には合理性があるため、中庸には一定の価値がある

しかし国家がヤクザ組織と同じでは、福沢諭吉の言うところの個人が自立する社会とは
全く正反対の軍事独裁・全体主義にいくだろう

中庸とは上位者にとっては自己本位、自己中心主義となる宿命をもつ
これは家族や縁故が何よりも重要となるからであり、無関係な人間には冷徹に際限のない奉仕を要求することを意味する

また国家レベルとなれば対が許されないため、上位者が保身や安いプライドのために
馬鹿げた方針を立てれば一方向にしか進めず、破滅するまで止まることができない

163 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:48:58.88 ID:Opjg7Q0D0.net
皇国の国是は、八紘を一宇となす建国の精神に基づくww




https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/160413/1/bkr00008_001b.pdf

164 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:49:05.37 ID:y+hfitqh0.net
だけどなんかああいう国家神道の中で多くの悲劇が起ったりしてね
下っ端は純粋過ぎて、上はもう言葉にするのもおぞましいくらいなもんよ
早く神道に戻すべきなのよ。国家神道なんてとんでもないものだわ

165 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:49:21.44 ID:/TmmrrJl0.net
>>550 >>551 >>552 >>553 >>554 >>555 >>556

誰もが中庸にいったら右も左もなくなるわけで、上下しかなくなる

上下しか決定の基準がなく、無能が上にいる徳治組織は必ず停滞する
それが中庸だ

166 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:49:36.54 ID:/TmmrrJl0.net
>>650 >>651 >>652 >>653 >>654 >>655 >>656

中国共産党と精神同レベルの愛国火病は朝鮮朱子学に先祖帰りをして攘夷活動中らしいが、誤りに気づけ無いなら過去の王朝と同様に自滅するだろう

https://ja.wikipedia.org/wiki/攘夷論

一方、国学の発展によって、日本は神国であるというナショナリズム(神国思想)が次第に力
を増し、勤皇思想(尊皇論)もまた力を得ていたが、これが現実の外国勢力の脅威下で攘夷論
と結びついて尊皇攘夷論が形作られた。尊皇攘夷の思想は、特に 嘉永6年(1853年)の黒船来航
(マシュー・ペリーの来航)によって開港された後、日米修好通商条約締結反対を主張する反幕勢力
の思想的支柱となり、鎖国を維持しようとする諸藩の下級志士や公卿たちによって支持された。
そして、開国後から明治維新直後にかけて攘夷思想による外国人襲撃・殺害事件が頻発する。

しかし、文久3年(1863年)に薩摩藩が攘夷を実行した薩英戦争や同時期の長州藩による下関戦争
は日本側の大敗北に終わり、外国艦隊との間の圧倒的な軍事力の差に直面したことにより、鎖国政策
の維持に固執した攘夷論に対する批判が生じた。

167 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:49:47.57 ID:/TmmrrJl0.net
>>660 >>661 >>662 >>663 >>664 >>665 >>666

一億火の玉や、一億玉砕は中華思想のようだから、戦前の日本は儒教中華的だったと言えないでもない

https://ja.wikipedia.org/wiki/玉砕

「玉砕」という言葉は唐代の史書である『北斉書』の列伝第三十三(元景皓)にみられる。

大丈夫寧可玉砕何能瓦全
(立派な男子は潔く死ぬべきであり、瓦として無事に生き延びるより、玉のように砕けたほうがよい)

西郷隆盛はこれを引用して次の詩を書いた。

幾歴辛酸志始堅(幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し)
丈夫玉砕恥甎全(丈夫は玉砕すとも甎全を恥ず)

また1886年(明治19年)発表の軍歌「敵は幾萬」(山田美妙斎作詞・小山作之助作曲)には以下の歌詞がある。

敗れて逃ぐるは國の恥 進みて死ぬるは身のほまれ
瓦となりて殘るより 玉となりつつ砕けよや
畳の上にて死ぬ事は 武士のなすべき道ならず

168 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:50:05.38 ID:/TmmrrJl0.net
>>670 >>671 >>672 >>673 >>674 >>675 >>676

降伏前は日本軍上層部は無策だとするものがいるが、これは間違いで
最終作戦は一億玉砕によって敵が戦意を放棄することだったらしい

https://ja.wikipedia.org/wiki/玉砕

本土決戦と一億玉砕
戦局が絶望的となると、軍部は「本土決戦」を主張し、「一億玉砕」や「一億(総)特攻」、「神州不滅」
などをスローガンとした[3]。なお既に1941年(昭和16年)から「進め一億火の玉だ」とのスローガンが使
用されていた[4]が、これらの「一億」とは、当時日本の勢力下にあった満洲・朝鮮半島・台湾・内南洋など
の日本本土以外の地域居住者(その大半が朝鮮人や台湾人)を含む数字であり、日本本土の人口は7000万人程であった。

1944年(昭和19年)6月24日、大本営は戦争指導日誌に以下の記載をした。

もはや希望ある戦争政策は遂行し得ない。残るは一億玉砕による敵の戦意放棄を待つのみ— [5]

1944年(昭和19年)9月、岡田啓介は「一億玉砕して国体を護る決心と覚悟で国民の士気を高揚し、其の結束
を固くする以外方法がない」と主張した[6]。1945年(昭和20年)4月、戦艦大和の沖縄出撃は、軍内の
最後通告に「一億玉砕ニサキガケテ立派ニ死ンデモライタシ」(一億玉砕に先駆けて立派に死んでもらいたい)
との表現が使用され[7]、「海上特攻」または「水上特攻」とも呼ばれた。

169 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:50:29.72 ID:/TmmrrJl0.net
>>680 >>681 >>682 >>683 >>684 >>685 >>686

https://ja.wikipedia.org/wiki/本土決戦
https://ja.wikipedia.org/wiki/決号作戦

人員
陸軍軍人および軍属
約315万人
海軍軍人および軍属
約150万人
国民義勇戦闘隊
約2800万人

行政・民兵等の整備
軍事上の要望と国民の権利を調整するために、『軍事特別措置法』が施行され、船舶港湾などの一元的運営、地方行政組織の
臨戦化も計られた。

正規の陸海軍部隊以外に、国家総武装と言うことで国民戦闘組織の構築が図られた。陸海軍への従軍を規定する兵役法と別に、
新法の『義勇兵役法』が1945年6月に公布され、男子は15歳から60歳(当時の男子平均寿命46.9歳)、女子17歳から40歳まで
が召集可能となった。これらの人員により、国民義勇戦闘隊を組織する計画であった。対象年齢者以外も、志願すれば戦闘隊に
参加することが可能で、それ以外の者は戦闘予測地域からの退避が予定されていた。

170 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:50:36.28 ID:v6iABEYO0.net
鈴木貫太郎が通った中学は今の群馬県立前橋高校の前身の旧制前橋中学のさらに前身の学校。
旧制高崎中学からは福田赳夫と中曽根康弘。

171 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:50:49.35 ID:y+hfitqh0.net
>>163
それもどうかと思うのよ、本当に
わりと明治って西洋の影響がたんまりと入って来ているのよね
でもその頃の西洋ってもうちょっとオカシクなり始めているでしょう
昨今は見直し作業に入って来ているのではないかと思う事があるのよ
なんでも原点に戻れって言うじゃないの

172 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:51:27.34 ID:/TmmrrJl0.net
>>690 >>691 >>692 >>693 >>694 >>695 >>696

https://ja.wikipedia.org/wiki/竹槍

第二次世界大戦中の大日本帝国における竹槍は、当初はあくまで銃剣の代用品としての位置づけ
で、日中戦争頃より後方部隊での使用例が見られる。銃剣の代用品としての竹槍に関しては、
『銃剣術指導必携』(陸軍戸山学校編、1942年)に詳しい。

1942年(昭和17年)頃より、竹槍は正規の兵器と位置付けられて規格化され、さらに1945年には
国民義勇隊における主要武器と位置付けられた。また竹槍の扱い方も、武術の一つである「竹槍術」
として完成され、1942年より全国民に竹槍訓練が行われるに至った。武術としての「竹槍術」の
神髄、及び訓練方法に関しては、『竹槍術訓練ノ参考』(教育総監部、1943年)に詳しい。本書
では、竹槍の代用品として木槍を使う方法も紹介されている。

竹槍術は実戦向けに洗練されており、白兵戦では非常に強いが、一方で大日本帝国海軍を中心に
「竹槍で航空兵力に勝てるのか」と言う疑問が当時からあり、海軍の意向をくむ形で毎日新聞の
新名丈夫記者が『毎日新聞』(1944年2月23日付)に「竹槍では間に合はぬ 飛行機だ、海洋航空機だ」
との記事を載せたところ、東條英機陸相兼首相が激怒。毎日新聞は発禁となり、新名は招集された(竹槍事件)

173 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:51:27.40 ID:PEQmQTw/0.net
岡田首相が人違いだったり鈴木侍従長がうたれたのに生きてたりと、
変な奇跡が重なった

174 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:52:29.55 ID:y+hfitqh0.net
>>169
安倍首相が望む世界観よ
うちの親戚なんてシベリアで結核になっちゃって、まだ地元に戻って来られたマシだけど、
死んじゃったと言うもの。イケメンだったというのよ。惜しいでしょう

175 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:52:47.03 ID:/TmmrrJl0.net
>>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6 >>7

これが永田鉄山だ

https ://ja.wikipedia.org/wiki/永田鉄山

1933年(昭和8年)6月、陸軍全幕僚会議が開催され、会議の大勢は「攻勢はとらぬが、軍を挙げて対ソ準備にあたる」というにあったが、
参謀本部第二部長の永田一人が反対し、「ソ連に当たるには支那と協同しなくてはならぬ。それには一度支那を叩いて日本のいうことを何
でもきくようにしなければならない。また対ソ準備は戦争はしない建前のもとに兵を訓練しろ」と言った。これに対し荒木貞夫陸軍大臣は
「支那を叩くといってもこれは決して武力で片づくものではない。しかも支那と戦争すれば英米は黙っていないし必ず世界を敵とする大変な戦争になる」と反駁した[2]。

対支戦争を考えていた永田は、対ソ戦準備論の小畑敏四郎と激しく対立し、これが皇道派と統制派の争いであった[2]。

1934年(昭和9年)に陸軍省軍務局長となった。

同年8月、国府津に池田純久、田中清、その他数名の腹心を集めて会議を開き、永田が従来指導していた経済国策研究会を通じ、
昭和神聖会に働きかけ、上奏請願に導き、国家改造に伴って戒厳令を布き、皇族内閣を組織するという計画を練った[3]。

エーリヒ・ルーデンドルフの政治支配と総力戦計画に心酔し、同年10月、陸軍の主張を政治、経済の分野に浸透させ、完全な
国防国家の建設を提唱する『国防の本義と其強化の提唱』という陸軍パンフレットを出版した。

「永田の在世中、議会、政党、軍、政府の間で、合法あるいは非合法による近衛文麿擁立運動についての覚書が作成され、軍内の
味方はカウンター・クーデターを考えていた。だから右翼は右翼でクーデターを考えてもよい。どっちのクーデターが来ても近衛
を押し出そうと、ここまで考えていたということが永田が殺された原因のひとつ」ということを、社会民衆党の亀井貫一郎が語っ
ており[4]、永田、東条英機、富永恭次、武藤章、下山琢磨ら陸大閥(一夕会)の一部が、亀井、麻生久らを通じて近衛を担いで
革新内閣を実現し、革新官僚と連絡をとって革新政策を実現しようとした。

176 :チンピラ将校たちが起こしたものである:2019/04/29(月) 21:53:02.61 ID:7HC6L85K0.net
1936年2月26日未明に起こされた日本軍部による2・26事件は言うまでもないが、財界から35万円(当時の1万円は今の1億円以上)の金を貰って陸軍皇道派(近衛歩兵第3連隊、歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、野戦重砲兵第7連隊らの部隊)のチンピラ将校たちが起こしたものである。
直接35万円の金を出したのは鉱山・ゴム園事業をマレーシアで行っていた石原産業の社長石原廣一郎である。
(5.15事件には9万円の金が神武会という財界金集めの秘密結社から出されている。神武会を作ったのは大川周明、石原廣一郎、徳川義親らである。
徳川義親は3月事件にも財界から集めた50万円を出している。)https://blogs.yahoo.co.jp/pongisayoku/26974380.html

https://blogs.yahoo.co.jp/pongisayoku/28583562.html
惨殺渡辺錠太郎大将の長女政子さん当時33歳の証言
 母は両手をひろげ、兵たちが父の寝室へ行くことをさえぎったのでございます。ところが、そのさえぎりもきかず、縁側づたいに父の寝室のほうへ回り、そこに機関銃を据えて、うったのでした。
父の体に当ったタマの数は四十三発。肉片が天じょうにまでとびちり、それはむごい仕打ちでございました。
右フクラハギの肉は、機関銃の夕マでとぱされてなくなり、顔から肩にかけてはとどめのカタナ傷が二つ。

