【ドラマ】幻の「渥美放哉」 [征夷大将軍★]

征夷大将軍 ★

読売新聞2022/07/15 05:00
https://www.yomiuri.co.jp/local/kagawa/feature/CO041911/20220715-OYTAT50000/

　私生活での素顔を一切表に出さず、役に徹しきる俳優がいる。映画「男はつらいよ」シリーズの寅さん役で、国民的俳優となった渥美清さんもその一人。没後出版された句集で、「風天」の俳号で俳句をたしなんでいたことが知られるようになった。

　そんな渥美さんが１９９３年、小豆島尾崎放哉記念館（土庄町）の建設現場をお忍びで訪れたことがある。傍らには山田洋次監督、「男はつらいよ」でポンシュウを演じた喜劇役者・関敬六さんもいたという。島内では４６作「寅次郎の縁談」の撮影が行われていて、合間を縫っての訪問だったらしい。

　記念館は、俳人・尾崎放哉（１８８５～１９２６年）が最晩年の８か月を過ごし、４１年の人生を閉じた「南郷庵みなんごあん」を再現している。特徴的な細い目を更に細め、渥美さんは何を思ったのか、想像するしかない。公私にわたって親交の深かった脚本家・早坂暁さんは証言している。渥美さんが放哉を演じたいと願いながら、かなわなかったと――。

　放哉は漂泊の果てにたどり着いたこの島で、肺結核と診断された。一方、渥美さんも喜劇役者を目指していた若き日に、肺結核で入院している。「自分も同じ結核患者だから」と、早坂さんにドラマ化を持ちかけたという。

　実現に向け、渥美さんと早坂さんは、ゆかりの地に足を運んで取材を重ねた。だが、渥美さん主演のドラマは撮られなかった。ＮＨＫが先に、作家・吉村昭さんの小説を原作に、ドラマ「海も暮れきる　小豆島の放哉」を制作したからだ。放哉役は橋爪功さんだった。

　渥美さんの没後１０年に作られた追悼番組で、早坂さんは悔やんでいる。「結核になった人のせきの仕方というのがある。健康な人が結核患者をやると、とってつけたようなせきになる。（結核患者の）あのせきは命がけのせき。それを知ってやってくれるのだから……」

　記念館には、ドラマのロケ風景を撮影した写真が並んでいる。橋爪さんは放哉をどう演じるべきか悩んだ末、放哉の墓に手を合わせ、酒をかけた時、「（自分の中に）放哉がすっと入ってきた」という。このエピソードを知ると、額が広く細面な橋爪さんの顔が、放哉の肖像写真と重なって見えた。

　それでも、もし渥美さんだったら、と夢想してしまう。「喜劇と悲劇が合体したシェークスピア劇をちゃんとやれる主役の人」。早坂さんは役者・渥美さんをこう評した。寅さんに徹しきったからこそ、違う境地を見てみたかった。そう思いながら、記念館を後にした。（浦西啓介）