【音楽】吉田秀和「音楽展望」　中原中也との日々　音楽と言葉の柔らかな融合 [湛然★]

湛然 ★

吉田秀和「音楽展望」　中原中也との日々　音楽と言葉の柔らかな融合
2022年5月30日 14時00分朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/ASQ5T4DKQQ5RULZU00H.html?iref=pc_rensai_article_long_677_article_next

　吉田秀和さんは高校生の時、ドイツ語を学ぶため、著名なドイツ文学者である阿部六郎宅に居候します。そこに集まってきたのが、小林秀雄や中原中也といった当代一流の文学者の面々でした。

　なかでも中原との交遊は、吉田さんのその後の人生に決定的な影響を与えるものとなりました。人に対しても芸術に対しても厳しい姿勢を崩さず、酒を飲んでは誰彼となく議論をふっかけていた中原ですが、6歳年下の吉田さんに対してはとても優しく、親切だったそうです。

　傷つきやすい純粋な魂を持つ、芸術の権化のような中原との日々が、一般の人々を楽曲の深淵（しんえん）へと手招きする数々の文章や、ラジオでのあの懐の深い語り口の礎になったようにも思えます。2018年3月20日の音楽展望「中原中也の目」は、音楽と豊かに交錯する中原の詩の本質を鮮烈に射抜いています。

（編集委員・吉田純子）

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吉田秀和「音楽展望」中原中也の目　2008年3月20日夕刊文化面掲載

　私がまだ大学生だった一九三〇年代前半のころの話だが、高校時代の先生阿部六郎さんのお宅でバッハの《パッサカリアとフーガ》のレコードを聴いた。阿部先生と詩人中原中也と私の三人で。当時この曲はストコフスキーの編曲・指揮の大管弦楽による演奏で聴かれていたものである。批評家や音楽通にはバッハを甘ったるい通俗的なものにしてしまったと評判が悪かったらしいのだが、普通の音楽好きの素人には圧倒的に歓迎支持されていた。私たちはもちろんその素人の仲間。といっても、阿部先生も中原も何の楽器もやれず、歌も上手ではなかったが、あれこれいろんな曲を知っていて、鼻歌程度には歌えたし、ベートーヴェンはどう、ショパンはこうといった理屈は結構こねられた。という以上に、音楽はみんな好きだった。

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　で、その日、私たちは頭を垂れ感にたえたようにして、バッハに聴き入っていた。正真正銘、素晴らしい曲だもの当然の話だが。

　曲が終わって「すごいなあ」と、思わず、私が叫んだ。すると中原が「どう、すごいんだよ」と突っ込んできた。私はどぎまぎしながら「だって神様がいるんだもの」と言った。「神様が何かを指しているみたいじゃないか」

　若気の至りである。

　「阿部チャン」は無類の沈黙の人で、その時も終始黙っていたが、中原は恐ろしい人。言葉については厳しく、無闇（むやみ）なことは口にできない。これまでも、それを何度も目にしていたので、彼の前では心して余計な口は利くまいと慎んできていた。おかげで、これまでも――そうして、その後も――私は一度といえど、中原に言葉でいじめられたことはなかった。それなのに、この時ばかりはバッハのあまりの偉大さについて口を滑らせてしまったのだ。しばし沈黙の時が流れる中で、中原は急に誰にいうともなく、「こいつは、時々こんなことをいうんだよな」と小声で呟（つぶや）いたなり、ゴロッと畳の上に横になってしまった。

　「お前はクリスチャンか？　宗教というものは子供の時、親が決めてくれるのが一番だ。大人になってからは難しくて自分では決められないよ」と言って、あの特徴のある大きな目でジロッと私をにらみつけた。

　その目の恐ろしかったこと！

　それは怒りとも憎しみともつかない、あるいは両方のこもった、激しいものの燃えている目、まなざしだった。後で阿部さんは「あの時、中原は嫉妬（しっと）してたんだ」と教えてくれた。阿部先生によると、彼は悩みに悩み抜いていて、それが私みたいに気楽に神様なんて口にできる若造に向けてのいら立ちの怒りになった。「あれは相手のいない苦しみなのだ」というわけである。

（※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。）

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