177 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:53:09.35 ID:/TmmrrJl0.net
>>175

https ://ja.wikipedia.org/wiki/皇道派

永田は、第一次世界大戦の観戦武官として、ヨーロッパ諸国の軍事力のあり方や、物資の生産、資源などを組織的に
戦争に集中する総力戦体制を目の当たりにし、日本の軍備や政治・経済体制の遅れを痛感した。宇垣軍縮は軍事予算の
縮小を求める世論におされながら、この遅れを挽回しようとするものであった。統制派の考え方はこの流れをくむものである。

一方、宇垣が軍の実権を握っている間、荒木・真崎らは宇垣閥外の人物として冷遇されていた。荒木は1918年のシベリア出兵当時、
シベリア派遣軍参謀であったが、この時に革命直後のロシアの混乱や後進性を見る一方で、赤軍の「鉄の規律」や勇敢さに驚か
された。そのため荒木は反ソ・反共の思想を固めただけでなく、ソヴィエトの軍事・経済建設が進む前にこれと戦い、シベリア周辺
から撃退し、ここを日本の支配下に置くべきであるという、対ソ主戦論者となった。

178 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:53:44.57 ID:/TmmrrJl0.net
>>177

https://ja.wikipedia.org/wiki/皇道派

荒木や真崎は、日露戦争時期を理想化し、日本をその状態に復帰させることが、軍の拡大強化や対ソ戦を早く決行できる
所以だと考えた。ここから、「君側の奸」を討ち、「国体を明徴」にし、「天皇親政」を実現すべしという思想が引き
出される。このような思想を抱く荒木らに対し、青年将校らは「無私誠忠の人格」として崇敬した。これが皇道派である。

179 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:54:07.96 ID:/TmmrrJl0.net
>>178

https://ja.wikipedia.org/wiki/国防の本義と其強化の提唱

概要
原案は、いずれも東京帝国大学への派遣学生であった池田純久(当時少佐・経済学部)、四方諒二(当時少佐・法学部)ら
によって作成され、鈴木貞一班長を中心とした新聞班の検討を経たのち、永田鉄山軍務局長の承認、林銑十郎陸軍大臣の決裁
を得て発行された。内容は北一輝の『日本改造法案大綱』をより具体化したようなものであった。

同パンフレットの内容は陸軍主導による社会主義国家創立・計画経済採用の提唱であったため多くの論議を呼んだ。
軍事ファシズム体制を主張するものであった [1]。

作成に関与したのは統制派に属する将校たちだったが、当時対立していた皇道派も表立っては反対しなかった。
皇道派は行き過ぎた管理経済は共産主義的であるとして反対していたが、軍国主義体制の樹立については異論はなかった。

180 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:54:28.49 ID:/TmmrrJl0.net
>>179

https://ja.wikipedia.org/wiki/国家総動員法

法律制定の背景と影響
支那事変の激化に伴い、当時の日本経済では中国で活動する大軍の需要を平時の経済状態のままで満たすことが出来なく
なっていたため、経済の戦時体制化が急務であった。

史上初めて国民総動員体制を採用したのは、フランス革命戦争期のフランスであった[21]。日本語での「国家総動員」と
いう言葉は、「総動員」という戦争計画を前提とする軍事用語と、ドイツ国防軍陸軍参謀次長のエーリヒ・ルーデンドルフ
が指導した「ドイツ戦争経済」からヒントを得て、1921年(大正10年)におけるバーデン=バーデンの密約組の永田鉄山
が造語したものだとされている。のちの1935年(昭和10年)、ルーデンドルフ自ら『国家総力戦論』を著したのを受けて、
第二次世界大戦敗戦後に岡村寧次が永田や東條英機の言動から、この国家総動員体制に対して後知恵で「総力戦体制」と名付け
た。但し、徴兵制と総動員の概念は、非職業軍人(徴兵された大衆)でも多くの役割を担える歩兵主体から、通信兵・砲兵・
衛生兵・工兵・空兵といった(平時からスペシャリストとして訓練を受けている)職業軍人でなければ役割を担うのが難しい
特殊兵科要員に軍の需要が移り替わっていたため、空疎化しつつあったが、永田はこの種の近代化を理解していなかった。
この種の近代化を主唱したのは、山岡重厚、山下奉文などの「皇道派」であったとされている[22]。

181 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:54:46.96 ID:/TmmrrJl0.net
>>180

https://ja.wikipedia.org/wiki/国家総動員法

しかし、この法案は総動員体制の樹立を助けた一方で、社会主義的であり、ソ連の計画経済の影響を受けていた。
のちに、この法案を成立させた第一次近衛内閣の後に首相となった平沼騏一郎を中心とした右翼・反共主義者の
重鎮により、企画院において秘密裡にマルクス主義の研究がなされていたとして、企画院事件が引き起こされた。

また、戦後の産業政策に見られるように経済官僚が産業を統制する規制型経済構造を構築した契機となったことか
ら、大政翼賛会の成立した年であった1940年(昭和15年)にちなんで「1940年体制」[24]、 国民学校令が発布さ
れ、帝国国策遂行要綱が作られた年であった1941年(昭和16年)にちなんで「昭和十六年体制」[25]という言葉も存在する。

182 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:54:49.72 ID:y+hfitqh0.net
まあなんか小日本と言うのも出ていたんだけれども、かつては明治維新だし、
大日本でなければとかあったのかもね
でも、やはりあの戦争は海を封じられて、キチガイが猛烈に活躍したとも言えるのね
特攻隊まで美化しちゃってどうかしているわ

183 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:55:03.44 ID:/TmmrrJl0.net
>>181

https://ja.wikipedia.org/wiki/永田鉄山

1933年(昭和8年)6月、陸軍全幕僚会議が開催され、会議の大勢は「攻勢はとらぬが、軍を挙げて対ソ準備にあたる」というにあったが、
参謀本部第二部長の永田一人が反対し、「ソ連に当たるには支那と協同しなくてはならぬ。それには一度支那を叩いて日本のいうことを何
でもきくようにしなければならない。また対ソ準備は戦争はしない建前のもとに兵を訓練しろ」と言った。これに対し荒木貞夫陸軍大臣は
「支那を叩くといってもこれは決して武力で片づくものではない。しかも支那と戦争すれば英米は黙っていないし必ず世界を敵とする大変な戦争になる」と反駁した[2]。

184 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:55:09.07 ID:jyXwatr10.net
本土決戦が避けられたのは奇跡といっていい

185 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:55:37.84 ID:/TmmrrJl0.net
>>183

これが石原莞爾だ

https://ja.wikipedia.org/wiki/現人神
なお陸軍中将であった石原莞爾は日蓮主義の見地から独特の終末論的な世界観を持っていたが、著書の
『戦争史大観』(1941年)には「人類が心から現人神の信仰に悟入したところに、王道文明は初めてその真価を発揮する。」
「更に端的に云えば、現人神たる天皇の御存在が世界統一の霊力である。しかも世界人類をしてこの信仰に達せしむる」としている。
本書は用紙統制・出版統制が行われている中で検閲を通過して出版されている。

186 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:56:01.52 ID:/TmmrrJl0.net
>>185

https://ja.wikipedia.org/wiki/現人神
なお陸軍中将であった石原莞爾は日蓮主義の見地から独特の終末論的な世界観を持っていたが、著書の
『戦争史大観』(1941年)には「人類が心から現人神の信仰に悟入したところに、王道文明は初めてその真価を発揮する。」
=u更に端的に云bヲば、現人神たb體V皇の御存在bェ世界統一の霊覧ヘである。しかb熕「界人類をしbトこの信仰に達bケしむる」としbトいる。
本書は用紙統制・出版統制が行われている中で検閲を通過して出版されている。

187 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:56:07.79 ID:y+hfitqh0.net
マルクスはね、ちょっと歪なのね
人間観がね・・
でも全否定も、全肯定もないのが日本だし・・

188 :肉片が天じょうにまでとびちり、:2019/04/29(月) 21:56:10.47 ID:7HC6L85K0.net
https://blogs.yahoo.co.jp/pongisayoku/28583562.html
惨殺渡辺錠太郎大将の長女政子さん当時33歳の証言
 母は両手をひろげ、兵たちが父の寝室へ行くことをさえぎったのでございます。ところが、そのさえぎりもきかず、縁側づたいに父の寝室のほうへ回り、そこに機関銃を据えて、うったのでした。
父の体に当ったタマの数は四十三発。肉片が天じょうにまでとびちり、それはむごい仕打ちでございました。
右フクラハギの肉は、機関銃の夕マでとぱされてなくなり、顔から肩にかけてはとどめのカタナ傷が二つ。
後頭部にはやはりとどめのピストルの一発がうちこまれ、穴があいておりました。・

189 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:56:33.95 ID:/TmmrrJl0.net
>>185

エーリヒ・ルーデンドルフやそれに傾倒した永田鉄山、霊力で世界征服を企てた石原莞爾といい、国家社会主義者には無能な狂人ばかりいる

https://ja.wikipedia.org/wiki/エーリヒ・ルーデンドルフ
ルーデンドルフの妻マティルデ・フォン・ケムニッツ(Mathilde Ludendorff)は神秘主義者であり、その影響でルーデンドルフ
は共産主義で飾りたてたユダヤ人と、フリーメイソンの秘教主義に根ざすローマ・カトリックの「超=民族的な秘密権力」に
ついて述べるようになり、フリーメイソンによってキリスト教徒が「人工的なユダヤ人」に造り替えられ、ユダの勝利のた
めに尽くしているとして、週刊誌『民族監視所』も創刊した[42]。ルーデンドルフ出版社(Ludendorffs Verlag)を創設し、
1929年からはイエズス会の権力陰謀論などを展開した。

1936年には著書『ユダヤ人の告白:キリスト教を通じた民族破壊』[88] を発表した。妻マティルデとの共著
『大いなる驚愕:聖書は神の言葉ではなかった』ではナチスの立法はユダヤ人とローマの宣伝に梃入れするものと批判した[42][89]。

ルーデンドルフは古代スカンジナビア半島の異教の神々を信仰の対象とした宗教団体 Bund für Deutsche Gotterkenntnis
(ドイツ信徒の家)を創設し、ナチ党政権によって公認されている[90]。

190 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:56:59.87 ID:9zdaG4VN0.net
傍受された音声のやりとりが面白い

191 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:57:10.19 ID:/TmmrrJl0.net
>>189

孫文の国家モデルは米連邦をモデルにしていたし、アメリカもおおむね孫文を支持していたはずだ

https://ja.wikipedia.org/wiki/対華21カ条要求
日本の中国政策を批判する国際(特にアメリカの)世論が高まり、
ワシントン海軍軍縮条約の場を借りた二国間協議で山東懸案解決に関する条約が締結され、日本は守備兵を撤兵し、膠州湾租借地、
膠済鉄道などを返還したが、膠済鉄道は日本の借款鉄道となり、同鉄道沿線の鉱山は日中合弁会社の経営となるなど、山東省において
名義のうえで一定の権益を確保した(中国官憲による権益侵害や民衆を動員した抗日運動により実施されなかった)。

192 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 21:59:18.45 ID:y+hfitqh0.net
まあなんかね・・でも普通に日本では社会主義は成功したじゃない
みんなが豊かになったのよ
てか、思想というのは良くも悪くも酔狂みたいなところはあるからね
それで色々と検証しながらやっていくんじゃないかしらね?

193 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 22:01:55.53 ID:/TmmrrJl0.net
近代における神道的霊力と仏教の関係性を表すものとして、日蓮の立正安国論は注目すべきだと考える

第一ラウンドは日蓮が元寇・内乱を予言するが、神風が元寇を打ち負かし神道・天皇が日蓮に勝利した
第二ラウンドは戦争に負けたことで神道は敗北、仏法に服従しない国家だから戦争に敗北したとマウントをとれる日蓮宗が勝利したと言える

政治面からすると戦後は日蓮主義の一人勝ちであり、神道が負けた一例と言える

194 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 22:03:44.95 ID:/TmmrrJl0.net
>>1 >>2 >>3 >>4 >>5 >>6 >>7

先の大戦でバンザイ突撃や神風特攻だが、あれは野蛮な民族(しかもCIAは一旦突撃すると臆病になると分析)、好戦的で野蛮な政治体制に支配された未開土俗国家
だという証明・広告宣伝を自らしてしまった失策だったとの解釈もできる

戦争で前線で戦った兵士が(自らの自由意志で行動したのであれば)英雄であるにしても、言うほどの戦局や戦後へのインパクトがあったかは冷静に評価すべきだ
ISを見れば(テロを除いた戦闘中の)自爆攻撃によってISの野蛮さが強調される効果しかないだろう

客観的に見るのであれば敵国にそうした面を見せることは敵側に戦争の正当さを証明してしまうリスクを持つぐらいの発想があるべきだったのに、今だにそうした議論さえ
許さない非合理主義はやはりキリスト教国家に比べると何か物足りないものがある。失敗を認めたくないのは誰もが同じくもつ感情だが、この程度の分析できないので
は自尊心が強すぎて駄目な連中の典型例だ

政治的側面も見つつ、自らの不利になるような作戦リスクの総合的判断は傲慢さを自覚しながら謙虚になれる強さや、合理主義的冷徹さがないと分かるものではない
アメリカは近代国家という徹底した合理主義の塊の組織であり、人情として特攻者に同情するとかそうした情動の共感が通じるような非合理的な相手ではないのに、その点も今だに理解できないのは負けるべくして負けたと言える

195 :足臭爺の基地害奴隷強盗犯が昭和の軍人:2019/04/29(月) 22:04:47.87 ID:7HC6L85K0.net
沖縄では自国民を半殺しにしながら侵略基地を建設しているがマスコミは沈黙。
近隣諸国への憎悪を捏造しマスコミも手中にしている。)
既に相手は凶暴なグローバル資本で武装した軍事ファシズムなのだ。
つまり
戦前と同じ構造になっている。

戦前は足臭ヒロヒトの一派を頂点とする帝国のコアな連中が侵略が深まれば深まるほど儲かる銀行や会社の大株主だった。
言ってみれば、軍産を動かすゴールドマンサックスなどと同じ利権構造だったのだ。
□天皇家の銀行関係の主な持株
 日本銀行(20万8000株)
 横浜正金銀行(20万9318株)
 日本興業銀行(4万5450株)
 台湾銀行(3万264株)
 東洋拓殖会社(5万株)
 帝国銀行(2万9110株)
□天皇家のその他の諸会社株の主なもの
 南満州鉄道会社(8万43175株)
 台湾製糖会社(3万9600株)

天皇一派は、アジアへの侵略が深まれば深まるほど儲かる銀行や会社の大株主だったのである。
戦争に負けたり侵略を止めれば財産がなくなるから、降伏はしないし侵攻は止められなかった。
https://blogs.yahoo.co.jp/pongisayoku/28834236.html

196 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 22:07:03.89 ID:LqvHhacO0.net
たまに2・26事件と5・15事件の区別がつかなくなる

197 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 22:09:11.67 ID:Opjg7Q0D0.net
>>196
題目でも唱えておけばwww

198 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 22:12:25.54 ID:0zWdcDAx0.net
皇道派が主導権を握ってたら、
統制派が事件を起こしてたかねえ

199 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 22:13:29.00 ID:BB1LfrRO0.net
もしアメリカに戦争で負けてなければ青年将校らのふるさとは律令制のままだったかもな

200 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 22:14:42.46 ID:/TmmrrJl0.net
日本とは戦争をするよりも、戦争継続のための資源を干上がらせて
大陸から撤退させるというのがドイツとの戦争を目指した勢力(ユダヤ人が筆頭)を除いた戦前のアメリカ側の見立てだ

あえて戦争を仕掛けたのに自国の無力を嘆き苦しみ、敵国に対し道徳と情けを求めるくらいならはなから
世界最強国に戦いを挑むなんて考えなければよかった

そもそも1942年には鬼畜米英なりを言い始めた朝日新聞・軍部等が、情け容赦のない相手だからと国民に自殺を強要していた
側がいうのは喜劇そのものだ

最後は無様な命乞いで終わったが、より悪いシナリオもあり得た

https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の分割統治計画

三ヶ月目からは、米軍を撤収させ、各国軍に占領させる。
ソ連:北海道、東北地方。
アメリカ:本州中央、関東、信越、東海、北陸、近畿。
中華民国:四国。
イギリス:西日本(中国、九州)をそれぞれ統治
東京は四カ国共同占領。

ソ連や中国の脅威によって、アメリカの戦後政策は共産主義の駆逐にシフトしたため日本を3分割、4分割する
ような事態にはならなかった

201 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 22:14:43.56 ID:GdvAkB1E0.net
2.26に比べると5.15はいまいち影が薄いな
5.15で検索しても2.26関連のものがでてきたり

202 :昭和の軍人は一人の例外もなく犬畜生以下のクズであった:2019/04/29(月) 22:15:42.24 ID:7HC6L85K0.net
>>198
●昭和の軍人は一人の例外もなく侵略強盗殺人犯、犬畜生以下のクズであった

https://blogs.yahoo.co.jp/pongisayoku/27576143.html

かって御国のためにと武器を取って海を渡り見知らぬ市民に銃口を向けた靖国英霊兵士のような侵略強盗殺人のうす汚い犯罪者がこの日本に居たんだゾ。
今の若者には信じられないかもしれないが、そういう人間のクズが大勢いたんだ。
その残虐な侵略と強殺の時代、
最も勇敢で、最も聡明で、最も美しい日本人は反戦・反侵略のたたかいを貫き通した若者たちだ。
彼らは勇敢だった、
時代と未来を見据えて軍事財閥と軍部に存在を掛けて反戦・反侵略のたたかいを挑んで行った。
彼らこそ時代を照らす真の英雄であった。
侵略共犯者として自己欺瞞の女々しい遺書を書き散らして特攻した情けないクズパシリの若者だけではなかったんだ。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-03-19/2012031915_01_1.html

203 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 22:16:28.26 ID:iPSmh8kp0.net
これで皇道派が壊滅し統制派が覇権を確立させ、日米開戦へのレールが敷かれたな。

204 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 22:24:07.34 ID:0zWdcDAx0.net
>>203
統制派はエリートさん達で
留学先もドイツとかだったから
アメリカさんを甘く見てたからね

皇道派の非エリートさん達みたいに
アメリカに留学して、アメリカはやばいと
思っててくれたらなあ

205 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 22:25:47.55 ID:80S625MC0.net
>>203
10年足らずで敗戦になったなw
https://youtu.be/_3aIHX0yY34

206 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 22:25:50.46 ID:/TmmrrJl0.net
>>131
>ただし属州の市民権拡大

誤解がないように言っておくが、カエサルがクーデターをするために使ったのが非ローマ市民の属州兵であり、属州への市民権拡大にはギブアンドテイクの関係があっただけで
カエサルに慈善の意図があったと考えるべきでない

軍功を立てるための敵作りと騙し討ち、虐殺、古代ローマの基準でさえも容認しがたい非道行為をしたカエサルを否定する必要もないが、美化までする必要はない

207 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 22:29:31.47 ID:BTbisR0z0.net
安藤大尉は祖父の上官でした
部隊の同窓会?の安王会によく出席してた
まだご子息がご存命だったとは
うちにも事件時の現場写真があるので価値があるかはわからんが
どこかに寄贈しようかしら

208 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 22:33:01.87 ID:C0AXi2Kh0.net
牧野伸顕さんと和子さんを討ち漏らしたツケは大きすぎるよね〜。

209 :昭和の軍人は一人の例外もなく犬畜生以下のクズであった:2019/04/29(月) 22:34:51.75 ID:7HC6L85K0.net
>>206

軍部という犬畜生以下の基地害集団は、
足臭ジジイの犬コロ奴隷であり、侵略強盗で上がるジジイの株式配当のために走り回る基地害奴隷侵略犯であった。
今と同じである。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-03-19/2012031915_01_1.html

戦前はヒロヒト一派を頂点とする帝国のコアな連中が侵略が深まれば深まるほど儲かる銀行や会社の大株主だった。
言ってみれば、軍産を動かすゴールドマンサックスなどと同じ利権構造だったのだ。
□天皇家の銀行関係の主な持株
 日本銀行(20万8000株)
 横浜正金銀行(20万9318株)
 日本興業銀行(4万5450株)
 台湾銀行(3万264株)
 東洋拓殖会社(5万株)
 帝国銀行(2万9110株)
□天皇家のその他の諸会社株の主なもの
 南満州鉄道会社(8万43175株)
 台湾製糖会社(3万9600株)

天皇一派は、アジアへの侵略が深まれば深まるほど儲かる銀行や会社の大株主だったのである。
戦争に負けたり侵略を止めれば財産がなくなるから、降伏はしないし侵攻は止められなかった。
https://blogs.yahoo.co.jp/pongisayoku/28834236.html

210 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 22:41:19.63 ID:/TmmrrJl0.net
>>199

北一輝の世界観だと、明治維新直後(伊藤博文と山県有朋等が国家主義統制を強める以前)の自由で開明的な時代が理想だから、方向性としては悪くはないが
天皇の権威は弱めないと実現できないため宮中勢力は嫌っただろう

https://ja.wikipedia.org/wiki/磯部浅一
磯部、北らによると、日本は明治維新革命以来「天皇の独裁国家ではなく」「重臣の独裁国家でもなく」「天皇を中心とした近代的民主国」であったのだが、
「今の日本は重臣と財閥の独裁国家」としている。そしてその大義を理解しなかった昭和天皇を獄中から「御叱り申して」いた[5]。
磯部・村中・北・西田は、銃殺時に「天皇陛下万歳」は唱えなかった[6]。

211 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 22:42:24.42 ID:/TmmrrJl0.net
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%88%B6

大日本帝国憲法はプロイセン王国やベルギー王国の憲法を参考に作成されたと言われている。
伊藤博文は、ヨーロッパでは議会制度も含む政治体制を支える国民統合の基礎に宗教(キリスト教)
があることを知り、宗教に替わりうる「機軸」(精神的支柱)として天皇に期待した。

212 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 22:44:09.69 ID:/TmmrrJl0.net
(反対ばかりの人口無能と異なり)専門技術に裏付けられた有能ほど真実を口にできるが、
有能を非国民呼ばわりする朱子学全体主義国家にまで落ちぶれた

https://ja.wikipedia.org/wiki/非国民

第二次世界大戦中に、戦争遂行に協力しない・不十分な者、果ては生活に不満を漏
らす者などに使用され、他にも不満や欲求の表明を抑圧するような各種標語が唱え
られた(例:「日本人ならぜいたくは出来ない筈だ」「欲しがりません勝つまでは」
「贅沢は敵だ、まず不服を言いますまい」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」
「お前は日本人か、その姿で」など)[1]。戦時体制に順わない者・具体的に反戦を
唱える者は近隣住民から「非国民」呼ばわりされ迫害されることもあった。

213 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 22:46:01.11 ID:/TmmrrJl0.net
一億玉砕をやっていれば天皇とその重臣・華族や軍上層部の家族を除き、今ここに書き込んでいる連中の大半は存在しないだろう

https://ja.wikipedia.org/wiki/国民義勇隊

国民義勇戦闘隊は、1945年(昭和20年)6月22日に公布・施行された「義勇兵役法」
にもとづく民兵組織である。国民義勇隊と一応は異なる組織であるが、国民義勇隊を
基礎として編成されたため、組織の多くが流用され共通している。原則的に従来の
市町村国民義勇隊・職域国民義勇隊が基本単位となり、小隊は「戦隊」と呼び変える
などとされたが、実際の編制・運用は各市町村などに委ねられた。義勇兵役の対象は
原則として男性は15歳ないし60歳、女性は17歳ないし40歳となっており、必要に応じ
て義勇召集して国民義勇戦闘隊員とすることができたほか、年齢制限外の者も志願す
ることが認められていた。

義勇兵役法には「朕ハ曠古(こうこ)ノ難局ニ際会シ忠良ナ
ル臣民ガ勇奮挺身皇土ヲ防衛シテ国威ヲ発揚セムトスルヲ嘉シ」と異例ともいえる上諭
がつけられており、「一億玉砕」が単なるスローガンではなかったことをうかがわせる。

義勇戦闘隊は2800万人が本土決戦に動員される予定だった。

ここで注目すべきは、国会の定める法律によって、15歳の少年を召集して少年兵として戦闘
に動員できることとされた点である(なお、義勇兵役法施行に先立つ沖縄戦では、陸軍省令
によって14歳〜17歳の少年兵が「鉄血勤皇隊」や「少年護郷隊」として防衛召集されて戦死している。)。
さらに、女子も兵役に服し戦闘隊に編入できるとされたことである。

なお、義勇兵(military volunteer)とあるが、義勇兵役は通常の兵役と同じく「臣民の義務」
であり、義勇召集を不当に免れた者には懲役刑が科せられた(義勇兵役法7条)。陸軍刑法・海軍刑法
などの軍法が適用または準用された(ただし刑罰の適用対象や科刑範囲が限定されていた)。こうした点から「義勇兵」ではない。

武器などの装備品は、基本的に隊員各自が用意することになっていた。村田銃などの旧式銃す
らなく、弓矢・刀剣・銃剣付き訓練用木銃のほか、鎌などの農具や、刺又・突棒のような捕物道具、
陸軍が発行したマニュアルに基づいて自作した竹槍など劣悪なものだった[3]。服装は正規軍人や民間人
と区別できて身軽なものでありさえすれば良いとされ、戦時国際法上の戦闘員資格を確保するため、
隊員は布製徽章(きしょう)を身に付け、指揮をとる職員は腕章により標識するものとされた。

214 :板垣征四郎大佐、石原莞爾中佐、片倉衷大尉:2019/04/29(月) 22:46:47.42 ID:7HC6L85K0.net
https://blogs.yahoo.co.jp/pongisayoku/27176261.html
1932年(昭和7年)2月16日、日蓮の誕生日に合わせて、奉天(現・瀋陽)で傀儡たちの「満州建国会議」なるものが開かれた。
出席者は張景恵、馬占山、蔵式毅、煕洽、そして本庄繁関東軍司令官、板垣征四郎大佐、石原莞爾中佐、片倉衷大尉などである。
その会議場には日本侵略傀儡の形跡を消すために日の丸も五色旗も飾られていなかった。
しかしその何もない会議場に只ひとつ、異様な垂れ幕がぶら下がっていたのである。
垂れ幕には肉太な達筆で「南無妙法蓮華経」と書かれていた。
石原莞爾の、関東軍司令部の、他人の土地に入り込んでイカれた帝国をでっち上げるコソ泥たちの正体であった。
左手に国家神道という恥ずべき利権道具を、右手に南無妙法蓮華経・日蓮主義の単細胞的妄想を抱えて、
幼稚な男たちが際限のない暴力を行使して行ったのである。
関東軍オカルト参謀・石原莞爾は熱心な法華経の信者だった。
奇天烈なカルト理論を妄想の中で捏ねくり廻して、未熟で野蛮な陰謀に突っ走り満州帝国の悲劇と喜劇を演出した。

軍部という犬畜生以下の基地害集団は、
足臭ジジイの犬コロ奴隷であり、侵略強盗で上がるジジイの株式配当のために走り回る基地害奴隷侵略犯であった。
今と同じである。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-03-19/2012031915_01_1.html

215 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 22:47:14.01 ID:/TmmrrJl0.net
>>1 >>2 >>3

戦前民主主義の政治家も率先して朱子学全体主義の種を巻いた

https://ja.wikipedia.org/wiki/教化総動員運動

教化総動員運動(きょうかそうどういんうんどう)は、第一次世界大戦後の諸問題を「経済国難」「思想国難」
として位置づけて、国民の教化によって克服しようとした運動。映画・ラジオなどの新興メディアの利用や後の
国民精神総動員運動のモデルとなったことで知られている。

概要
第一次世界大戦後の経済不況と社会主義の高揚、更に関東大震災の発生は、深刻な社会不安を起こした。政府は
関東大震災直後に国民精神作興ニ関スル詔書を出して国民教化の推進を打ち出したが、浜口内閣が金解禁および
緊縮財政を行うのと並行して、新たな国民教化運動推進を図った。

216 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 22:47:46.26 ID:/TmmrrJl0.net
愛国保守を騙る尾崎秀実の仲間

西園寺 公一(さいおんじ きんかず、明治39年(1906年)11月1日 - 平成5年(1993年)4月22日)
は、日本の華族(公爵/廃嫡)、政治家、実業家、スパイ。

スパイとして逮捕
同年10月に、風見章が主催する昼食会の席上で、尾崎の逮捕を知る(ゾルゲ事件)。尾崎とは共に近
衛内閣のブレーンとしてさまざまな情報交換を行っていた上に、それ以外にも立場を利用して得た国家
機密をソ連に流していたことから、自らもスパイ容疑で逮捕され、その後裁判で禁錮1年6月、執行猶
予2年の有罪判決を受けた。

中華人民共和国への移住
1955年には、冷戦下でソ連や東ドイツ、ポーランドなどの東側諸国(社会主義国)政府の主導で設立
された「世界平和評議会」に、日本共産党系の日本平和委員会から「日本代表」として送られ、そのま
まオーストリアのウィーンの評議会の執行部に「書記」の身分で単身滞在し3年間を過ごす。

この間、1957年に世界平和評議会の大会をセイロンで開くことになって中華人民共和国に相談に立ち
寄った際、同国から「人民交流」の日本側の窓口となる人物の推薦を頼まれたことがきっかけで同国の
「民間大使」となる[4]。日本に帰国してから間もなく家族を連れて中華人民共和国へ移住し、中国共産
党から「日中文化交流協会常務理事」や「アジア太平洋地域平和連絡委員会副秘書長」の肩書と、500
元(毛沢東の月給は600元)と大臣クラスの給与を与えられることになり[5]、同政府の意向を受けて北
京にて国交成立前の日中間の「民間外交」を行った。

217 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 22:51:24.50 ID:/TmmrrJl0.net
(明治維新の序章となった尊王攘夷の)水戸朝鮮朱子学が巻き起こした狂騒は宮家や公家、門閥一族・宗族にとっては最初で最後の復権チャンスだった
葵の御紋の権威は維新戦争での敗戦で失われたが、菊の御紋や血筋で全ての欲望が満たすことができる時代は無様で悲惨な敗戦と共に終わった

門閥貴族の特権意識で戦後資本主義を生きるのは大変な困難だったろうが、それでも縁故資本主義の日本では何のバックもいない貧乏人に比べれば遥かに生きやすかったことだろう
しかしその門閥のアドバンテージも日本の豊かさの源泉であった技術競争力の低下によって経済が崩壊する見込みのある現在では無効となる見込みであり、従来の利権を守ろうとすればするほど
あらがいようのない運命・対流によって深い沼に引きずり込まれ徐々に落ちて、もがき苦しんで死ぬことになる

https://ja.wikipedia.org/wiki/水戸黄門
この講談話の始まりについては、一橋慶喜を将軍職に就けるため、父である水戸斉昭が裏で動いて、水戸徳川家は「天下の副将軍」であるという話を世間に広めようとしたのだという説がある。
しかしながら光圀が正すのは局所々における役人の不正であり、時には身分制度の掟で結ばれない恋人同士に粋なはからいを示すことなどはあるが、身分制度の矛盾を根本的に正す社会改革にまで踏み込んだ対応を試みようとすることはない。

印籠で平伏するような人間は今の時代いないし、存在しない権威を振り回して暴れたり、洗脳やビジネスツールとして低能を信じさせるための詐欺に使う内質は幼児退行であり、現実逃避に過ぎない
悔しいなら門閥・貴族の一族が本気を見せて日本の経済や競争力を回復させれば良いだけだが、そんな実力がないのは本人達が重々承知しているだろう

なぜ安定して繁栄してきた日本が不運に見舞われ、失敗し続け、衰退中かということだが、それは国民を家畜にしてきたからだ。自由と正義を自ら放棄するような国民は自ら考えることをやめて家畜化され、
上位者である無能で下劣な品性しかない門閥や宮家の残りかすである愛国自慰廃棄物を模倣する。二言目に忠君や国体を連呼するような無能依存体質が下の重層的身分階層に下方伝播・伝染するという至極当然な道理に過ぎない
つまり底辺まで腐りきった儒教的衰退と言える

皮肉なのはアメリカは真剣に日本人が自由を持ち人間としての尊厳を取り戻せるよう願っていたことであり、それが実現すれば門閥一族は一定の権威を保つことも可能だったかもしれないことだ
しかし所詮は飼いならされた家畜しか望まない儒教政府では限界があり、自らの無能という印籠紐によって首がしまって窒息寸前という実に同情が不可能な醜態をさらしているのが現在の状況だ

国難時の力の源泉は皇室や国体の失われた権威ではなく、優れた武器と金となる。それを誰よりも持っているのは言うまでもなくアメリカであり、日本がアカく染まって中国の属国となり日本の血の中国人化が進む前に
アメリカは介入するだろう

218 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 22:52:09.62 ID:pYHa1fOq0.net
元祖ネトウヨ
これぞ国賊の見本

219 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 22:55:40.13 ID:/TmmrrJl0.net
>>210

窮乏していた貧民層を救うために、明らかに肥大しすぎた皇族資産の凍結・徴収といった皇室・皇族が嫌悪する政策(しかし否定すれば皇族に理は失われる)
を提案しているが、これは皇族サイドの欲やエゴにはマイナス要因としかならず、権力者・序列主義への忠誠が全てに優先される朱子学的思想から逸脱したことで、
信じがたい非礼、として皇族や宮中を激怒させたことは容易に想像できる

220 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 22:56:31.02 ID:/TmmrrJl0.net
>>219

https://ja.wikipedia.org/wiki/孝明天皇
その後、幕府・一会桑・薩摩藩・長州藩等の諸藩・公家・志士達の権力を巡る争奪戦に巻き込まれていくと、孝明天皇自身
の権威は低下していくことになった。

1865年(慶応元年)、攘夷運動の最大の要因は孝明天皇の意志にあると見た諸外国は、艦隊を大坂湾に入れて条約の勅許を
天皇に要求したため、天皇も事態の深刻さを悟って条約の勅許を出すこととした。だが、この年には実際には宮中のみに留
まったものの西洋医学の禁止を命じるなど、保守的な姿勢は崩さなかった[注 2]。

このような状況の中で、次第に公武合体の維持を望む天皇の考えに批判的な人々からは、天皇に対する批判が噴出するよう
になる。第二次長州征伐の勅命が下されると、大久保利通は西郷隆盛に宛てた書簡で「非義勅命ハ勅命ニ有ラス候」と公言[5]し、
岩倉具視は「国内諸派の対立の根幹は天皇にある」と暗に示唆して、「孝明天皇が天下に対して謝罪することで信頼回復を果た
し、政治の刷新を行って朝廷の求心力を回復せよ」と記している[6]。こうした中で1866年10月8日(慶応2年8月30日)には、
天皇の方針に反対して追放された公家の復帰を求める廷臣二十二卿列参事件が発生し、その後薩摩藩の要請を受けた内大臣・近衛忠房
が天皇が下した22卿に対する処分の是非を正そうとしたことから、天皇が近衛に対して元服以来の官位昇進の宣下をしたのは
誰か、奏慶(御礼の参内)は何処で行ったのかと糾弾する書簡を突きつけている[7]。

221 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 22:58:46.63 ID:JWR8cddN0.net
不勉強なバカほど「もっと早く終戦すべきだった」とか「広島・長崎は避けられた」とか言うよね。

222 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 23:01:45.74 ID:/TmmrrJl0.net
>>221

終戦へ共産国家構想 陸軍中枢「天皇制両立できる」
http ://www.sankei.com/life/news/130812/lif1308120009-n2.html

同年4月に陸軍参謀本部戦争指導班長、種村佐孝大佐がまとめた終戦工作の原案「今後の対ソ施策に対する意見」でも、(1)米国ではなくソ連主導で戦争終結
(2)領土を可能な限りソ連に与え日本を包囲させる(3)ソ連、中共と同盟結ぶ−と書かれている。

鈴木貫太郎首相(肩書は当時)は昭和20年6月22日の最高戦争指導会議で、ソ連仲介の和平案
を国策として決めた際、「(共産党書記長の)スターリンは西郷隆盛に似ているような気がする」 と、スターリンを評価する発言をした。

 この発言に影響を与えたとみられるのが、首相秘書官を務めた松谷誠・陸軍大佐が、4月に国家再建策
として作成した「終戦処理案」だ。松谷氏は回顧録『大東亜戦収拾の真相』で「スターリンは人情の機微
があり、日本の国体を破壊しようとは考えられない」「ソ連の民族政策は寛容。国体と共産主義は相容れ
ざるものとは考えない」などと、日本が共産化しても天皇制は維持できるとの見方を示していた。

 さらに「戦後日本の経済形態は表面上不可避的に社会主義的方向を辿り、この点からも対ソ接近は可能。
米国の民主主義よりソ連流人民政府組織の方が復興できる」として、戦後はソ連流の共産主義国家を目指
すべきだとしている。

223 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 23:06:58.74 ID:tLXaC8ut0.net
>>1
「父の圧力から逃れるためにも」かあ
無関係な人間は好き放題な事言うだろうけど、さぞや苦労も多かった事だろうと思うわ
その気持ちを責められるものではないな

224 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 23:12:19.99 ID:hWz3JDHNO.net
>>198
二・二六事件で皇道派が失脚して統制派が実権を握り、陸軍の幹部を統制派が独占したから、戦後の東京裁判で統制派は戦犯として処刑されて、皇道派は戦後もずっと生き延びたんだよな

225 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 23:13:21.00 ID:WsnXg89y0.net
高橋是清は、
銃弾を何十発も撃ち込まれた挙げ句、
右腕は切り落とされ、
胴体は輪切りにされたらしいな
遺族の証言だから間違いない
青年将校はキチガイの集まり。
昭和天皇が激怒する、と予想だにできなかった馬鹿の集まりでもある

226 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 23:18:58.41 ID:hWz3JDHNO.net
>>223
反乱軍の指揮官として処刑されたから靖国神社にも祀られないし、もちろん軍人恩給も受給できなかっただろうし、青年将校の妻子は精神的にも経済的にも苦労したと思うよ

227 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 23:21:51.36 ID:hbE7ghDs0.net
遺族・・
貫太郎の孫って、女児に暴行して捕まってなかった?

228 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 23:26:46.22 ID:/TmmrrJl0.net
>>225
>昭和天皇が激怒する、と予想だにできなかった馬鹿の集まりでもある

感情論と激情にかられて皇道派を干した結果は自滅だから救いはない

229 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 23:26:47.19 ID:J5pqBHG70.net
5.15の犬養毅の孫は緒方貞子だけどね

230 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 23:36:57.89 ID:/TmmrrJl0.net
https://ja.wikipedia.org/wiki/縁故資本主義
縁故資本主義(えんこしほんしゅぎ、英: crony capitalism)とは政府官僚や企業役員との密接な関係がビジネスの継続、
成功に決定的な要因となっている「資本主義経済」を指す軽蔑的な用語である。法的許認可、政府認可、優遇税制措置、
公共事業発注先の選定に不公平さが見られるときにこう呼ばれる。縁故資本主義は資本主義の根幹となる市場による効率的な
資源配分、競争力の向上、技術革新を阻害する一方、特定の階層による経済支配を固定することで経済的格差を助長する。

231 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 23:53:37.72 ID:/TmmrrJl0.net
>>230

戦前経済の問題でデフレ問題を解決したのは高橋是清だが、高橋是清の政策の最大の問題は財政拡大を
軍事費につぎ込んだことにある。日露戦争以来、財政が足を引っ張ってきた戦争に弾みをつけることになり、軍部が際限なく戦争を
拡大できるかのような幻想を抱く原因となったことは指摘されている

小売物価指数が上がり、実質賃金は下がったことで、庶民としての状況は好転ではなく、引き続き厳しい状況だった

人間が売買されるような異常事態が解決されていない状態で、再分配や教育に注ぎ込んでいれば、まだマシだった可能性もあるが、軍事費を優先したことになる
高橋是清の良い面は捨てる必要はないが、ある意味では苦しむ下民を切り捨てる冷酷さもあったわけで自業自得ではある

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E8%BE%B2%E6%A5%AD%E6%81%90%E6%85%8C
翌1931年(昭和6年)には一転して東北地方・北海道地方が冷害により大凶作にみまわれた。不況のために兼業の機会も少なくなって
いたうえに、都市の失業者が帰農したため、東北地方を中心に農家経済は疲弊し、飢餓水準の窮乏に陥り、貧窮のあまり東北地方や長野県
では青田売りが横行して欠食児童[注釈 1]や女子の身売り[注釈 2]が深刻な問題となった。小学校教員の給料不払い問題も起こった。また、
穀倉地帯とよばれる地域を中心に小作争議が激化した。

1933年(昭和8年)以降景気は回復局面に入るが、1933年初頭に昭和三陸津波が起こり、東北地方の太平洋沿岸部は甚大な被害をこうむった。
また、1934年(昭和9年)は記録的な大凶作となって農村経済の苦境はその後もつづいた。 農作物価格が恐慌前年の価格に回復するのは
1935年(昭和10年)であった。

232 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 23:56:27.45 ID:X56b54r00.net
山本五十六は異常に個人攻撃を恐れてた節がある

233 :名無しさん@1周年:2019/04/29(月) 23:56:42.66 ID:hWz3JDHNO.net
>>1
軍服、外套、軍刀、眼鏡、煙草。
これだけ綺麗な状態で保存していたということは、80年以上ずっと大切に保管してきたんだろうな。
二・二六事件の是非は別として、父親の安藤輝三大尉のことは息子として尊敬してたんだと思う。

234 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 00:00:59.36 ID:qtW2L4Ek0.net
>>228 >>231

少なくとも農村の窮状や小作の奴隷的な経済状況は、青年将校がはるかに良く知っていたことは間違いなく
経済や政治というのは数値だけを見ていれば良いものではない

高橋是清のように成功していると見て油断し、現実の問題を見ないふりをすれば、どこかで付いてこれない連中が暴発する危険性というのはある
一番必死に生きている人間を見ないと政治が見誤るとまとめることもできるが、戦前の不正をみていると縁故資本主義の無理難題を全て下民に
押し付けた結果、落ちぶれ、押しつぶされもによって殺されただけのことと言えないでもない

235 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 00:05:42.40 ID:3Wsq3Jrd0.net
>>224
皇道派の残党が、終戦工作に協力したんだっけ?

236 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 00:10:02.56 ID:3Wsq3Jrd0.net
>>207
事件から80年以上たち、関係者が全員鬼籍に入った今では、
貴重な記録や記念品は寄贈するなどして公開したほうが良い

237 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 00:10:44.01 ID:qtW2L4Ek0.net
>>234

昭和天皇は経済政策や政治がどうのこうのという次元にさえなく、感情論、激情に走って重臣や臣下の選り好みと、
選り嫌いに走ったわけで、その後の皇道派の人事の冷遇は、昭和天皇への忖度が働いたのは間違いないだろう

木戸幸一の保身
http://www.jas21.com/athenaeum/athenaeum77.htm

238 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 00:12:11.58 ID:qtW2L4Ek0.net
○一番必死に生きている人間を見ないと政治が見誤るとまとめることもできるが、戦前の不正をみていると縁故資本主義の無理難題を全て下民に
押し付けた結果、落ちぶれ、押しつぶされたものによって殺されただけのことと言えないでもない

239 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 00:15:00.89 ID:X86QB+9S0.net
日本陸軍ってアヘンで大儲けしてたんでしょ
大麻解禁を希望している人たちにそっち系のひとが多い理由が分かった気がする

240 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 00:15:11.32 ID:bxrgA9K80.net
天皇が大権を発動したのは226事件と終戦の2回だけ。

241 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 00:17:42.09 ID:qtW2L4Ek0.net
https://ja.wikipedia.org/wiki/近衛上奏文

即生活の窮乏、労働者発言度の増大、英米に対する敵愾心の昂揚の反面たる親ソ気分、軍部内一味の革新
運動、之に便乗する所謂新官僚の運動、及之を背後より操りつつある左翼分子の暗躍等に御座候。右の
内特に憂慮すべきは軍部内一味の革新運動に有之候。

****

少壮軍人の多数は我国体と共産主義は両立するものなりと信じ居るものの如く、軍部内革新論の基調も
亦ここにありと存じ候。職業軍人の大部分は中流以下の家庭出身者にして、其の多くは共産的主張を受け
入れ易き境遇にあり、又彼等は軍隊教育に於て国体観念だけは徹底的に叩き込まれ居るを以て、共産分子
は国体と共産主義の両立論を以て彼等を引きずらんとしつつあるものに御座候。

****

もし此の一味を一掃せずして、早急に戦争終結の手を打つ時は、右翼左翼の民間有志、此の一味と饗応して国
内に大混乱を惹起し、所期の目的を達成し難き恐れ有之候。従て戦争を終結せんとすれば、先ず其の前提とし
て、此の一味の一掃が肝要に御座候。此の一味さえ一掃せらるれば、便乗の官僚並びに右翼左翼の民間分子も、
影を潜むべく候。蓋し彼等は未だ大なる勢力を結成し居らず、軍部を利用して野望を達せんとするものに他な
らざるがゆえに、その本を絶てば、枝葉は自ら枯るるものなりと存候。

****

それはともかくとして、此の一味を一掃し、軍部の建て直しを実行することは、共産革命より日本を救う前提
先決条件なれば、非常の御勇断をこそ望ましく存奉候。以上

****

天皇「先程の話に軍部の粛清が必要だといったが、何を目標として粛軍せよというのか。」
近衛「一つの思想がございます。これを目標と致します。」
天皇「人事の問題に、結局なるが、近衛はどう考えておるか。」
近衛「それは、陛下のお考え…。」
天皇「近衛にも判らないようでは、なかなか難しいと思う。」
近衛「従来、軍は永く一つの思想によって推進し来ったのでありますが、これに対しては又常に反
対の立場をとってきた者もありますので、この方を起用して粛軍せしむるのも一方策と考えられます。
これには宇垣(皇道派)、香月、真崎(二・二六事件皇道派の実質的指導者)、小畑、石原の流れがござい
ます。これらを起用すれば、当然摩擦を増
大いたします。考えようによっては何時かは摩擦を生ずるものならば、この際これを避くることなく
断行するのも一つでございますが、もし敵前にこれを断行する危険を考えれば、阿南、山下両大将
のうちから起用するも一案でございましょう。先日、平沼、岡田氏らと会合した際にも、この話はあ
りました。賀陽宮は軍の立て直しには山下大将が最適任との御考えのようでございます。」
天皇「もう一度、戦果を挙げてからでないとなかなか話は難しいと思う。」
近衛「そういう戦果が挙がれば、誠に結構と思われますが、そういう時期がございましょうか。それ
も近い将来でなくてはならず、半年、一年先では役に立たぬでございましょう。」

242 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 00:18:30.44 ID:ErjlY8lU0.net
この事件の原因作ったのは、鳩山ぽっぽの祖父だったりする。

243 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 00:18:59.54 ID:qtW2L4Ek0.net
近衛「従来、軍は永く一つの思想(統制派)によって推進し来ったのでありますが、これに対しては又常に反
対の立場をとってきた者(皇道派)もありますので、この方を起用して粛軍せしむるのも一方策と考えられます。
これには宇垣(皇道派)、香月、真崎(二・二六事件皇道派の実質的指導者)、小畑、石原の流れがござい
ます。これらを起用すれば、当然摩擦を増
大いたします。考えようによっては何時かは摩擦を生ずるものならば、この際これを避くることなく
断行するのも一つでございますが、もし敵前にこれを断行する危険を考えれば、阿南、山下両大将 (皇道派)
のうちから起用するも一案でございましょう。先日、平沼、岡田氏らと会合した際にも、この話はあ
りました。賀陽宮は軍の立て直しには山下大将(皇道派)が最適任との御考えのようでございます。」
天皇「もう一度、戦果を挙げてからでないとなかなか話は難しいと思う。」

https://ja.wikipedia.org/wiki/山下奉文

山下の辻に対する印象は否定的であり、「我意ばかり強く、国家の重大事を任せることのできな
い小人、こすい(ずるい)奴」だと辻のことを評していた[1]辻は陸軍士官学校事件で容疑者の
皇道派グループをスパイし摘発を求めるなど、統制派としての動きが顕著な人物でもあり、皇道派
の山下との相性はそもそも悪かったと思われる。

日本の新聞はその勇猛果敢なさまを「マレーの虎」と評し(「マライのハリマオ」は別人(谷豊)
の異名)、マレー・シンガポールの早期攻略により山下は国民的な英雄となったが昭和天皇は山下
に拝謁の機会を与えなかった。これは二・二六事件の時の山下の行動を天皇が苦々しく思っていた
ためだとも、皇道派の山下に対する統制派の東條英機首相兼陸相が軍状奏上の機会を与えなかった
ためだともいわれている。ここに至っても二・二六事件は山下の人生に暗い影を投げかけていた。

244 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 00:19:59.24 ID:qtW2L4Ek0.net
http://www.nids.mod.go.jp/event/forum/pdf/2009/03.pdf

陸軍にも壮大な構想があった。「大東亜共栄圏における土地処分案」という史料がある8

これは日本の占領地に総督府を置くというもので、例えば南太平洋総督府(ニューギニ
ア、ソロモン、フィジー、ニューカレドニアなど)や東太平洋総督府(ハワイ、タヒチ、
サモア、トンガなど)、オーストラリア総督府(オーストラリア、タスマニア島など)に
ニュージーランド総督府、セイロン総督府、アラスカ総督府、中央アメリカ総督府など
が並んでいる。アラスカ総督府には、カナダの西半分とアメリカ北西部のワシントン州
を入れているが、なぜか対戦国であるアメリカの大部分は抜けていた。それは陸軍省調
査部が 1942 年 2 月頃に作成したもので、矢次一夫(国策研究会事務局長)が所有してい
たものを GHQ が没収して東京裁判に提出され、矢次は「相当極端な積極的意見だと思
いました」と陳述している。正式な決定にはならなかったようだが、「勝利病」に酔った
陸海軍人の高揚した気分を反映している。

245 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 00:20:02.55 ID:3Wsq3Jrd0.net
>>240
政府の方針に逆らって戦線を拡大する
関東軍にも発動して欲しかった

246 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 00:20:04.25 ID:9RwTdJMI0.net
>>4
うむ
よく終戦に辿りつけた
相当な苦労があっただろうな

247 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 00:22:53.73 ID:RTJmUah60.net
鈴木貫太郎?
数学と寿司のYoutuber?

248 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 00:28:19.43 ID:sqNVqRz+0.net
安藤大尉はマジで人間の鑑みたいな軍人だった
漫画とかに出したらリアリティに欠けると言われるレベル

249 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 00:32:15.36 ID:bEKJY6dO0.net
2.26も5.15もほとんど意味は無かった事件
有っても無くても日本はアメリカに戦争仕掛けるより手は無かった

歴史の通過点でしかないな

250 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 00:41:50.08 ID:qtW2L4Ek0.net
>>246

終戦へ共産国家構想 陸軍中枢「天皇制両立できる」
http ://www.sankei.com/life/news/130812/lif1308120009-n2.html

同年4月に陸軍参謀本部戦争指導班長、種村佐孝大佐がまとめた終戦工作の原案「今後の対ソ施策に対する意見」でも、(1)米国ではなくソ連主導で戦争終結
(2)領土を可能な限りソ連に与え日本を包囲させる(3)ソ連、中共と同盟結ぶ−と書かれている。

鈴木貫太郎首相(肩書は当時)は昭和20年6月22日の最高戦争指導会議で、ソ連仲介の和平案
を国策として決めた際、「(共産党書記長の)スターリンは西郷隆盛に似ているような気がする」 と、スターリンを評価する発言をした。

 この発言に影響を与えたとみられるのが、首相秘書官を務めた松谷誠・陸軍大佐が、4月に国家再建策
として作成した「終戦処理案」だ。松谷氏は回顧録『大東亜戦収拾の真相』で「スターリンは人情の機微
があり、日本の国体を破壊しようとは考えられない」「ソ連の民族政策は寛容。国体と共産主義は相容れ
ざるものとは考えない」などと、日本が共産化しても天皇制は維持できるとの見方を示していた。

 さらに「戦後日本の経済形態は表面上不可避的に社会主義的方向を辿り、この点からも対ソ接近は可能。
米国の民主主義よりソ連流人民政府組織の方が復興できる」として、戦後はソ連流の共産主義国家を目指
すべきだとしている。

251 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 00:50:36.62 ID:bxrgA9K80.net
2.26事件は5.15事件の処分が甘すぎたから起きた。

252 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 00:51:52.86 ID:sdk+kDij0.net
安輝さんはよか男

部下の兵下士官の面倒を身銭をきってよくみた
決起に直前まで反対した
鈴木貫太郎に面会しその人物の大きさに感服した
鈴木貫太郎に止めを刺すのを制止した
総崩れの中、安藤隊のみ最後まで団結した
投降前、拳銃で自殺(未遂)
処刑時、天皇陛下万歳のあとただ一人、秩父宮殿下万歳と唱えた

253 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 00:51:57.40 ID:iRulHaWO0.net
>>248
元部下だったうちの爺さんも
遺影持って靖国や山王ホテルで同窓会してたからな
それが平成になっても続いてた
部下への暴力もほとんど振るわなかったらしいし
よほど人格的統率力の高い人だったんだろうな

254 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 00:56:58.30 ID:KPrEP9RR0.net
そもそも高橋是清なくしては日露戦争の勝利などありえない
薩長閥でもなく、その経歴はマンガを軽く超えるぐらいの面白さで、昭和天皇が寵愛する忠臣だった

そんな傑物を勝手に殺したばかりか、死体を弄ぶように損壊しまくった二・二六事件の首謀者、実行犯には、ゴミクズ以下という称号以外に与えるものはない
この事件を機に陸軍の統制は失われ、東條が担がれて日本の迷走が加速していく

255 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 01:03:11.36 ID:WulcXk9F0.net
2.26や5.15の記録を読んでいると、
この青年将校達にとって、理想の日本とは
どんなものだったのかと思う。
そのあたりが、よくわからない。

256 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 01:04:20.21 ID:yKtihKA50.net
極悪人の遺品を寄贈とかふざけんなよ。
頭おかしい。

257 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 01:05:49.88 ID:yKtihKA50.net
犯人たちは、ビンラディンと同様に始末するべき。
墓を暴いて、遺骨は粉砕して海に捨てるべし。
遺品も全部シュレッダーに掛けて始末しろ。

258 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 01:16:33.07 ID:KPrEP9RR0.net
>>255
ノープランで鳩山由紀夫を全力支持したくらいの暴挙だろ

259 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 01:18:21.53 ID:bxrgA9K80.net
尊皇を極めた結果、国賊、逆賊になってしまったというパラドクス。

下士官兵ニ吿グ
一、今カラデモ遲クナイカラ原隊ヘ歸レ
二、抵抗スル者ハ全部逆賊デアルカラ射殺スル
三、オ前達ノ父母兄弟ハ國賊トナルノデ皆泣イテオルゾ
    二月二十九日   戒嚴司令部

260 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 01:24:30.33 ID:zkwjQNwnO.net
>>251
2.26事件が失敗した事で日本は、中国とアメリカとの戦争に突き進んでいったんだぞ

261 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 01:26:20.06 ID:zkwjQNwnO.net
>>254
いや、二・二六事件が失敗したから日本は戦争で暴走していった
もし二・二六事件が成功してたら東條なんかが実権を握る事は無かった

262 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 01:31:00.27 ID:3Wsq3Jrd0.net
>>252
統制派の中心人物だった東條英機は
安藤大尉と同様に逮捕される直前に自決を図って失敗し、
敵に裁かれて処刑された
因果応報は本当に存在するらしい

263 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 01:45:43.08 ID:X86QB+9S0.net
今でいうところの愛国無罪

264 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 02:30:59.43 ID:TtjzFkVp0.net
>>33
それは栗原中尉

265 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 02:31:02.85 ID:tiOrRI1VO.net
しかし高橋是清を殺すのは訝しいよなぁ
国内投資派を殺して、どうすんのよと

東北の娘が〜とか言ってる連中からしたら
満州閥のが敵だろと

何かネトウヨ洗脳とか昔からあったじゃねえか?
そんでアサッテ向いた方にに牙を剥くという間抜けさ

266 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 02:42:59.05 ID:U9yzPJMD0.net
>>33
栗原中将な

267 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 02:51:38.80 ID:U9yzPJMD0.net
>>207
それは貴重な資料だと思うから、どこかに寄贈したら?
お祖父様も喜ぶのでは無いかな?

268 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 02:51:53.75 ID:9pfRrc7l0.net
>>265
単に軍の予算減らされた事に対する反発だから是清狙われるのは当然
下っ端の実行部隊は理想を信心して盲信してるだろうけど

269 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 02:54:18.43 ID:yKtihKA50.net
こいつらの名誉を徹底的に潰さないといけない。
遺品は、シュレッダーに掛けて焼却処分。灰は遠い海に捨てる。
遺骨も墓掘り起こして同じにしろ。

270 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 03:05:46.62 ID:vVOdzSXb0.net
>>1
当時のタバコもまだ保存してたのか

271 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 06:37:37.78 ID:qtW2L4Ek0.net
>>254 >>265

戦前経済の問題でデフレ問題を解決したのは高橋是清だが、高橋是清の政策の最大の問題は財政拡大を
軍事費につぎ込んだことにある。日露戦争以来、財政が足を引っ張ってきた戦争に弾みをつけることになり、軍部が際限なく戦争を
拡大できるかのような幻想を抱く原因となったことは指摘されている

小売物価指数が上がり、実質賃金は下がったことで、庶民としての状況は好転ではなく、引き続き厳しい状況だった

人間が売買されるような異常事態が解決されていない状態で、再分配や教育に注ぎ込んでいれば、まだマシだった可能性もあるが、軍事費を優先したことになる
高橋是清の良い面は捨てる必要はないが、ある意味では苦しむ下民を切り捨てる冷酷さ非常さもあったわけで自業自得ではある

少なくとも農村の窮状や小作農の奴隷的な経済状況は、青年将校がはるかに良く知っていたことは間違いなく
経済や政治というのは数値だけを見ていれば良いものではない

高橋是清のように成功していると見て油断し、現実の問題を見ないふりをすれば、どこかで付いてこれない連中が暴発する危険性というのはある
一番必死に生きている人間を見ないと政治が見誤るとまとめることもできるが、戦前の不正をみていると縁故資本主義の無理難題を全て下民に
押し付けた結果、落ちぶれ、押しつぶされたものによって殺されただけのことと言えないでもない

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E8%BE%B2%E6%A5%AD%E6%81%90%E6%85%8C
翌1931年(昭和6年)には一転して東北地方・北海道地方が冷害により大凶作にみまわれた。不況のために兼業の機会も少なくなって
いたうえに、都市の失業者が帰農したため、東北地方を中心に農家経済は疲弊し、飢餓水準の窮乏に陥り、貧窮のあまり東北地方や長野県
では青田売りが横行して欠食児童[注釈 1]や女子の身売り[注釈 2]が深刻な問題となった。小学校教員の給料不払い問題も起こった。また、
穀倉地帯とよばれる地域を中心に小作争議が激化した。

1933年(昭和8年)以降景気は回復局面に入るが、1933年初頭に昭和三陸津波が起こり、東北地方の太平洋沿岸部は甚大な被害をこうむった。
また、1934年(昭和9年)は記録的な大凶作となって農村経済の苦境はその後もつづいた。 農作物価格が恐慌前年の価格に回復するのは
1935年(昭和10年)であった。

272 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 06:39:42.60 ID:qtW2L4Ek0.net
明治維新の前哨戦において薩摩藩は勅令と軍を使い幕府老中の(殺害)脅迫・強要をして要求をのませたという(文久の変)
さらに小御所会議では優勢な論を展開した山内容堂に対して殺害をほのめかして黙らせた。この当時、勅令・勅書はヤクザ顔負けの強引で理不尽な要求を
押し通すための恐喝・脅迫に使用された小道具だったが、長州は平気で朝敵・賊軍となり戦争を継続し薩摩も裏で強力をしているため勅書など全く意にかいしないものが多くいたということだ

今なら勅書など発行しても銃弾・爆発物で消し飛ぶ、頑張って劣化楠正成を探そうとしても勅書程度に自らの人生を振り回され、生命の危険のリスクをとるのは相当な知恵遅れだけだろう
科学的軍事理論を学んだ連中に勅書などは到底通用する理屈ではなく、皇室を利用する連中の門閥特権意識と血統世襲理論で印象は最悪になるので効果はむしろマイナスとなる

山内容堂や老中の例でも分かる通り武家の名門・門閥一族は自らの命が危機に瀕すると見るや下級武士の脅迫に対してあっけなく屈する腰抜ばかりで、名門の誇りもあったものではない
薩摩藩と長州藩の強さは青白い顔の名門では思いつきさえしない、下級武士ならではの脅迫や暗殺、テロを平気でやってみせる決断力と実行力にあった
つまり薩長の物理的脅迫は現代でも十分に通じる表現方法だということだ

だが薩長の下級武士も道徳面では特権に安住して腐敗しきった公家よりはおそらくマシだった。そして没落する上級武士を横目に下民出身の下級テロリスト武士が栄達し実権を握る
武士どころか下民出身の伊藤博文と山県有朋が実権を掌握したのは何ら驚くべきことではない

https://ja.wikipedia.org/wiki/猪熊事件
公家衆乱行の発覚
左近衛権少将・花山院忠長は、ある時後陽成天皇の寵愛深い広橋局(武家伝奏・大納言広橋兼勝の娘)に懸想した。
そこで宮中深くまで出入りを許されていた歯科医の兼安備後(妹の命婦讃岐も宮中に仕えていた)に仲介を頼んで文通を始め、
それをきっかけとして二人で逢瀬を重ねていた。その話を漏れ聞いた猪熊は、俄然興味を持ち、かねてから懇意の飛鳥井雅賢
をはじめ、言葉巧みに他の公卿・女官をも誘い出し、様々な場所で乱交を重ねることとなった。
しかし、このように大人数の乱行が発覚しないわけはない。飛鳥井には恨みを含む女性がいた

273 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 06:40:26.17 ID:qtW2L4Ek0.net
北一輝の問題点は日蓮宗であったことでなく、辛亥革命に参加したエキスパートを名刺代わりにしていたのに肝心の革命技術において名前倒れだったことだ
また日蓮宗がクーデターで今後用いられる可能性はほぼゼロに近い。なぜなら神風・神洲伝説は終わったのであり、日本は極東の弱小国に戻り、
確固とした説のないチャラい教義の島国カルトで有力国との関係を維持・構築するのは不可能だからだ

二・二六事件の将校のうち少数が北一輝との師弟関係的なもので、北一輝の思想は参考程度だったと考えるほうが現実的だろう

青年将校は窮乏する社会との関わりから得た義憤やルサンチマンは持っていたとしても指針がなかった
北一輝は革命オタクとして明治維新の第三革命(失敗した西郷隆盛の第二革命のやり直し)を提供したわけだが、青年将校側に必要なのは大まかな枠組みではな
く失われた明治維新のノーハウであり、それを埋められるのは、辛亥革命に参加した北一輝しかいない

しかし北一輝はあくまで辛亥革命のサポーターであり、外国人である北一輝は当事者・責任者とは言えないし、本物の革命家である孫文は
米国式の信奉者であるため、北一輝とは相容れない。孫文を批判しているが、孫文ほどの能力が北一輝にあったかは疑わしい

北一輝の過剰評価・過剰な名声が合わさったことで、二・二六事件はおかしな方向にいった
小手先的に天皇親政を掲げるのは、朝鮮朱子学土人の心を安心させる一時的効果しかない。明治維新の例でいえば最悪の状況では朝廷に射撃・砲撃をしたり、
長州や薩摩は裏で天皇を毒殺しかねないほどの危険人物を揃えていた (実際に実行したかは知らないが最後まで長州討伐にこだわった孝明天皇のヒ素暗殺説もある)、
足利尊氏や鎌倉幕府は島流しにして差し替えるぐらいの緊迫感があるのに、 北一輝の天皇親政論には合理主義が徹底されているとは言えない

名前の通り「一揆(一輝)」であれば徳政令や米の配給・分配、フランス革命であればパンという明確なゴールがあるため、分かりやすかったが、
大風呂敷をたたんで限定的な直訴でもなく、いまいち悪目立ちばかりして、青年将校の足を引っ張っていた感も拭えない

二・二六事件は今後軍事クーデターがおきる際の失敗例として研究対象となることは間違いないが、北一輝と青年将校が明治維新の例を踏襲していたのならば
真っ先にやることは余計な政治テロは一切せずに皇居への進軍と、堀によって脱出しにくい旧江戸城の皇居包囲と皇室の身柄確保、さらに皇居を人質にとって他軍の介入排除および統制派の殺処分だ
そして天皇が新憲法に同意しない場合は孝明天皇コースとなる。長州や薩摩ならこれぐらいは平気でやるだろう
薩長・足利尊氏ほどリアリズムに徹しきれない時点で敗北は確定していたということだ
そもそも朝敵・賊軍にむしろなった方がクーデター側が一致団結しやすいのだから躊躇すべき合理的理由が見つからない

274 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 06:41:44.42 ID:F6qtUqCB0.net
二二六起こしたのは志位の叔父と一緒にKGB特殊訓練を受けた工作員

275 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 06:47:16.21 ID:KXbCvXBu0.net
この大尉がとどめを刺さなかったことが、後の日本を救うことになった。
とどめ刺されていたら、日本人の3分の1は生きていなかったかもしれん。

276 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 06:48:26.50 ID:qtW2L4Ek0.net
>>273

強気だった山内容堂や老中も身の危険を感じるや服従したため、孝明天皇コースの確率はほぼゼロと見て良い
ようは薩長のように覚悟を見せれるかがクーデターの鍵と言える

長州や薩摩ならこれぐらいは平気でやるだろう
つまり薩長・足利尊氏ほどリアリズムに徹しきれない時点で敗北は確定していたということだ

長州や過去の幕府の例でいえば朝敵・賊軍になった方がクーデター側が一致団結しやすいのだから、皇居に対しての攻撃を躊躇すべき合理的理由が見つからない
皇居の電気・電話を遮断し、水道さえも止めて外部から隔絶させれば、天皇が偶然に砲撃で死んでも外からは分からない
近衛兵や侍従、敵対する部隊が狂って天皇を殺したことにして、傀儡にできる若年の新天皇を即位させてもクーデターは成功する

明治維新の教訓を全く踏襲しなかったのが、二・二六事件だと言って良い

277 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 06:52:11.50 ID:qtW2L4Ek0.net
>>275

ソ連参戦後に昭和天皇が泣きながらアメリカへの無条件降伏と命乞いをするよう説得する直前まで、ソ連の属国になろうとした汚点を忘れてはいけない

終戦へ共産国家構想 陸軍中枢「天皇制両立できる」
http ://www.sankei.com/life/news/130812/lif1308120009-n2.html

同年4月に陸軍参謀本部戦争指導班長、種村佐孝大佐がまとめた終戦工作の原案「今後の対ソ施策に対する意見」でも、(1)米国ではなくソ連主導で戦争終結
(2)領土を可能な限りソ連に与え日本を包囲させる(3)ソ連、中共と同盟結ぶ−と書かれている。

鈴木貫太郎首相(肩書は当時)は昭和20年6月22日の最高戦争指導会議で、ソ連仲介の和平案
を国策として決めた際、「(共産党書記長の)スターリンは西郷隆盛に似ているような気がする」 と、スターリンを評価する発言をした。

 この発言に影響を与えたとみられるのが、首相秘書官を務めた松谷誠・陸軍大佐が、4月に国家再建策
として作成した「終戦処理案」だ。松谷氏は回顧録『大東亜戦収拾の真相』で「スターリンは人情の機微
があり、日本の国体を破壊しようとは考えられない」「ソ連の民族政策は寛容。国体と共産主義は相容れ
ざるものとは考えない」などと、日本が共産化しても天皇制は維持できるとの見方を示していた。

 さらに「戦後日本の経済形態は表面上不可避的に社会主義的方向を辿り、この点からも対ソ接近は可能。
米国の民主主義よりソ連流人民政府組織の方が復興できる」として、戦後はソ連流の共産主義国家を目指
すべきだとしている。

278 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 06:57:01.72 ID:qtW2L4Ek0.net
○人間が売買されるような異常事態が解決されていない状態で、再分配や教育に注ぎ込んでいれば、まだマシだった可能性もあるが、軍事費を優先したことになる
高橋是清の良い面は捨てる必要はないが、ある意味では苦しむ下民を切り捨てる冷酷さ非情さを併せ持つ非道な一面もあったわけで自業自得ではある

279 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 07:05:26.96 ID:6YqKCGa40.net
日出雄さんは逆賊の子と言われ続けながら育ってきたんだろうなあ。
それに耐えて、80年の後にやっと重圧から解放されるのかな。
すごい方だ。

280 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 07:06:55.53 ID:bqhGpdSK0.net
これ クーデターだよな
絶対に許されないと思う

281 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 07:13:03.83 ID:7yUCYesC0.net
上級無罪おつ

282 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 07:20:09.41 ID:7yUCYesC0.net
226事件で3発も撃たれても生き残って
そのあと総理になって終戦を迎えたんだな

ルーズベルトへの弔辞

今日、アメリカがわが国に対し優勢な戦いを展開しているのは亡き大統領の優れた指導があったからです。
私は深い哀悼の意をアメリカ国民の悲しみに送るものであります。
しかし、ルーズベルト氏の死によって、アメリカの日本に対する戦争継続の努力が変わるとは考えておりません。
我々もまたあなた方アメリカ国民の覇権主義に対し今まで以上に強く戦います。
― 内閣総理大臣 鈴木貫太郎

283 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 07:21:49.53 ID:7yUCYesC0.net
どっちが帝国かわかんねーなこれ

284 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 07:35:29.15 ID:B5yeReT50.net
>>4
神輿は軽い方がいい

285 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 07:58:09.48 ID:v/csUEVc0.net
令和の226は財務省や経団連を狙って欲しい

286 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 08:02:11.12 ID:v9bAkb450.net
>>279
直ぐ戦争敗戦だからそんな暇なく生活していたかと。
そもそも天皇に反旗をしたわけでもなく、世間では政治家の方が嫌われていた時代だしな。

287 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 08:34:32.49 ID:ErjlY8lU0.net
明治維新以後、九州や西日本出身の人たちが政府の中心を占めて、戦争で負けた東北地方は農地改革、インフラ整備も放置とか軽視がずっと続いてたからなぁ。

288 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 08:53:52.82 ID:KHttzoad0.net
真崎は無責任だな。なんだよ。よくやった!って
皇道派って言ってもボスの真崎、荒木に考え特にあるわけでもなし

289 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 08:56:02.95 ID:B5yeReT50.net
安藤家住宅?

290 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 09:39:22.22 ID:qtW2L4Ek0.net
>>286

非正規を虐げて自分たちだけ勝ち逃げしようとする連合や全労連等の大企業正社員労組のほうが可能性が高い

291 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 10:01:02.60 ID:xl+hCrfS0.net
226事件と宮城事件の黒幕は誰なんだろう

292 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 10:15:05.16 ID:OigvszL90.net
「閣下個人に恨みはありませんが、昭和維新のため、お命頂戴」
「まて! 話せばわかる」
「問答無用」スキューン

293 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 10:16:09.81 ID:Kl2WP/cH0.net
>>286
事件から終戦まで、9年もかかっている
その間、逆賊の汚名を背負いながら、女手一つで子供を育てるのは
相当大変だったはず

>>288
現在は、真崎は反乱決起に加わっていなかったという説が有力
反乱軍に「よくやった」といったという話も信憑性は不明
もっとも、反乱軍と密接な関係にあったのは事実

なお、戦後に真崎が死去した際、昭和天皇は香典を送っている
(真崎の長男は天皇の側近)

294 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 10:22:07.65 ID:Zy+aSLiZ0.net
火葬した後、遺骨から弾丸が出て来たんだっけ

295 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 10:25:34.38 ID:+SpapVHR0.net
89歳の弁護士の男がバスの車内で2歳の女の子の背中をひじ打ちしたとして逮捕されました。

弁護士の鈴木哲太郎容疑者は12日午後5時すぎ、東京・世田谷区を走行中のバスの車内で、
2歳の女の子の背中をひじ打ちした暴行の疑いが持たれています。
警視庁によりますと、バスは渋谷駅発の二子玉川駅行きで、女の子は鈴木容疑者の後ろに立っていたということです。
ひじ打ちを目撃した母親がすぐに110番通報し、鈴木容疑者は駆け付けた警察官に現行犯逮捕されました。
取り調べに対し、鈴木容疑者は「わざとではない」と容疑を否認しています。

http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000090017.html


2016年12月の事件だが・・この鈴木哲太郎は鈴木貫太郎の孫。

296 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 10:26:38.77 ID:+SpapVHR0.net
>>6
すでに指摘あるが…それは犬養

297 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 10:28:11.71 ID:+SpapVHR0.net
>>7
だからね、日韓併合は間違いだったのです。
朝鮮と結婚したようなものですよ! メチャ気持ち悪!!

298 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 10:30:28.79 ID:c6G0RsGM0.net
>>271
今の安倍政権そっくりな状況ですね
クーデターが起こらないのは国民が愛国心を失ったからですね

299 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 10:31:49.85 ID:+SpapVHR0.net
>輝三の次男の日出雄さん(83)

五社英雄の『226』、ラストは安藤の処刑シーンだが、その直接の場面はなく
妻(南果歩)が幼子をあやしてる姿を見つめる安藤(三浦友和)の回想となっている。
あの幼子が次男坊と思われる。(演じたは松葉慎太郎くんだって)

300 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 10:33:29.50 ID:+SpapVHR0.net
>>279
永田鉄山を斬った相沢三郎(二・二六首謀者らの先輩にあたる同志)の息子は、長じて内閣調査室にいた!!

301 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 11:49:43.47 ID:mrPJXfqz0.net
大川周明は2.26事件当時は獄中。

302 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 15:49:04.81 ID:SkH/Y92HO.net
安藤にしろ栗原とか坂井とか、なんで通名だらけなの
逆賊だから?

303 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 15:50:39.25 ID:S4I3/zg20.net
>>207
見たいです!

304 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 15:57:45.80 ID:GM2yzl0Q0.net
東北の窮状をうんたら。
ただし、軍事費下げてその分を東北に回せと言う要望はしない。

305 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 16:08:34.39 ID:k8vbWfK50.net
日米交渉の過程で仮に、満州をアメリカに統治権を譲るという交渉ができたのなら、
そうしてそれをアメリカが呑んでいたならその後の歴史は大きく変わっていただろう。
これもまた歴史のIFだ。

306 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 16:49:09.82 ID:qtW2L4Ek0.net
>>304

皇族資産の国有化で大丈夫だと考えていたふしはある

307 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 16:58:59.06 ID:bqhGpdSK0.net
クーデター起こして何しようとしたの?

308 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 17:03:37.99 ID:wydt+Ql90.net
事件を起こした首謀将校

野中四郎 岡山県出身
安藤輝三 岐阜県出身
河野壽 静岡県出身
栗原安秀 島根県出身
村中孝次 北海道出身
磯部浅一 山口県出身

309 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 17:06:40.05 ID:5vAhwvuQ0.net
安藤大尉は226の前に鈴木貫太郎と話をして
鈴木の評判はすこぶる良かった、東京の師団
ではなく地方に早くに飛ばされていれば、参加
せずに済んだ

310 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 17:55:56.15 ID:Mb98yk3J0.net
二・二六事件てやってることの派手さに比べると事件起こした連中の中身というか理屈は薄っぺらいよね

311 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 18:49:11.32 ID:k8vbWfK50.net
多くの下っ端の兵隊は、雪の中で訓練があると思わされて参加したとか。

312 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 19:15:42.00 ID:l0az2xtV0.net
落語家の柳家小さんが当時兵卒として二・二六事件に参加させられて
上官から「兵たちの緊張を解すために一席やってくれ」と言われて兵の集会所で小噺をやったが
誰一人笑う兵が居なくて困ったって話を生前に徹子の部屋か何かで話してたな

313 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 19:19:33.23 ID:oGXGsr6t0.net
兵士に人望があったのは、安藤大尉だけだろ

314 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 21:23:18.17 ID:Zm+wKm0J0.net
ユーチューバー鈴木貫太郎知ってる人が俺の他にいて笑った

315 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 23:22:06.67 ID:0mhrDI2v0.net
>>312
その後、汚名返上の為に激戦地に送られたはずなのに
よくぞ生き残ったよね

316 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 23:34:58.27 ID:B9ou/ApM0.net
鈴木貫太郎って首相だろ

317 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 23:38:25.87 ID:pTEJLviP0.net
五・一五はわけわからない
いろんなところに襲撃ともいえないような襲撃して自首してるし、
政権とるつもりなんかあったのかね?

318 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 23:42:14.56 ID:Y2QOrF3y0.net
鈴木貫太郎は高校の歴史でも必ず出てくるだろ
俺の屍を超えて行けと終戦に導いた
如何にも好々爺といった印象だが
軍人時代は鬼貫と呼ばれて恐れられる人物だったらしい

319 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 23:52:15.03 ID:dzzFSuKU0.net
>>310
結局のところ、カルトに嵌まった若者がテロに走ったという点では
あのオウム真理教事件と同じなんだよな

320 :名無しさん@1周年:2019/04/30(火) 23:58:18.67 ID:RWXpVwvx0.net
>>317
題目信者の方ですか?





>>43 wwww

南無阿弥陀仏・・・

321 :名無しさん@1周年:2019/05/01(水) 00:08:56.14 ID:Sw4pRpES0.net
>>315
汚名返上じゃないぞ。戦死を前提とした最前線送りだ。

322 :名無しさん@1周年:2019/05/01(水) 11:11:18.43 ID:t7e8t7JX0.net
>>300

歴史を見ると現天皇も明智光秀の直系の血を細川家を通じて引いてるから、皇道派の子孫連中が権力中枢に入るのは不思議ではない
歴代天皇が明智光秀を批判されると複雑な気分になっている可能性も否定はできない

323 :名無しさん@1周年:2019/05/01(水) 11:43:50.45 ID:EyHDTJDW0.net
>>321
激戦を終えて半数が戦死、ボロボロで帰隊しても
上官に「まだ死に方が足りない」と言われたという

324 :名無しさん@1周年:2019/05/01(水) 14:16:35.89 ID:17YAOgIM0.net
昭和11年なんて、ついこの前のような気がするな。

325 :名無しさん@1周年:2019/05/01(水) 16:04:57.14 ID:gum7unn00.net
野中四郎のお墓が見つからないのだが‥‥

岡山・東山墓地にあるという。毎年2月最後の日曜日(命日に近い日曜日)に慰霊祭が行われ、
祭壇が設置され幾人も参列してるのは確かなのに、そういった物・人が見当たらない――

326 :名無しさん@1周年:2019/05/01(水) 16:22:06.11 ID:ghRjLou00.net
上級国民って固定化されてるんだなw

327 :名無しさん@1周年:2019/05/01(水) 16:23:41.57 ID:+YKHL76e0.net
柴崎周人 連続誘拐殺人 柴崎周人 殺人罪 柴崎周人 業務上過失 柴崎周人 所沢市立明峰小学校 柴崎周人 所沢市立所沢中学校 柴崎周人 唐澤貴洋 柴崎周人 在特会 柴崎周人 長谷川亮太 柴崎周人 馬鹿 柴崎周人 痴漢 柴崎周人 強姦致傷 柴崎周人 婦女暴行 柴崎周人 電気通信大学

328 :名無しさん@1周年:2019/05/01(水) 16:25:27.47 ID:6jRlQzh30.net
あの日は寒かったのぅ

329 :名無しさん@1周年:2019/05/01(水) 16:38:56.82 ID:NNnvVOE20.net
信念に基づく行動だろ、行き違いはないはず
真意は天長に達している

330 :名無しさん@1周年:2019/05/01(水) 17:01:25.19 ID:Vj/wKZUb0.net
>>41
明治以降の人物だったら鈴木貫太郎と後藤新平が見たいね。
1年は持たないってのなら2クールでもいい。

331 :名無しさん@1周年:2019/05/01(水) 17:17:58.70 ID:gum7unn00.net
41名無しさん@1周年2019/04/29(月) 19:46:44.24ID:O54rwXQN0
鈴木貫太郎を大河ドラマの主人公にするのはどう?


そんなショボいのより二・二六自体を大河にしろ

332 :名無しさん@1周年:2019/05/01(水) 17:35:31.51 ID:EyHDTJDW0.net
当日は東京では珍しい大雪の日となった
陛下の軍隊を勝手に動かして重臣を何人も暗殺
と聞いた明治の人が詠んだのが
「降る雪や 明治は遠く なりにけり」

大正で15年、昭和に入って11年。合計たったの26年なのだが
明治の人間にとっては、信じられないような事態だったようだ

333 :名無しさん@1周年:2019/05/01(水) 17:52:20.96 ID:0YNCd5L70.net
当初反乱軍の兵士に同情的な軍高官も多くて
「気持ちは分かる」的なコメントも
しかし陛下が激闘したら態度は一変
賊軍と呼んで反乱軍の鎮圧に

334 :名無しさん@1周年:2019/05/01(水) 23:45:07.64 ID:/DbH++YS0.net
>>333
世間でも「兵隊さんのほうが政治家なんかより国のことを憂いてくれる」って変な信頼感が一部で生まれ
それが後の軍人の台頭や増長を助ける一因になったとも

335 :名無しさん@1周年:2019/05/02(木) 00:59:46.49 ID:HyQFnlW70.net
>>329
そんなモンに達しても、実際に玉を握らないと、日本ではクーデタなんて成功せんだろ。
結果として失敗したが、平治の乱のときは天皇・上皇の幽閉に成功したから、そこそこいいところまでいった。
2・26のときは、天皇を拉致しようという気がそもそもなかった。この違いはどこにあったのか?
平安時代は天皇なんて軽く思われてたのか、それとも、決起した人間の身分が低すぎて、恐れ多いことに考えも至らなかったのか?

336 :名無しさん@1周年:2019/05/02(木) 16:37:03.39 ID:yBMDjmHy0.net
そこが、ホンモノの武士と近代の似非武士との違いかもな

337 :名無しさん@1周年:2019/05/02(木) 16:40:43.40 ID:FZzzf8HY0.net
>>335
皇道派の下級将校は君側の奸を除けば天皇は自分らの側に立って親政してくれると思ってたからだよ。
財閥から金せびってた北一輝が言ってたことを真に受けちゃったんだな。

338 :名無しさん@1周年:2019/05/02(木) 16:46:07.47 ID:J2jFPXoR0.net
他の重臣を拘束しないなんて
計画がズサン過ぎる

339 :名無しさん@1周年:2019/05/02(木) 16:48:34.06 ID:FZzzf8HY0.net
>>338
皇道派はわりかしヤバい妄想狂が多くて、永田鉄山を白昼堂々刺殺した相沢三郎は軍医の手当てを平然と受けてそのまま任地に出発しようとしている。

340 :名無しさん@1周年:2019/05/02(木) 17:15:33.22 ID:HRnIMNOg0.net
このときもそうだけど、牧野伸顕って何回も狙われてるよね
よく戦後まで生き残ったものだ
君側の奸という以外に何か具体的な理由があったのかねえ?

341 :名無しさん@1周年:2019/05/03(金) 09:53:58.19 ID:uGhRdcJX0.net
牧野は狡さではナンバーワンだから。

342 :名無しさん@1周年:2019/05/03(金) 10:00:12.64 ID:Y0N25xqE0.net
五・一五事件の首謀者を全員死刑にしておけば良かったのにな。

343 :名無しさん@1周年:2019/05/03(金) 15:14:01.69 ID:YPh2De730.net
226事件は昭和11年の2月末頃のこと、三日天下だった。

それより前の昭和6年の9月半ばに満州事変が発生していて、
これに対して断固たる処罰をとらずにいたことが、軍人を
著しく増長させてしまった。226事件についても、マスコミは
処刑された軍人に極めて同情的でもあった。それは今の
いい加減な内容の少女マンガ本などでも同じ扱い。

344 :名無しさん@1周年:2019/05/03(金) 15:24:29.73 ID:CU1Y2bBZ0.net
行き違いで殺されちゃかなわんがなぁ。
しかも本当に行き違いのケースだと
現代の視点からは思う。
経済学者のなんとかさんに比べりゃ
みんな本当に憂国の士だったよ。

345 :名無しさん@1周年:2019/05/03(金) 22:34:03.34 ID:ULixMbxN0.net
軍人の故郷の東北とかかなりの惨状だったし。
そりゃ経済運営で失敗したら切腹当然!
今の消費税増税で騒ぐ自民党や財務省、厚労省、経団連とかの幹部らは切腹当然!
しなれば殺されても当然の失政をやりまくっている。

346 :名無しさん@1周年:2019/05/03(金) 23:10:17.62 ID:KYrI+Bn00.net
この将校らにしたって、天皇に絶対崇拝の連中だったが、事を天皇の意に沿わぬ形で
起こした。
これからも天皇が独裁者でないと分かる。独裁国家ならこれは全部、ひっくるめて
倒す。
天皇の意向はこの将校らには関係なかった。在るべきと思う形に天皇含めて、という
連中なりの正義に拠る。
明らかに天皇個人への崇拝、忠誠から事を起こしてない。
独裁者の命令は絶対、違うと思っても従うのが当然。
在るべき形に戻すためには、一代の天皇の意向は障害ではない。

347 :名無しさん@1周年:2019/05/04(土) 06:16:29.06 ID:UqZAIlPZ0.net
>>122
>利権維持(だが不干渉)という中途半端な最悪の政治決断を行ったのが、立憲民生党の濱口等の政治家だった

いや、民政党の方針は国民党による中国統一の容認でしょう。
なので国民党が望んでいた関税自主権も容認する方向だったし、欧米との関係も浜口内閣の時期には良好な方向へと転じていた。
門戸開放の原則を守った上で経済的に対中関係を持つ方針だったのだから、英米関係の悪影響は回避される方向性でしょう。

348 :名無しさん@1周年:2019/05/04(土) 06:46:33.77 ID:q3lcZsiI0.net
>>243
宇垣は皇道派じゃないでしょう。
宇垣ら陸軍中央に対抗する意図を持った若手将校が一夕会を作って、そこから統制派と皇道派がでてきた流れでは。

349 :名無しさん@1周年:2019/05/04(土) 10:31:32.57 ID:GN58L9yB0.net
>>342
と、よく死刑廃止論者が言ってますね

350 :名無しさん@1周年:2019/05/04(土) 11:02:48.37 ID:wR4HdfON0.net
消費税上げて国民生活が貧窮したら、野田や麻生、それに財務官僚は殺られて当然だよな!

351 :名無しさん@1周年:2019/05/04(土) 12:49:29.85 ID:AwdsHjvm0.net
高橋是清は軍縮したという理由で殺されたのかね?

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